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<至福感について・瞑想の効用と注意点 no2 >

<至福感について・瞑想の効用と注意点 no2 >
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以前、このブログで「瞑想の効用と注意点」というお話をさせていただきました。
私達が健全な心身を維持する上で、適度なスポーツが必要なように、適切な瞑想も必要なのだ、とお話しました。
瞑想によって疲労の回復や休息を得ることが出来、免疫力などもアップすることが、医療の世界でも証明され始めています。

<瞑想による至福感>
瞑想には様々な効用があるわけですが、とりわけ素晴らしいプレゼントは「幸福感」ではないでしょうか。
私の体験では、瞑想を始めることによってさまざまな問題が解決されたり、今まで問題だと思ったことが何の問題でもないことが判ったり、気づきを得たりしたわけです。
その中でも「幸福感」は、それまで自分や社会に対する否定感や虚無感などを払拭し、自分がこの世界に生きて行く上で掛け替えのないエネルギーになりました。

この「幸福感」は瞑想の世界では「至福感」とか「オージャス」と言ったりします。
最近流行りの「オキシトシン」とか「脳内快感物質」とかが、瞑想中に分泌されていると脳科学では言われているのでしょうか?
瞑想による「幸福感」によって健全な精神バランスを取り戻すことが出来ると、私は思っています。

<至福感が覆い隠してしまうもの>
では「瞑想による幸福感」はすべてにおいて良い方向に導いてくれるのか、と言うと決して油断はできません。
以前のブログ「瞑想の効用と注意点」でも書きましたが、瞑想は万能ではありません。
解決できない問題もたくさんあります。
瞑想の「幸福感」は、場合によっては無意識に潜む問題を覆い隠してしまう可能性があります。

見たくないものは、目を伏せてしまえばいいですよね。
それと同じように瞑想は、場合によって(悪い意味で)逃避になってしまう場合が、実はけっこうあると思います。
例えば、父親から虐待を受けたある人が瞑想によって救われたとします。
瞑想による癒やしの効果はとっても高くあります。
でも「父親不在」そのものを埋め合わせることは出来ません。
場合によっては其の方は自分を救ってくれた瞑想の先生に、自分の父親像を投影します。
瞑想の先生を崇めちゃったりするわけです。
其の先生に当たる人が、例えばオーム真理教の教祖であった場合を容易に想像することが出来ますよね。
瞑想によっては、無意識層に眠る心理的な問題を解決することはできないと私は思っています。

瞑想による至福感はすばらしいプレゼントですが、瞑想の至福感が解決してくれる問題と、そうでない問題とを峻別する叡智は必要なのです。

<至福感は麻薬ではないけど、、>
さて幸福感、至福感によって、問題を直視しなくなる危険性をお話しましたが、幸福感を追い求めすぎる危険性もあります。
瞑想体験の深さによって至福感の強さも変わります。
深くなればなるほど至福感も強くなります。
最終的には無我の境地と言われる体験もあります。
意識を超越する体験ですね。
寝ている時の意識状態との違いは、圧倒的なエクスタシーを体験します。
強烈な至福感が体中に吹き上がるという至高体験です。

そのような体験をした人は、その体験に執着し、追い求めて瞑想に没頭したり、瞑想ばかりやるようになったりする場合があります。
そうなると日常が疎かになったり、かえって健康を害したりする結果になります。
瞑想をやりすぎて、他の事、お食事や運動などを疎かにすれば、健康を害するのは当たり前ですね。
瞑想を優先して、人間関係を拒否する人もいます。
もちろん麻薬と違って、禁断症状があったり、人格崩壊したりしませんし、依存症になって廃人になるという心配はありません。
心配しすぎることはないです。
でも、現実逃避ですから、いつか破綻が来ます。
まあ、破綻してからでも遅くはないですが、破綻そのものを直視しないで、やはり瞑想の至福感ばかり追い求めている人もいます。

<瞑想は現実世界を生きるために、、、>
最初に申し上げたように、スポーツも瞑想も適切で適度に実践すれば、幸福感に満たされながら、健康な心身を作り、人生を楽しく、現実世界を充実させてくれます。
瞑想に目的があるとするなら、この現実の世界や人間関係を充実させて、豊かにするためにあると、私は思います。
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by wtwong | 2016-11-04 18:10