ヘルマン・ヘッセ著「シッダールタ」

ヘルマン・ヘッセ著「シッダールタ」
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 一人の青年が、晩年に悟りの境地に達するまでの、実に美しいドラマチックな物語!
若い頃に読んで、理解できずに途中で投げ出していたのですが、友人の僧侶に「いいよ〜〜」と言われて、もう一度読む気になりました。
1922年、ヘッセが45歳の時の作品です。
ヘッセが仏教やインド神秘主義、そして心理学者ユングとの交流、当時流行り始めていた実存主義とかの知識を総動員して、「解脱」というテーマで書き上げた、ファンタジーアドベンチャーと言う感じ!!!
あの当時、第一次大戦直後の不安の時代に、きっと多くの人を魅了したと思う。
今だったパウルコエーリョの「アルケミスト」のように受け入れらて、ニューエイジムーブメントに影響を与えたかもしれないな〜

 でもやはりこれはファンタジーなんだよな〜
私ごとで言えば、87年に瞑想に出会い、インド思想にどっぷり浸かって、瞑想によってエンライトメントに導かれると本気で信じていたけど、その10年後ぐらいにそれは幻想だとはっきり思った。
瞑想によって、さまざまな恩恵に預かることが出来たけど、それが解脱に導くことはないとはっきりした自覚があった。
いやむしろ瞑想は、時に直視せねばならないことを覆い隠すことすらあると思った。

 その頃オーム真理教事件などが起こったわけだけど、何故あのような事件が起きたのか、私なりの解釈は、解脱幻想への執着が、ありえないことを可能にしたと思った。
理性的に考えれば罪以外の何ものでもないものを、東大出の優秀な青年がやってしまう。
そのぐらい解脱への幻想は、奥深いものがあると思う。

 瞑想修行、あるいは伝統的な宗教修行は、自我の問題をクリアーできないと、私は考える。
健全な自我を確立しない限り、本当のスピリチャリティーを獲得することは出来ないと私は考える。
「シッダールタ」では、主人公が美しい理知的な娼婦や商人に出会い、愛欲と金銭欲や物欲にまみれ、浸りきった末に自我を超えるストーリーになっているけど、どうだろう?
私たち人間が自我を超えることって、出来るだろうか?

 我が師匠、吉福伸逸氏が私たちに提供したワークは、自我をテーマにしたものが多かった。
私たちは彼から自我の自覚化と、相対化の方法を学んだように思う。
そしてあらゆる未完プロセスを完了させ、存在不安からの脱却、そして開放の実現だった。

 「シッダールタ」は最晩年、渡し守りとなって解脱に至り、そこで得た「さとり」を修行仲間の友人に開示するのだけど、それはやはり深い瞑想の中で体験する「梵我一如」あるいは「統一場」というものだったと思う。
古典的な文体で、読みにくいところもあるけど、とっても格調高い、ファンタジー・アドベンチャーだと思う。

シッダールタ (新潮文庫) ヘッセ
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by wtwong | 2017-07-14 19:23 | essay