2017年 04月 27日 ( 1 )

<社会の中に生きる>
ウォン・ウィンツァン
2017-01-14
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以下の文章は、名古屋市の鶴田商会さんが発行してる通信紙「ゆっくりずむ」に投稿したものです。
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 初めまして。ウォン・ウィンツァンと言います。ピアニスト・作曲家・心理ワークのファシリテーターなどもしています。私が作曲した曲で現在NHKで放映されているのは「にっぽん紀行」「目撃!にっぽん」「こころの時代」のテーマ曲です。お聴きになった方もいらっしゃるかもしれません。

 私の父や母の家系は殆どが商売人です。父は自身を商売人と呼んでいます。香港の華僑の家系ですから、、、でも母方の祖母は神戸の芸者さんでした。私の音楽の遺伝は日本人の祖母から受け継いだに違いありません。

 19歳からプロとして活動をはじめました。とは言え自分の音楽スタイルを確信するには、40歳になるまで、ほぼ20年かかりました。その後もそれなりに錯綜するのですが、、、自分の音楽スタイルを見つけることが出来ず、暗中模索、五里霧中時代はやはり苦しい毎日でした。そして生きるために、所謂音楽業界の中で働いていました。スタジオミュージシャン、タレントさんの伴奏や、テレビCMの作曲などをして、生き繋いできました。

 とっても苦しい時代でした。でも今思い出すと、その修行時代は私が精神的に自立するのに必要な時代だったと確信します。特にTVCM制作は、、、、私の上には音楽プロデューサー、音楽制作事務所、映像制作プロデューサー&事務所、広告代理店、クライアント、そして社長と、それこそ士農工商作曲家、みたいな感じです。私の制作したCMを、上にいるあらゆる部署の偉いさんたちにプレゼンせねばならないのです。

 その試練は、私にコミュニケーション力や、相手の気持を察する能力や、自分の思い込みを手放す修行、自分の思いを伝えるスキル、何を言われようが自分を失わない強さ、それらを学ぶにはなかなか得難いシチュエーションでした。プライドを踏みにじられることも、決して少なくなかった。今思い出してもムカつきます。(笑)97歳になる父は「あなたは社会に出たことがないから、苦労を知らない」と決めつけられたりします。香港から戦前に留学し、戦中戦後と生き延び、華僑が日本で起業して、引退するまで、それ相当な苦労だったと思います。頭が下がります。

 さて、私は40歳になったとき、ようやく人前で演奏したり、自作の曲を披露できるほどになりました。その時、業界から身を引いて、奥さんと二人でインディーズレーベル(SATOWA MUSIC)を立ち上げました。あの当時は「自主レーベル」と言って、業界からデビューできなかったアーティストが仕方がなく、自費でレコードを出すことを指していました。

 でも私たちには業界で培ったスキルがありました。(因みに奥さんは店舗デザイナー)すなわちレコード業界のシステムでは作れない音楽やCDジャケットを、インディーズであるからこそ作ることが出来ると、私たちは確信していました。あるレコードメーカーの方が私たちのCDを見て「これはメーカーでは絶対制作できない」と感嘆していました。やった〜

 SATOWA MUSICはこの25年ぐらいの間に30タイトル以上のCDをリリースすることが出来ました。それも20年間の修行時代に、制作スキルと、コミュニケーションスキルなど、社会でしか得られない技量を得られたからに他ならないと思います。人間は社会の中でしか成長する機会がありません。どんな人も、自身の生き方を生きるためにも「社会化」は絶対必要なのだと思っています。

 さて、私たちは昨年、平和をテーマにした楽曲「光を世界へ」をリリースしました。このCDの制作では、沢山の友人達がボランティアで参加してくれました。CDの収益は友人の平和活動をしている5つのNGOに送られます。そんな活動ができるのも、友人知人、そしてオーディエンスに支えられているからだと、感謝の気持ちが湧いてきます。

 人間は一人では幸せになれない。ひとりの人間として、しっかりまっとうな、健全な人格を成長させ、沢山の愛する友人に囲まれてこそ、本当の幸せがあるのだと、つくづく思います。
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by wtwong | 2017-04-27 22:32 | essay