<野本律子女史、追悼文>

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今日、1月4日、カウンセラー&セラピストとして、日本のDV問題に大きな貢献を残した野本律子さんの告別式がありました。
告別式はご家族、ご親族と、数人の親しい友人だけで執り行われました。
昨年12月27日の9時44分に息を引き取られましたが、
年明けの今日を待っての葬儀でした。
享年66歳でした。

7年前に癌を発症し、一時は回復しましたが、2年前に再発していました。
昨年頃から代替医療などを続けていましたが、ある程度の覚悟はされていたようです。
昨年11月15日に最後の講演会で、今までのDV問題への総括と、ご自身の命について語り、参加者とお別れを交わしました。
170人ほどの参加者のほとんどは野本さんのクライアントとして、彼女のカウンセリングとサポートによって、困難を切り抜けた人々ばかりでした。
講演会は、亡くなる一ヶ月前とは思えないパワフルな発声で、最後までユーモアを失わない、哀しいテーマにもかかわらず、なにか清々しい、爽やかさが残る講演会となりました。

その後、ベッドに付し、一ヶ月十日経った12月27日、一人娘の阿礼(あれい)さん一人に看取られて、命を全うされました。
蝋燭の火が消えるように、静かな最後だと聞いています。
11月15日以降、姪御さんと数人の友人達が交互にサポートと介護を続けました。
私もその一人として、ほぼ2〜3日に一晩ぐらいの割合で、野本さんの側に居させていただきました。
そして忘れがたい思い出を沢山頂きました。

野本さんと知り合ったのは、随分昔になります。
会うたびに、私自身が抱えている問題に、的確な提案をしてくれました。
そう、彼女のカウンセリングは、指導ではなく、いつも納得のいく見立てと、あくまでも「提案」でした。
彼女の見立てと提案によって、私自身がどれだけ救われたか解りません。
野本律子さんは、カウンセラー・セラピストとして、日本屈指の存在だったと思います。

しかし彼女に、本格的に会うようになったのは昨年の5月頃からです。
私はその頃、自分の人生の総ざらいをしたいと思っていました。
一人のクライアントとして、野本さんに人生総ざらいのカウンセリングをお願いしたのです。
その時に彼女からの提案は「お互いにカウンセリングをしよう」と言うものでした。
人生の最期に差し掛かって、自分も人生を振り返ってみたい、と言うのです。
それからと言うもの、それぞれの生育的な問題をとことん開示し合いました。
そして心理療法の知識のシェアも沢山しました。
それらのセッションから、私がどんなにか沢山の知識とヒントをもらえたか判りません。
彼女は本当に読書家で、勉強家でした。
ベッドに横になった野本さんが私に発した忘れがたい言葉の一つは「もっともっと、心の問題について、話したかったね、、、」と言うものでした。
それを思い出すと、本当に悔しい想いで涙が溢れます。

忘れがたい彼女の言葉に「お化けになって出てくるから、よろしくね」と言うものでした。
それは講演会で私が野本さんに、霊というもの、輪廻というものをどう考えるかという質問に対する答えでした。
そんな私の無粋な質問にも真摯に、しかもユーモアを絡めながら答えてくれたことが、まるで昨日のことのように思い出されます。
野本さんの思い出に浸りながら、しばらくはボーっとしていたいお正月です。
ここに改めて、ご冥福をお祈りします。

ウォン・ウィンツァン
2015/01/04
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