小蕪亭のお母さんの死

小蕪亭(こかぶてい)は長野県上伊那、千人塚公園にあるギャラリー&カフェだ。
http://www.valley.ne.jp/~kokabu/
私はそこで毎年コンサートをさせていただいている。
コンサートのチラシにはいつも小蕪亭のお母さんがモデルになってもらう。
そのお母さんが昨年2011年の4月19日、亡くなられた。
92歳だった。

その日、私たちは、被災地である気仙沼の知人宅でワイフの美枝子の誕生日を祝っていた。
累々と積まれた瓦礫の間をぬって行くと、少し高台だったお陰でなんとか津波から逃れた知人の家がある。
私たちはそこで、知人たちが苦労して手に入れたバースデーケーキで祝ってもらいながら、訃報を受け取ったのだ。
お母さんが亡くなった日は、ちょうど美枝子の誕生日であり、しかも私たちは被災地のど真ん中にいた。
その日は満月の次の日で、月光に不気味に照らされた薄暮れ時の瓦礫の街が、目に焼き付いている。
そのすべての事象が折り重なって、「4月19日」という日がなにか特別な意味を持って私たちの記憶に留められている。

お母さんは最期までお元気だった。
亡くなる二週間ほど前「わたし、老衰みたい」と言われて横になる。
長女の百合子さんは察して、縁者たちを呼び寄せ、最後の二週間を皆と共に過ごした。
そして、まるで寝るように自宅で息を引き取った。
子供や孫たち、曾孫たちに看取られて、苦しむこともなく幸福に旅立っていった。
私たちは20日には気仙沼から東京に戻り、そのまま千人塚公園にある小蕪亭に駆けつけた。
お母さんはまるで人形のように横たわり、皆に見守られていた。

お母さんは本当に健康で、ほとんど医者にかかるようなことはなく、西洋薬は飲まなかった。
医者から薬をもらうと仏壇にお供えをして拝んでいたという。
最後の二週間ですら、ご自身でお手洗いに行ったそうだ。
ほとんど介護というものを必要としなかったのだ。
ピンピンコロリという言葉があるが、まさに其の様な亡くなり方だった。

お母さんからはいつも笑顔が絶えることがなく、そばにいるだけで私たちも嬉しくなるのだ。
「お母さんはどうしていつも幸せそうに、ニコニコしているの?」
「さあ、きっとお父さんと、旦那様が良かったからでしょう。」
お父上も、随分前に亡くなられた旦那様も、お母さんにとても優しかったし、大事にされた。
その事はとっても大きいと思うけど、もう一つ大きいのは、お母さんは仏教系の学校を卒業されているのことだと思う。
そこで仏教的な世界観、人間観、死生観を、体の底から学んだのでなないだろうか。

人は死に方を、選ぶことができない。
どんなにピンピンコロリを望んで努力をしても、人の運命はわからない。
いつ何時、それがどのようにやってくるのか、誰にもわからない。
そのために人々は死を恐れ、不安に苛まれる。

しかしお母さんはなにも恐れているようには見えなかった。
日々を楽しそうに、編み物や、植物の手入れや、娘さんのお手伝いをしながら、過ごしていた。
いつか来るべくものを、そのまま受け入れる準備ができているように見えた。

この世界で何一つ変わらないものはない。
ならばその日その時を、ただただ生きていればいい。
何ものも嘆かず、恨むこともない。
小さなことを大切にし、小さなことを喜び、
今を生き切っていれば、それでいいのだ。
お母さんは、其の様な生き方を全うした人だったと思う。

お母さんは、私の写真の専属モデルだった。
2004年から、お葬式のその日まで、2000枚以上は写したと思う。
それでも振り返ると、写しきれた成就感がない。
一瞬の掛け替えのない微笑を、いったい何度とり損ねたことだろう。
もっともっと撮り続けたかった。

今年2012年4月19日、追悼写真展とコンサートを小蕪亭でさせていただくことになった。
お母さんの笑顔が溢れる中で、演奏するのを今から楽しみにしている。
2012/01/01

f0236202_2141426.jpg


f0236202_21422382.jpg

[PR]
by wtwong | 2012-01-01 21:43 | Poem