2017年 05月 17日 ( 2 )

パパさんの葬儀
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(フラワーデコレーション:ウォン美枝子)

さて、昨日、5月16日の午後、パパさんの葬儀が行われました。
私たちのやり方を通した、本当にアットホームな葬儀でした。

パパさんは随分前から、自分が死んでも誰にも知らせてくれるなと家族に言っていました。
パパさんは日本のお葬式に疑問を持っていました。
延々とお経を聞かされて、正座ができないパパさんは苦痛だった。
多動症の私にとっても葬式は苦痛でした。
形ばっかりで、みんなで酒を飲んで盛り上がっている。
あの雰囲気が大嫌いだったみたい。
個人を悼んでなんかいないと、そう感じていたのでしょう。
私たち家族も全く同じ意見でした。
なので、本当に近しい人たちだけで無宗教の告別式をやりました。

全員で17人、家族以外は最も近しい親戚、いつもパパさんに可愛がってもらっていた姉の友人、サトワミュージックのスタッフ、そして献身的に介護してくれたホームのスタッフたち。
お花だけを持って来てくれとお願いし、お香典は一切お断りしました。
それでも送ってくる人がいたので、送り返すことになります。

「はい、私が喪主です。もシュイマシェン〜」で始まった告別式は、いたって和やかに、とっても温かい雰囲気で、行われました。
昨年11月下旬に入院、そして二ヶ月後にホームへの入居。
病院生活や、ホームでみんなに愛されたこと。
その後4月中旬ぐらいから老衰が進み始め、そして5月13日、家族に見守られて息を引き取ったことなど、写真を交えて紹介させていただきました。
その後、パパさんの一番昔を知っている叔父貴が、戒厳令下でのダンスパーティーで親父とお袋がタンゴを踊っていた思い出とかを話してくれました。
また従姉妹からは、最初にパパさんに私の妹から紹介された時、とても怖い印象だったとかを話してもらいました。

そんなこんなで、あっという間に小一時間が過ぎてしまい、話し足りないまま、出棺の時間が迫って来ました。
私たちは献花をした後、棺にそれぞれのパパさんに送る言葉を書き込みました。
私は「パパさんからやっと自立できます。見守ってくださいね、、」と書いちゃいました。www
音楽葬にするはずでしたが、献花の最中に美音志くんとBGMを演奏するのがせいぜいでした。

斎場に着き、棺が炉の前に据えられ、そして炉の中に押し込まれます。
そしてこうべを垂れているうちに、あの重々しいドアが閉まり、パパさんの肉体と最後の別れとなりました。
97年間、パパさんの魂を宿し、パパさんを支えて来た命としての肉体が、その役割を終えて、焼却される。
空襲や胃潰瘍など、幾たびかの危機を乗り越えて、97年間という時間を生き抜いて来た身体、本当にお疲れ様でした。
パパさんは自分が生き延びたことを振り返って、感慨深く「運命、あります」と何度も言っていたな〜

荼毘に付されている間、私たちはパパさん話題で盛り上がって、小一時間がやっぱり、あっという間に過ぎてしまいました。
炉から取り出されて、骨だけになった姿を見て、ちょっとショックを受けました。
なんだろう、言葉にならないショックです。
パパさんが息を引き取ったその時、魂が抜けていくのを感じました。
遺体にパパさんはいない、そう感じていました。
それでも、肉体が焼却され、遺骨となって私たちの前に現れた時、なにかまた違う存在として、パパさんが立ち現れたような、そんな気がしたのでした。

パパさんは今、青磁の骨壺に入って、我が家に帰って来ました。
居間に安置されて、私たちはなんとも深いため息が出て来てしまいます。
全てを終えることができた、そんな安堵感と開放感です。

パパさんが旅立つ時が、一番幸福な時間であってほしい、そう願っていました。
パパさんの生まれた環境、両親との関係性、兄弟との関係性、社会との関係性、、、、
2007年に引退した時、その全ての淀みとでもいうものを抱えていました。
ある意味、引退後、初めて家庭というものの中でどう生きるかが、彼のテーマになりました。
私たち家族は、そんなパパさんを迎い入れました。
様々な葛藤や齟齬の中、徐々に頑なな心が溶けて行きます。
その話はまたいつかゆっくりしたいと思います。

そしてこの5年間が、パパさんの人生で一番幸福な時期であったろうと思います。
家族からの愛を受け取ることが下手だったパパさん。
最後は、家族からだけでなく、病院の先生や看護婦さんや理学療法士さん、ホームの介護スタッフや介護士さんたち、そしてホームで同じテーブルでいつも一緒のお食事をしたホーム友達、彼らから沢山の愛を受け取りました。
社会の中で愛されることを学んだパパさん、本当に良かった。
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(4月中旬、ホームにて)

家族の要だったパパさんがいなくなった後、私たちがどんな人生を歩むのか、天国から見守ってくださいね、パパさん。
ありがとう、パパさん。
そして、パパさんを愛してくださった皆さんにも、息子の私から深い感謝の気持ちを送らせてください。
ほんとうに、ありがとうございました。

ウォンウィンツァン
2017/05/17
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お知らせです。
私の父、ウォング チョング タク(黄 頌徳)は、
5月13日(土)夜の11時45分、
静かに息を引き取りました。
享年97歳でした。

ライブの演奏中に、ホームから血圧が測れない状態になったという電話が入りました。
私がライブを終えて、ホームに駆けつけた時、すでに下顎呼吸が始まっていました。
それから、私たち家族は、父の手を握ったり、身体をさすったりしながら、口々に「パパ、ありがとう」「パパのおかげでみんな幸せです」などと声がけを続けました。
父は私たちの声に反応し、涙を浮かべていました。
そして、30分ほど経った時、軽いシャックリのような動きがあり、呼吸が止まりました。
私たちはそれでも声がけや、身体をさすることをやめずにいました。
呼吸が止まっても、まだ意識は残っていると思ったからです。

そしてしばらく経ってから、看護師さんや介護士さんと一緒に、身体を拭いたり、パパさんのユニホームである、ワイシャツ、ネクタイ、スーツを着させ、死化粧をしてあげました。
それもパパさんを見送るための、大切な儀式でした。

葬儀はパパさんの遺言通り、家族だけで執り行うことになります。
私の妹の時と同じように、自宅で、美音志くんや私が演奏して、父を見送ろうと思います。

私のパパさん話題をお読みいただいた皆さんは、心配されていたと思います
またFBFにはパパフアンが沢山いらっしゃると思います。
私のパパさん話題には、皆さんから温かいお言葉を沢山いただきました。
心から感謝いたします。
ありがとうございました。
私にはパパさんとの思い出が沢山あるので、パパさん話題はまだまだ終わりません。
楽しみにしていてください。
本当にありがとうございました。
合掌

ウォンウィンツァン
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by wtwong | 2017-05-17 06:23 | essay