<音楽を教えるということ>ブログ:ウォンウィンツァン

<音楽を教えるということ>
f0236202_257467.jpg

  「音楽を教える」ことってなんだろうな〜?と、ここ数年、考えることが多い。
自分が獲得したものを、なんとか伝えたいと思い始めた。
多分それって年齢的なものなんだろうと思うね。
歳をとると、本能的に何かを次世代に伝えたいと思うものなのかもしれない。
とは言え、まとまって考えているわけじゃないし、ノウハウがあるわけでもない。

 それに、その「獲得したもの」とか「伝えたいもの」ってなんなの?って話だけど、あまりに茫漠としていてる。
所謂、音楽教育、演奏の優れたカリキュラムなど、いくらでもあるし、それを私は教えたいわけじゃない。
優れた先生は、きっと沢山いる。

 昨年ぐらいから「Primal Music Meditation」というワークショップを始めた。
「音の存在力」と言うものを伝えたい。
音楽が聴く人の魂に伝わるということがどういうことなのか、何とか伝えたいと思った。
でも、どうなんだろう?
考え方と、開発したメソッドを伝えることって出来るだろうか?
その考え方も抽象度が高く、伝わりにくい。
メソッドはあまりにシンプルすぎて、自分でも呆れてしまう。
それに、音楽のエッセンスを自分のものにして、音として表現出来るようになるには、もうその人その人の魂に賭けるしかない。
まあ、それで良いんだよね。
それしか私には出来ないし、、、

 私の音楽スタイルを自分のものにし得たのは、今のところ息子かもしれない。
勿論、本人は弟子になったつもりもないし、私も先生になったつもりはない。
彼に何かを直接的に教えるような時間は、殆どなかったと思う。
でも、何よりも私という音楽家の環境にいた。
居ざるを得なかった、、、
音楽家のライフスタイルのど真ん中に居合わせてしまったのだ。

 彼は私が30代後半にようやく獲得した音楽性を、高校生の後半には表現できていた。
すごい話だと思うかもしれないけど、環境というもののチカラなのだ。
子どもが母親の話し方を聞いて言葉を覚えるように、彼は私の音楽環境の中で、それを母語として獲得したのだ。

 そして20代前半にリリースしたCDは、彼に言わせると、私の音楽の再現なのだという。
彼は自分の音楽ではなく、私の音楽を実現したのだ。
なるほどと思う。
「守破離」と言う言葉がある。
それは、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つを表している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/守破離
この古典的なメジャーを当てはめるなら、彼は「守」を実現したことになる。
そして、いま彼は「守破離」の「破」の段階にいるように見える。

 インド音楽などの師弟関係は、もうそれこそグルと出家の関係だ。
グルの日常のアレコレの面倒を見ながら、グルの演奏を見よう見まねで、自分のものにしていく。
つまり日常的に一緒に居て、芸を盗むのだ。
そんな師弟関係は、もうないよね。

 私には音楽的環境はなかった。
でも音楽を教えてくれた人はいた。
まずピアノの先生。
小学生に入った頃、情緒教育でピアノ教室に通わされた。
嫌で嫌でしょうがなかった。
先生もそんな子供に教えたいとは思わないだろうね。
数年で止めてしまった。

 ある時、再びピアノを習いたいと思った。
高校年の頃だったと思う。
その先生の所に私は出向いていった。
その時、その先生からひどく冷たいあしらいを受けた。
教える気がないなら、そう言えばよかったのに、、、、
その後、私は独学でピアノの練習を始めた。

 音楽活動を始めたある時、その先生にご縁のある方にお会いする機会があった。
そして「先生があなたに謝罪したいと仰ってたのよ」と伝えてくれた。
その先生が他界した後の話だった。

 私はピアノの先生からひどい扱いをされながら、でも止めなかった。
それは、根性とかじゃなくって、やはり運命的のものだったのだろう。
私は今、その先生に感謝している。
彼女は私の最初の音楽の先生なのだから、、、

 今日までに、私が音楽を続けるプロセスで、いったいどれだけネガティブなエピソードがあることだろう。
あまりに多くて、思い出せない、www
そうそう、ある時、同級生に「まだ音楽なんかやってるの?」と言われたこともある。www

 それでも私には希望が見えていた。
音楽のビジョンを見ていたんだ。
だから続けられたのだと思う。
でも、30代の中頃、それも色あせて、もう息たえだえになった。
求めても求めも、それは遠のいていくばかりだった。
音楽をもうこれ以上続けられると思えなかった。
思い起こすと、その頃が一番シンドかったかな。
それを乗り越えられたのは、瞑想のおかげだと言っていい。
瞑想に出会わなかったら、どうなっていただろう。

 さて、音楽を学ぶとはどういうことだろうか。
どんな素晴らしい先生に出会おうとも、結局は自分次第、、、
「独学」しかないと思う。
一番肝心なものは誰も教えてくれない。
どんなに遠回りしようとも、
どんなに道に迷うとも、
どんなに遅かろうとも、
自分でやるしか無いと思う。
はっきり言って「シンドイ」と思うよ。
楽な道は、やっぱり無いんだよね。
売れようとも、売れなくとも、シンドイと思う。
よほど好きじゃないとやれない。
或いは運命的なものもあると思う。
スピリチャルな言い方で言えば、「魂の選択」
もっと超越的な言い方で言えば「すべて宇宙の計らい」www
まあ、頑張って欲しいけど、音楽家として生き残れるの人は、そう多くはない。
それでも音楽をやりたいかどうかだけだと思う。
音楽の旅は祝福されている。
ボンボヤージ!!!
音楽は至福だ!!
よい旅を、心から祈っています。

ウォンウィンツァン
2017-09-05
[PR]