<おくる音楽> ウォンウィンツァン

<おくる音楽>
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 <おくる音楽>

 来る11/23のコンサートは、この5月に大往生したパパさんを偲ぶものにしたいと思いました。
それとともに、今まで天国に見送った家族や友人・知人たちにも、同じ思いを届けることができれば、とも思います。

 思い起こすと、多くの知己を見送りました。
昨夜、数えてみたのですが、40人近くにもなってしまいました。
一人ひとりを思い出しながら、死者を弔うこと、悼むことを考えていました。
みなそれぞれの亡くなり方です。
父のように充分歳を重ねて、大往生した人。
でも、若くして、思いを残して現世を去らねばならなかった人は、やはり無念な気持ちはあっただろうと、やるせない気持ちになります。
また、自死した何人かの友人には、何もできなかったことに淡い悔恨もあります。

 カトリック教会には「レクイエム」という葬送形式があります。
それを元に作曲されて有名なのがモーツアルト、ヴェルディ、フォールの「三大レクイエム」だそうです。
レクイエム自体には「鎮魂」の意味は無いのだとは、wikiを読んで初めて知りました。
近代、現代では、形式から離れて、葬送する音楽として独自のスタイルになっています。
武満徹作曲の「弦楽のためのレクイエム」はよく聴きました。

 でも、今回、父や帰らぬ故人たちに向けて、彼等を偲ぶ音楽は、でも決して「レクイエム」ではない気がしました。
「弔う」でも「悼む」でもない、でも、やはり「祈り」であり「偲ぶ」ではあると思いました。
そんなふうに思いを馳せていたら「おくる」という言葉出てきました。

 ご存知「おくりびと」の「おくる」と言う言葉です。
「おくる」には「送る」「贈る」あるいは「遅れる」という意味もあります。
「送る」には、彼等を天国に送り届けたいという思い、、、
「贈る」には、天国にいる彼等に贈る音楽を、、、
そして「遅れる」には、先に逝った彼等に遅れてしまったけど、でもいつか私達も、、、
そんな想いを託して「おくる音楽」とタイトルを付けました。

 家族や数人の知人を看取った、その「余韻」はかけがえのない大切な記憶です。
いつか旅立つ日まで、彼等を偲びながら、日々を大切に、生き繋ぎたいと思います。

ウォンウィンツァン
2017-11-17
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by wtwong | 2017-11-17 17:06