2013年 12月 26日 ( 1 )

「体験的グループセラピー」について
 
8月31日、9月1日、トラパ学会主催による二日間の「体験的グループセラピー」が行われました。このネーミングは、故・吉福伸逸氏がレクチャーの中で「私がやっているワークショップをあえて名付けるとしたら<体験的グループセラピー>とでもなるだろう。」という発言から引用したものです。吉福氏が亡くなられた後、師事した向後善之氏、新海正彦氏、そして私ウォン・ウィンツァンが吉福氏のメソッドを受け継ぐものとして始められたのが今回のワークショップでした。

 いま「受け継ぐ」と書きましたが、心理療法のメソッドは、どのように体系化されていようとも、個人芸とでも言えるような受け継ぎようがない、創始者でしか実現できないものがあり、とりわけ吉福氏の天才的とでも言うような閃きをワークショップ中に実現することはまず無理なことで、その事はわたし達三名ともが重々承知した上での「受け継ぐ」ことであることが前提としてありました。しかし、そのベースにあるセラピーの現場のとらえかたや、考え方は、紛れも無く吉福氏から学んだものであり、その全体も、個々の対応も、氏の考え方の裏付けがわたし達を支えていました。様々に変容し続けるワークショップの現場で、常に私たちの脳裏にあったのは「このような場合、吉福さんだったらどのように対応するだろうか?」と言うことでした。

 吉福氏のセラピーに対する考え方は、多岐にわたるもので、おいそれと紹介できるものではないのですが、最もベースにある考え方を、ほんのさわりだけでもご紹介できればと思います。その一つには、セラピーの現場を大きく「3つの角度」から見ることが出来ると吉福氏は言います。この考え方はトランスパーソナルの理論家として知られるフランシス・ヴォーンやロジャー・ウォルシュが言い始めたこととして紹介されています。<トランスパーソナルセラピー入門:吉福伸逸著>

 その一つは「Context」。「背景」や「文脈」というような意味ですが、セラピーの「場」を司っている全体性のようなもので、セラピストの「存在感」とでも言うものでもあり、人格の全体がセラピーの現場の空気や濃度とでも云うものを作っているという考え方です。そしてその様な空気や濃度をかもしだす為に必要なことは、あらゆる艱難辛苦の体験や「アイデンティティーの崩壊体験」などを上げています。それらの体験がセラピストの滋養となり、セラピーの現場に重厚な「Context」を提供することが出来る。その様な存在感を持ったセラピストは、もう何もしなくてもプロセスは始まる。セラピストはただただそこに「座」していれば良い。「道場に座る」という言葉を吉福氏は何度も口にしていました。自己放擲とでもいう体験を幾度となくしてきた吉福氏ならではの言葉ですね。しかし同時にセラピストの限界をも「場」に反映されるわけでもあり、吉福氏はワークショップがどれだけ自由に展開されるかどうかは、セラピストが提供するContextにかかっていると言います。

 さて、その様な「Context」が「場」に濃密になった時、自ずと「Process(過程)」が始るといいます。一般にはグループで何らかの課題や技法、ゲームを設定し、進行していくのですが、その最中に参加者それぞれが無意識領域に抱えている「未完のプロセス」にスイッチが入り、自動的にそれぞれのプロセスが進行していくのが普通に起こります。「未完のプロセス」とは、人はその内面に自らを癒すプログラムを持っているが、何らかの理由でそれを押し殺したり、抑圧されているために、そのプログラムが未完のまま滞っている状態を言います。セラピーとは「未完のプロセス」にスイッチをいれることとも言います。

 そして、その様な「未完のプロセス」にスイッチが入っても、参加者はそれを止めようとする保身が働くことも当然起こります。それは「恐れ」や「規範」「ブロック」「スーパーエゴ」などがプロセスを押しとどめようとするからだと思います。セラピストはその時、如何に介入し、プロセスを促進、加速させるか。吉福氏はよく「拡大、強調、促進」と言います。しかし、介入の仕方を間違えると、プロセスはつまらないものになったり、かえってブロックが強化されてしまうこともあり、力量が問われることになります。如何に介入するか、あるいは介入しないか、常にセラピストが現場で自身に問わなければならないことなのです。

 「Processは自ずと始まる」と書きましたが、実際、グループセラピーの現場では、セラピストが何らかの設定をせずとも、その場に集合したその時点でプロセスは始まっている場合が多く、セラピストは、それらを鋭敏に察知し、適切に対応することも求められます。吉福氏はワークショップ中にアシスタントをしているわたし達によく「ほら、わかるでしょ?」と声をかけるのですが、「え?」っと狐につままれたような戸惑いを何度経験したか判りません。優れたセラピストとは、現場で、いつ何時、どのようなプロセスを起きているか察知し、どれだけ適切な介入が出来るか、それにかかっていると言ってよく、その時その時が真剣勝負という感じになるのです。そして本質的にはプロセスはクライアント(参加者)の無意識領域に完全なプログラムとして持っているのであって、セラピストはそれを邪魔をしてはならないということを、常に肝に銘じなくてはいけません。「セラピストがクライアントを癒やす」と考えるようなセラピストを吉福氏は強く批判していました。人間の自己治癒力への深い信頼と言うものを吉福氏は話されていたのが思い出されます。

 さて、「Context」(背景)「Process」(経過)そしてもう一つの角度として「Contents」(内容)があります。技法なりゲームの中で、参加者それぞれにプロセスが始まり、内面の意識の体験が起こります。ハッキリ言えることはセラピストは「Contents」に一切関わらないということです。Contentsはそれぞれの参加者(クライアント)が自ら見出したものであるから意味があります。セラピストが絶対やってはいけないのはContentsへの誘導であると、吉福氏は何度もおっしゃっていました。内容への誘導はニューエイジ言説や宗教教義や質の悪いセラピーにいくらでもあります。吉福氏は、参加者の内面の意識の体験は十人十色であり、参加者個人個人が自分で埋めて行くものだからこそ意味があり、本物の有意な内容になるのだと言います。

 Context 、Process 、Contents、この「3つ角度」と言う考え方は、セラピーの現場だけでなく、実際の社会現象、日常生活、人間関係に新たな視座を提供すると、吉福氏はおっしゃっていました。この3つの角度から社会や世界を俯瞰することによって、新たな認識を得られるものとわたし達も考えています。さて、手短で不十分ですが吉福メソッドの最も根幹にある考え方に触れてみました。まだまだご紹介したいことはあるのですが、近々、吉福氏の本が出版されると聞いていますので、期待しているところです。また、メソッドというものは臨床や実体験の中で養われると吉福氏が何度も言うところのものです。「体験的グループセラピー」は今後も定期的に行う予定ですので、ぜひご参加くださればと思います。

(以上の文章は日本トランスパーソナル学会のNewsletter(2013年12月Vol.19 No.2)の巻頭文として執筆されました。関係者の許諾を得て、このブログに転載させていただきました。またNewsletterには参加者の体験談も掲載されていますので、合わせて参考にされてください。なお、この文章は向後善之氏、新海正彦氏にも検証、助言を頂きながら書き進めました。両名に感謝の意を表します。ウォン)
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by wtwong | 2013-12-26 21:44 | essay