個人の幸福、世界の幸福

 ライブツアー中というのは、ライブ以外のことはなかなか手につかなくなります。それでも意識の片隅にガザやウクライナのことが気になっていました。当事者ではないし、私が意識を向けたからといって何かが変わるわけでもないのもわかっているつもりなのですが、気になってしまう。結果的に中途半端な向き合い方になってしまったことを反省しています。

 今日は友人のセラピストたちと会っていました。主にDV関連のセラピストですが、彼らは今の日本の現状は、それこそ地獄のようであるといいます。それは表立ってはいないだけで、ガザであり、アフガンであり、イラクだ、といいます。「よりそいネット」という電話相談を担当されている方のお話です。

 宮沢賢治の言葉に「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」というのがあります。私はこの言葉はあまり好きじゃありません。「不幸な人がいるのに、お前は幸福でいていいのか?」と、どこか「ねばならない」的な押し付けでこの言葉を利用する人がいるからです。

 それに世界全体が幸福になる時があるとして、少なくとも私たちの世代ではないでしょう。もしかしたら数百年、いや数千年の月日が必要かもしれません。それでは今を生きている私たちは、生きているうちは幸せになれない。それに「自分が幸福でないのに、他の人を幸福にすることなど出来ない」ということもあります。

 あるセラピストが私に教えてくれた「アッパーリミット」という言葉があります。自分が幸福になれる条件の中にいるのに「自分は幸福を受け取る資格はない」と幸福を拒否してしまう無意識の傾向のことです。無意識の深いところでの自己否定なんでしょうね。

 何れにせよ私たちは「誰かの不幸を知って、自分だけが幸せになることは出来ない」と、「自分が幸福にならなければ、他の人を幸福にすることなど出来ない」のふたつを同時に実現しつつ、前に進んでいくのでしょうね。まあ、人類はいつか、個々人の幸福を築き上げるために揺るぎない地平に経つ時が来ると、どこか楽観しているところもあります。でも、今生中に幸福に成りたい〜wwつまり、私が生きている間に世界は平和になってほしい〜〜www なんか今夜は愚痴っぽいつぶやきです。
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by wtwong | 2014-08-13 14:35 | essay