<最後の禅問答 ー 吉福伸逸氏との別れに>

<最後の禅問答 ー 吉福伸逸氏との別れに>
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 大切なこと、掛け替えの無いものというものは、失うことが判った時に思い知らされる。吉福伸逸氏が末期の肝臓ガンであり、余命2週間から2ヶ月という知らせを佐弓さんから受け取ったのは4月9日だった。私は狼狽えた。大きく動揺している自分に気づかざるを得なかった。そして吉福伸逸という人物が、私の人生にとってどれだけ大きな存在であるかを思い知らされたのである。ハワイに居る吉福氏に電話でそのことを伝えると、彼もこみ上げるものがあるようだった。「、、、もう十分生きたと思うんだ。自分はよく頑張ったと思うよ。、、、別れは悲しいけどね、、、」彼は死を受け入れている。私はただただ頷くしか無かった。その場で彼を訪ねに行くことを決め、14日には家族三人でハワイに向かった。

 私たち家族にとって吉福氏は恩人なのだ。自分の人生で恩人といえる人物は彼しかいない。2005年の2月上旬、家族に大きな危機が訪れた。多くを説明する余裕はないが、肉親が突然とても激しい言動を始めたのだ。それから数ヶ月、吉福氏に出会う5月までの約三ヶ月、私は地獄をさまよった。人生の中で最も困難な時期だった。今思い出しても胸が苦しくなる。

 5月の上旬、ある人を通して私たちの状況が吉福氏に伝えられた。そして彼から直接連絡があったのだ「よかったら、会いませんか?」私はある会合で吉福氏に一度お逢いしていた。しかし元ミュージシャンということ以外、彼の仕事がどういうものか全く知らなかった。トランスパーソナル心理学のことも一切知識がなかったのだ。しかしそれでもなにか直感的なものを感じ、導かれるように大磯にいる吉福氏を訪ねに行った。

 大磯には彼の早稲田のジャズ時代からの友人宅があり、吉福氏はそこで私たちを待っていた。「さて、どんなことが起こったのかな?ゆっくり話してくれる。」セッションが始まった。吉福氏はセラピーとかカウンセリングという言葉は使わない。元ジャズ・ミュージシャンらしく、それは「セッション」と呼ばれた。今でもその時の雰囲気、会話の内容がリアルに思い出され、こみ上げてくるものがある。肉親が話す様々な出来事を、吉福氏はひとつ一つ、まるで手に取るように解っているようだった。適切な相槌を打ったり、「こんなことはなかったかい?」などと、まるで本人に起きていることがすべて目に見えているようだった。

 肉親と吉福氏の会話に私も参加し始めた。常識を逸脱した話に注釈を付けたくなったのだ。すると吉福氏は強く私を制し、叱った。「あなたね、黙っててくれないか。彼に起きていることは妄想なんかじゃないんだ。リアルな体験なんだよ!」今これを書いていて、私は苦しい。私は肉親のことをなんと理解していなかったことだろう。私は回復を遅らせているだけでなく、むしろ悪化させている厄介な存在以外になかったのだ。そのセッションの後、彼は急速に回復に向かい始めた。自ら向精神薬をやめ、一人で歩み始め、8月頃にはしっかり自分を取り戻していた。彼に言わせれば、そのセッションによって地獄から天国へ180度の転換が起きたのだ。

 たった一回のセッションで、今まで地獄であったものが天国に変換された。一体何が起きたのか?吉福氏はいくつかの本を紹介してくれた。それはスタニスラフ・グロフの「魂の危機を超えて」という本などだった。その本によると肉親に起きたことは「スピリチャル・エマージェンシー」と言うものだった。それは病理などではなく、大きな意味で「激しい急速な癒しが起きている」と言うのだ。目がさめるような思いでその本を読み通した。私をトランスパーソナル心理学というものに導いた最初の本だった。

 私は貪るようにトランスパーソナル心理学関連の本を読み始めた。グロフ、ローエン、ユング、ウィルバー、ミンデル、そして吉福さん本人の著書など、今までの人間観を根底から覆すほどのものだった。それは一言で言えば「人間が体験するあらゆる可能性を排除せず、観念ではなく、臨床のありのままを受け入れ、ジャジメントすること無く、プロセスを信頼する」とでも言うものだったと思う。

 私は同時に吉福さんのワークショップに盛んに参加するようにもなっていった。「ウォンさん、問題は彼にではなく、あんたにあるんだよ!」手痛い言葉が飛んでくる。2006年から2010年の秋まで、よく参加したし、そして2012年の秋、伊豆で行われた彼の最後のワークショップにも参加することが出来た。ハワイでその話に及んだ時「ウォンさんは、よく食いついてきたと思うよ」と言ってくれた。そう、ワークショップは自分自身に直面することの連続でもあるので、それなりにキツイ事ではあった。しかし今、なんと開放され、なんと自由を感じていることだろう。私は今、吉福氏にどれだけ感謝しているかわからない。

 私たちは吉福さんに感謝を伝えにハワイに会いに行ったのだ。迷惑であっても、最後に及んで自分の思いを抑えるのは意味が無いと思った。そして吉福一家は私たちを快く迎えてくれた。ハワイでは約一週間近く、毎日体調の良い時は吉福さんと、そして奥様の恵津子さんやお二人の息子さん、そして居合わせたティムやよし子さん、佐弓さん、田島さんや小磯さん、そして主治医夫妻たちと、会話を続けた。ワークショップのこと、音楽のこと、仏教のこと、そして私たちはそこにある楽器で演奏をきかせたりした。掛け替えの無い還ることがない時間が流れ、そして別れの時が近づいてきた。

 私は吉福さんに「これが最後の別れのような気がしない」と伝えた。すると吉福さんは「ウォンさんね、別れはあるんだよ!」彼は常々、成長するためには今までのマトリックス(母体)から別れねばならないと言ってきた。あるいは「別れるためには、しっかりと出会っていなければならない」とも言ってきた。彼が言わんとすることは弟子であるなら解ることだ。私は師匠である吉福氏から卒業して、次に行かねばならないのだ。ついに別れる時、私は静かに、絞りだすように言った「さようなら!」そしてその場を去ろうとする私に向かって、なんと「これが最後だと思わなければいいだよ」とまるで揚げ足を取るような言葉が帰ってきたのだ。昨日言ってたことと違うじゃない〜〜ww

 やられたと思った。吉福氏は弟子に最後の禅問答を投げかけたのだ「出会いは、出会いではない。別れは、別れではない」私は彼の永遠の弟子だ。私たちは4月19日に日本に帰ってきた。そして4月30日、吉福氏は旅立っていった。もしハワイでのあの一週間がなかったら、私は吉福さんの死を受け入れられなかっただろう。彼から受け取った沢山の無形のプレゼントをこれからの人生の糧として、あるいは彼の想いを引き継ぐものとして、残りの人生を生き切りたいと感じている。心から天国にいる吉福さんに感謝の気持を送りたい。ありがとう、そして、吉福さんがいつも近くにいることを感じながら、やはり言わねばならないのだろうと思う、さようならを、、、合掌

ウォン・ウィンツァン
2013/05/25(満月の夜に)

(以上の文章はトランスパーソナル学会のニューズレター吉福伸逸追悼号の寄稿文です)
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by wtwong | 2013-05-29 12:37