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<社会の何処かで生きる> ウォンウィンツァン

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どんな人も、社会の何処かに、受容される場所がある
社会の何処かに、自分の立ち位置を見つけることが出来る。

社会の中で生きづらい人は多い。
私もその一人だった、、、
自分はアウトサイダーで、社会の中に生きられない、そう思っていた。
人は、否が応にも、社会の中に生きねばならない。
それを「社会内存在」というのだろうか、、、

私の師匠、吉福伸逸さんですら、社会の中で生きることを良しとしなかった。
彼は「世界の中にありながら世界に属さない」と言う言葉が好きだった。
彼の美意識だったと思う。
格好いいと思ったものだ。

でも、私は今、社会の中で生きていることに、違和感を感じなくなっている。
自分が生きるべき社会に生きているという実感がある。

「社会」と言う言葉は、とても抽象的で、曖昧だ。
実際は「社会」の中に、様々な小社会がある。
なんとか社会とか、なんとか業界とか、、、
様々なネットワークが人間社会にはある。
「社会」とは実に様々な、多様なネットワークを織りなしている。

自分が生きているネットワークと、自分の本性とが、そぐわない時、なんとも生きづらいことになる。
社会の中に生きづらいとは、自分の本性と、接している社会とがマッチしていないことなのではないだろうか、、、
人が社会の中に生きる時、社会的立場の仮面をかぶって、そこに擦り寄るように生きている。
でも、社会的仮面は、殆どの場合自分の本性にそぐわない。
「己の本性」にそぐわない社会的仮面をかぶり、この社会に無理やり自分の立ち位置を見つけて生きている。
それでは、いつか必ず社会との間に大きな齟齬をきたしてしまうのではないだろうか、、、

実は殆どの人は「己の本性」に直面していない。
自分自身のことを知ることなしに、社会の中に自分を位置づけているのだから、無理がある。

吉福ワークは「己の本性」に向き合う。
自分が何者なのか、ワークやゲームを通して気付かされていく。
社会的な肩書や、仮面、ペルソナの向こうにある、自分自身が何者であるかが判ってくる。

そうするとどうだろう、、、
自ずと、自然に、自分の生き方が見えてくる。
そして、社会の中の何処かに、これもまた自然に、自分が生きられるスペースが見えてくる。
多様な社会の何処かに、自分を受け入れてくれる小さな社会が見つけられるのだ。

どんな人も、社会の何処かに、受容される場所が必ずある。
社会の何処かに、自分の立ち位置を見つけることが出来た人は、なんて幸せなことだろう、、、
己の本性を見つけた人は、社会内存在として、幸せになれるのだ、、、

ウォンウィンツァン
2017-12-10

by wtwong | 2017-12-10 06:24 | Poem