<言葉と自己イメージ>ウォンブログ

<言葉と自己イメージ>
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今日一日で「言葉は難しい」というコメントを何人かから頂きました。
このコメントは今回だけでなく、ツイッター時代から今日までに、幾度となく頂いています。
彼らのコメントには、伝えたいことが伝わらないもどかしさや、いらだちがあります。
怒りや不安が伴う場合も、多くあります。
勝手に解釈されているという怒りだったり、誤解されたのではないかという不安だったりですね。

確かに言葉は、不完全なコミュニケーションツールというハードルがあることは確かです。
それにコミュニケーションスキルという問題もあるでしょう。
これらは学習したり、スキルアップすることで、ある程度は解消されると思います。
(話はそれますが、私は小学校一二年は、いわゆる中華学校にいました。
なので、日本人が小学校低学年で学ぶ日本語の基本みたいなものが私には抜け落ちていて、ちょっとコンプレックスみたいなものがあるんですけどね、、、)

さて、「言葉は難しい」と嘆くときに、何かしらの感情が伴う場合、そこには言葉の問題よりも、自己イメージの問題があるように思うのです。
「自己イメージ」とは、自分はこのようにあるべき存在として、実在の自己とは別に、無意識に描いている虚像のようなものです。
この「自己イメージ」は、実在の自分とかけ離れていればいるほど脆く、傷つきやすいイメージです。
自分が伝えたい「自己イメージ」が「言葉の問題」によって、うまく相手に伝えられないと、不安になったり、怒ったりするわけです。

面白いエピソードがあります。
ある方が「私はこうだ」と言ったとします。
そこで私が「あなたはこうですね」と言い返すと、間髪入れず「いや、ちがう、私はああだ」と言い直すんですね。
そこで「あなたはああですね」というと「いや、私はなになにだ」となにか違うことを言い出します。
そして、いらだちと怒りが溢れてきます。
このような、誰かに自己イメージを壊されることに、強い不安を感じている人は、結構たくさんいます。

私の師匠、吉福さんはあらゆる場面で「ウォンさんはこうだよね」とか決めつけます。
それって自分とはぜんぜん違うので、私は言い返して修正しようとします。
「いや、吉福さん、私はそうじゃないよ」
すると「言い訳なんか、聞きたくない」ビシャwww
結局、彼は生前、私の話なんか、殆ど聞いてくれませんでした。www
でも、お陰で、私は誰に何と言われようとも、動じることもなく、自分自身のままでいられるようなりました。
人が、私の「自己イメージ」をどのように持とうが、どう決めつけようが、どうでもいいことなのです。

自己イメージが危うい人は、いつも戦々恐々としなければなりません。
でも、人にどのように思われようが、誤解されようが、決めつけられようが、かまわないと思えば、どうでもいい事なのです。
だって、自分のことを、だれかに理解されるなんて、思えないし、、

私達が自分に課することは、
●自己イメージが実存とあまり違わないということ
●柔軟な広がりのある自己イメージを持つこと
●影やネガティブな部分も自己イメージに取り込むこと
●動じないための存在力を養うこと
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by wtwong | 2017-06-01 22:02 | essay