カテゴリ:Photo & Essay( 13 )

<春分の日、朝日カルチャーセンターでのトーク&コンサート>
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 今日、春分の日は、新宿住友ビル10階にある、朝日カルチャーセンターでトーク&コンサートでした。
アサカルは震災直後の横浜教室から、今回で6回目になります。
教室いっぱいの受講生たちには小学生から80歳以上のご高齢の方まで、70名ぐらいの方たちが受講してくださいました。
講演では、主に映像と音楽制作のお話をさせていただきました。
また自分のナショナル・アイデンティティーに関するお話と「サトワの夢」の演奏。
また軽い初歩的な瞑想導入から即興演奏をさせていただきました。
あっという間の2時間、充実した内容だったと思います。

 それと瞑想に関するお話で、「皆さんは感動というものを体験したことが有りますか?」という質問に、殆どの人が挙手してくれました。
「感動こそが、もっともスピリチャルで、超越的な体験なのです。
瞑想は、感動の源、つまりは魂にたどり着くためのノウハウです。
魂から発する音楽は、聴く人の感動の源、つまりは聴く人の魂に触れることが出来る、というのが私のビリーフです。」というようなお話をさせていただきました。

 とっても驚いた講演後のエピソード。
受講してくださったご家族がいて、私の即興のCD「ビハインド・ザ・フォーレスト」の中の「雲と影絵」を、11歳の女の子が、自分で耳コピーして演奏してくださいました。
即興曲ですから、楽譜に記譜できないようなタイミングがいっぱいです。
和音的にも結構高度なものが入っています。
それなのにシッカリコピーして、小さな子供の手で演奏してくれました。
感動でした。
どんなに才能があったとしても、相当努力しないと演奏できない曲です。
自分の音楽や演奏が、11歳の小さな魂に届いている。
いい加減な気持ちで音楽できないな〜と自戒するひと時でも有りました。
彼女の将来が楽しみ。
ぜひ存分に音楽を楽しんでほしいものです。
彼女の演奏する姿はとっても印象度が高いものでした。

2017-03-20
ウォン・ウィンツァン
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<霊的な感受性について>
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 霊的な感受性は、人間なら、殆どの人が持っている。
そんな訳ない、と思うだろうか。
神秘体験や霊的な体験をしている時、大脳辺縁系が活性化することが知られている。
つまり大脳辺縁系を持っている人なら、霊的感受性があるはずだ、というのは根拠になるだろうか。
我が師匠、吉福伸逸氏は「霊的体験をしないということは、その人に何らかの抑圧があると考えていいと思う」と断言していた。
不可解なものへの恐れや不安、あるいは科学合理主義に拘泥している人は、霊的体験に対してブロックがあるのだろうか。

 人間には得手不得手があるのだから、霊的な感受性が強い人もいれば弱い人もいる。
足に障害がなければ、どんな人も走れるけど、100mを10秒で走れる人は殆どいない。
霊的な感受性も同じようなことが言える。

 ただ、100mを10秒で走れる人が、人格的に良い人かどうかは別の問題であるように、霊的感受性が高い人が、霊格が高いなんてまずありえない。
ココらへんが大きな誤解を呼んでいる。
むしろ霊的感受性の高さが仇になって、霊的エリート主義というか、選民意識が強く、とんでもないグルやヒーラーになったりしているのを、巷でよく見聞きすることだ。
私のまわりにはクンダリニーが起きちゃった女性たちや、スプーンをグニャグニャに曲げてしまうサイキック女子が、沢山いる。
何故か男子が少ないけど、、、
彼らはみな普通の人達だ。

 100mを20秒で走る人が、日々の修練によって19秒に挑戦する姿は美しい。
霊的感受性や霊能力をアップさせるために、それなりの努力をすることも、それはそれで良いとは思う。
日常生活や人間関係に支障をきたさないのなら、と言う条件はあるが、、、
ただ、それが霊格のアップのために行っているとするなら、それはお門違いだ。
霊格と霊能力は、はっきり全く別のものだ。

 霊格とはなんだろう?
私もよく解らない。
この人は霊格が高いな〜と感じる人に時々出会う。
感じるということと、解かるということは別のことだ。
その方の霊格の根拠を言葉にすることは出来ない。

 ただ、絶対言えることは、霊格の問題の前に、人格の問題があるということ。
人格の成長を蔑ろにして、霊格の成長は、まず無い。
人格的問題をクリアーできてない人が、あたかも霊性が高いかのような振る舞いは、滑稽だ。
とは言え「人格とはどういうこと?」となると、また違う議論が必要になる。

 さて、幼い頃から子供の才能を見出した親が、その子の成長のために環境を整えてあげようとするのは自然なことだ。
運動能力の優れた子は、環境や適切な指導者によって、100mを10秒で走れる子になるかもしれない。

 では霊的感受性が強い子に関してはどうだろう?
霊的感受性は年令に関係なく、突然開花することがある。
運動能力への社会や世間の理解というものはあるが、霊的なものの社会的理解は、日本には殆ど無い。
子どもの頃に神秘体験をした子どもが、その後、困難な人生を歩まなくてはならなかったという話は、よく聞く。
両親にも社会にも、そのような子ども達を受け入れられるような能力も知識も、今の日本には用意されていない。
沖縄にはノロの伝統があるけど、霊的伝統の神秘主義には、語弊を恐れず言えば、迷妄が濃厚にある。
このことはまた別に議論したい。

 私たちはダライ・ラマやクリシナムルティのような、霊的な英才教育によって成就した指導者を知っている。
しかしそれは、本当に稀なこと、稀有なことなのだ。
たとえ親に霊性への理解があっても、その子が現実社会に住む以上、かなり難しい。
少なくともその子を霊的指導者に育てようとなどはしないほうが良い。
自分の子供を江原啓之みたいな霊能力者にしたいと思う親もいるかもしれないけど、、、、

 運動能力のある子どもをアスリートに育てようとするとしても、その子の人格的な成長も蔑ろには出来ない。
100mを10秒で走れたとしても、それはそれでしかない。
霊的感受性も、それでしかない。
100mを10秒で走ることが出来ることは、その人の存在力を高めてくるように、霊的感受性は、その人の人生を豊かにするだろう。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
彼の、そして私達の人生の殆どは、社会で生きていくことなのだ。

 子供の霊能力を大事にすることは必要だけど、それを過剰に子供に求めるのは、その子にとって難しい状況にさせてしまう。
子どもは親が求めていることを察知し、無意識にそれに答えようとする存在だ。
親から多くの愛を獲得するために、そのように振る舞う存在なのだ。
子どもの親への忖度能力は、子どもが生き延びるために必要なことなのだけど、、、
そのことによって子供の能力が高まることもあるとは思う。
でも、親がターゲットになっているので、自然な能力の発育にはなかなかなりにくい。
それは霊能力だけに限らない。
すべての能力の成長を促す場合によく起こることだ。
殆どの場合、その子の可能性とは違う方向の能力を親は求めている。

 自然な成長、と言う言葉は、言うのは簡単だけど、やはりとっても難しい。
何れにせよ、その子の成長を見守りながら、過剰ではなく、また、過少でもなく、その子にとって、最も適した、健全な環境を用意することは、至難の業だと思うが、親として、子どもにやってあげたいことだとは思う。

 さて、どんな人も必ず霊的な感受性を持ち合わせている、と書いた。
そのことを最も顕著に体験することになるのが、死というものが身近になったときだ。
死に近づくと、自我が希薄になって、ブロックが取れるのだろうか。
嫌がおうにも霊性が濃密になるのが、死という体験だ。
霊的なことに無知でいると、死に直面して狼狽えることになる。

 35年前、私の母は膵臓がんで他界した。
死の直前、さまざまな霊的体験を繰り返していた。
医者は瀕死の患者がモルヒネなどで、そういう体験するのだと言っていた。
でも、そうではなかった。
あの時、ちゃんと対応できなかったことが残念でならない。
その後、妹や義父を看取ったが、彼らの霊的体験に寄り添えたのは、本当に良かった。
彼らから掛け替えのないプレゼントを与えてもらえた。
実りの深い終末であり、別れだったと思う。
己の終末を、実り多い、豊かな最後にするために、多くの人が霊的な感受性について、健全な知識を持ってくれることを、心から望んでいる。

 人間の終末の霊的体験について、数多い看取りの体験から書かれた、示唆に富んだ文章をここに紹介したい。
是非、読んでほしい本だ。

大切な人の看取り方 デニー・コープ https://www.amazon.co.jp/dp/4864100810/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BF7YybSVWB8R6 @amazonJPさんから
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<アッキーに思うこと>
「良い子症候群」という造語があります。良い子であることによって愛情を受ける。親から承認されるために良い子になりすぎて、自分自身を失ってしまった子供のままの大人の話です。そんな人は、誰にでも良い人であろうとする。親の言いつけを守りすぎた其の娘は、自分の考え方や心情は希薄で、アイデンティティーも揺らぎやすい。総理大臣夫人ともなれば、彼女に近づきたい、利用したいという人はいくらでもいる。良い子症候群は利用されることによって、永遠に満たされない承認願望を底なし求め続ける。総理夫人というステイタスも承認願望を充分満たさない。もっともっと良い事をして認められたい。八方に良い子であり続けることは、とても難しい。ましてや政治的背景が複雑に入り組んでいる世界に生きていればなおさら。いつか不具合が発生。今まで彼女を利用している人たちからもバッシングが始まる。本人はなぜバッシングされるのか解らない。良いことをやっているのに、なぜ?、、、そして転落が始まる。自分を保つために否認が始まる。なぜこんなに注目されるのか、私にはわからない。だから否認、無視。そうしないと自分が保てない。さて悪いのは彼女だけじゃない。良い子と、良い子を求め、利用する側との共犯関係だから、、、、
ーーーーーーーーー
 人は、人から承認されないと生きていけない。この社会は相互承認関係だともいえます。関係性だけでなく、お金や地位、学歴、役職、などなど、自分のアイデンティティーを支えるものならなんでも身につけようとします。でも承認されるためになら、なんでも良いとうわけではありません。その人がその人らしい生き方に対し、周りからの温かい承認こそが、その人を支えるのです。

 私は音楽家ですが、どんな音楽でも認められればよいというわけじゃありません。私が私らしい音楽を提示し、それを受け止めてもらえることが、私への社会からの承認なんです。私らしい音楽が社会の中で少数の人にしか承認されなくとも、です。
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「いったい私のピアノはどれ?」
(マイ・ベーゼンが我が家にたどり着くまで、、、)
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 私は、スタジオという特殊な空間で、限られた時間内に、自分が求めている音楽を表現できる演奏家ではありません。
25歳ぐらいにアメリカから帰国してから、所謂スタジオミュージシャンとして働くわけですが、打ちのめされる事ばかりでしたね。
神経症や不安症、対人恐怖などもあったので、スタジオは地獄のような場所でした。
演奏家としての自信も無かったし、最悪でしたね。

 インディーズレーベル「さとわミュージック」を美枝子さんと一緒に立ち上げた時、スタジオで録音制作をしたいと、これっぽっちも思わなかった。
で、私設のスタジオに録音に耐えうるピアノを運び込んで、他の人を気にしたり、時間や制作費に制限されることなく、とことん向き合うしか無いと、考えたわけです。

 とは言え、録音に耐えうるピアノって、、、、
当初はスタンウェイならBタイプ、ベーゼンドルファーなら225あたりを考えていました。
当時で800万円ぐらいでしょうか、、、
それでも借金しないと買えない、高価な買い物です。
でも実際にショールームに試弾しに行って、フルコンサートの音を聞いたら、もう戻れない。(汗)
私が買ったベーゼンドルファー290は当時で1450万円でした。

 こんな高価な買い物なんか、今までにしたことはないし、当然借金したりするわけですが、返せるあてがあるわけじゃない。
でも、買わないということは、他に自分の音楽に向き合う方法がない以上、音楽を断念するということだったわけです。
いや〜追い詰められましたね〜

 まずベーゼンかスタンウェイか迷っていました。
どっちを選んだら良いのか、その手がかりがない。
結局ベーゼンを選んだキッカケは、寺山真一翁さんに一言言われたことでした。
「ウォンさんにはベーゼンがきっと似合いますよ」って、、、
今考えると、なんか根拠があったのかな〜〜?www
でも、私はやはりスタンウェイではなく、ベーゼンでよかったと思いますね。
ベーゼンの音楽性は、自分にやはりピッタリだったと思う。
寺山さんを通して、宇宙が私に選ばせたというほかないですね。

 でもベーゼンと言えども、楽器によって個体差がすごくある。
ショールームにある5台のベーゼン290から、一体どれを選んだら良いの?
今ならピアノのことを少しは分かってきてるので、選ぶことが出来ると思う。
ピアノに求めるものがハッキリしている。
でも、当時、ピアノのグレードを判断する耳なんか、持っていなかった。
ピアノに関する知識なんて、何もなかった、、、
いったい私のピアノはどれ?
迷っていると、日本ベーゼンドルファー社の主任調律師が「実はまだ調整していない日本に運ばれたばかりのピアノがあるんですが、、、」
そう言って倉庫から運び出されたベーゼン290は、まだハンマーに針が入っていない、まっさらの音、つまりひどい音だったのです。
これから音作りがされる前のピアノの音って、最悪なのです。

 最終的にはそのピアノが我が家に来ることになりました。
でも、それを決定するまで、どんなに追いつめられたか、、。
だって、選ぶピアノが、果たして本当に良いピアノなのかどうかわからない。
しかも1450万円、借金して、返せるあてがあるわけじゃない。
何よりも、このピアノを通して、自分の音楽を成就することが出来るのかどうか、まったく確実なものなんかない。

 そんな混沌としていた私に一冊の本が届いた。
山川紘矢さん、亜希子さん夫妻が送ってくれた、その本のタイトルは「アルケミスト」、、、、
私は最終決定するために、掛川市にあるベーゼンのショールームに行く新幹線の中で、この本を号泣しながら読んだのは、いまでも忘れられない。
これも山川夫妻を通して、私を後押ししてくれた、宇宙のはからいなのかな〜〜
宝物は、きっと足元に埋まっている、、、

 さて、美枝子さんと父親から頭金を借りて(そう言えば、まだ返してない(汗))、後はローンを組みました。
そうやってやってきたベーゼン290は、実は「インペリアル」つまり皇帝とかって名前がついています。
そもそも、2000人規模のホールの為に作られたピアノ。
小さな私設のスタジオに、やっとこさ入って、一体どうしたら良いの?
もちろん帝王ごときの俺様ぶり。
しかもじゃじゃ馬と来ている。
はじめは茫然自失でした。
どうやってこのピアノを弾きこなせばいいの??
鍛えられました、ベーゼン290に、、、はい、、、

 ピアノに育てられた、今、本当にそう思います。
演奏し、録音し、プレイバックし、そしてまた演奏する。
それを繰り返す中で、ようやく自分の音楽が見えてきたと思います。
自分の演奏を聴き返すことは、本当に苦行でした。
でも、それ以外に方法はないのです。
演奏して、録音し、プレイバックし、自分が求めている音楽がそこに録音されているのかどうか。
「求めている」と言っても、求めているものがどんな音楽なのか分かっているわけじゃない。
「魂が求めている音楽」が刻印されているのかどうか、、、、
その繰り返しを、一体どれだけやったろう。
「DohYoh1」あたりは、一曲を1000テイク近く録音したと思う。

 「魂が求める音楽」それを自覚的にわかっていれば、多分1000テイクも録音する必要はなかったでしょう。
でも、ただただ暗中模索でした。
今でもわからないですよ「魂が私を通して、表現させようとしている音楽」、、、
やれることは、ただただピアノの前に座ること、、、
あ、勿論音出さなくっちゃ駄目だけど、、、www

 さて、確かローンは30年ぐらいの返済だったと思うけど、実は数年で返済できました。
東芝EMIがリリースしたコンピレーションアルバム「feel」に楽曲を提供したんですね。
そのコンピレーションCDには基本的にはレコードメーカーが楽曲を提供しているのですが、私の曲だけ唯一インディーズでした。
その曲とはNHKのドキュメンタリー「家族の肖像」に提供した「運命と絆」でした。
今でもあの時のプロデューサーさんのことを思い出します。
「ウォンさんのフアンです。インディーズのさとわミュージックさんはご無理かもしれないですが、是非楽曲を使わせてください。売れるとしても3万枚、うまく行けば5万枚ぐらいは売れるかもしれませんが、、、お願いします」
で、実際に売れたのは200万枚でした。

 全ては宇宙からのサポート、そうとしか思えない人生を歩ませていただいています。
寺山真一翁さん、山川ご夫妻、ピアノ選定に付き合ってくれた調律師さん、NHKの音響スタッフさん、「feel」のプロデュースさん、そして何よりも美枝子さんと親父さん、そして何よりもマイ・ベーゼン。
今、私を通して表出されている音楽は、彼らに支えられて、ようやく実現しました。
どれだけ感謝しても足りない。
その感謝は、音楽を通してしか、返すことが出来ないものなんだと思う。

マイ・ベーゼンがある。
自由に録音が出来る。
なんて恵まれていることだろう。
やっぱり、怠ける訳にはいかないな、、、
奇跡は、自ら始めることでしか、それは起きない、、、

ウォン・ウィンツァン
2017-02-21
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<社会意識のめざめ> ウォン・ウィンツァン
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 私はFBやツイッターで様々なジャンルの話題を取り上げていますが、当然その中に社会問題も入ってきます。
日本の問題だけでなく、世界で起きている様々な問題も取り上げています。
とりわけ日本で生まれ育った者としては、日本のことに一番関心があります。

 2011年3月11日の震災と、それに続く原発事故は、私の社会意識を根本的に変えました。
それまでも障碍者の問題や、地雷犠牲者の問題などにも取り組んできましたが、でも、それは自分自身の日常に危機感があったわけではありませんでした。
そんな悠長な社会意識しかなかった私にとって3・11は衝撃でした。
原発事故は、もしかしたら東京もヤバイかもしれないという危機感がありました。
つまり原発事故の被害者になる可能性があるという、まさに当事者意識をいきなり目覚めさせられたのです。

 原発事故をキッカケにツイッターやフェイスブックなどから情報を盛んに集めるようになり、それをシェアをし続けました。
今ではさほど苦労せずとも色々情報が入ってくるようになりましたし、シェアをすることはごく自然なこととしてやっています。
それらの情報をシェアするのは、正しい情報を他の人と共有することがとても大切だと考えるからです。
個人レベルでも情報を発信することが、今の時代に重要なことだと認識するからです。
一般の報道はかなり偏りがあると言われています。
何しろ報道自由度ランキング72位ですから、、、
私たち個人がメディアになって、信憑性のある情報を共有し合うことはとても重要だと考えます。

 とは言え、個人レベルの情報のシェアが、一体どれだけの広がりがあるかと言えば、はなはだ心もとないものがあります。
FBやツイッターにも限界がありますし、何より情報というものは入手しようとしない限り、届きません。
自ら情報をゲットしようとしない限り、情報に何の意味もないのです。
個人レベルの社会意識の目覚めというものが、どうしても必要です。

 「外国籍のくせに日本のことに口出すな」とネトウヨに言われていますが、私のFBFでそんなことを言う方はいらっしゃらないので、FBFの良識は素晴らしいなと思います。
私は日本の問題に限らず、世界の問題に関心があります。
関心を持つ話題なり情報は、国内外に限らずシェアしたいと考えています。

 それでも私が日本人ではないことで、私から触れないよう気を使うような話題もあります。
明確な線引があるわけではないのですが、例えば慰安婦の問題などは触れたいと思っていない自分がいます。
私が日本国籍だったら、歴史認識の問題として触れていくと思うのですが、、、、

 やはり外国人であることで、触れないようにしようとする自己規制があることは確かです。
私はフリーランスですが、それでも自己規制が働く、保身が働くのです。
ましてや企業や業界など、何らかの組織やコミュニティーに属している人が社会問題、政治問題に対して積極的な発言ができないのは、仕方がないことなのかもしれません。
逆に、其のような状況にも関わらず、果敢に発言をしている人は本当に勇気があると尊敬します。

 日本では社会問題や政治問題に積極的になることに寛容でない雰囲気は強くあるように思います。
それが国民性の問題なのか、教育の問題なのか、いろいろあるとは思います。
それに私たちの日常は、別にニュースなど知らなくても平穏だし、他人事ですよね。
私たちは放射能汚染地域に住んでいるわけじゃないし、沖縄や水俣や広島長崎に住んでいるわけでもない。
当事者意識を持つことはなかなか難しいことです。

 社会システムやインフラは高度に発達し、複雑になっています。
水道の蛇口をひねれば水は出てきますが、その向こうがどのようになっているか、殆どの人は知りません。
スイッチを押せば電気がつきますが、その電気の由来が原発なのか火力なのか水力なのか、誰も知りません。
日々使っているお金がどのような仕組みなのか理解できません。
銀行に預けたお金が、戦争や武器、原発に使われていることも知りません。
社会システムは巧妙に誰も当事者であることを知覚されないように出来ています。

 そんな中でどうやって社会意識や政治意識が育つでしょう。
難しいテーマです。
それこそ直接的な問題が自らの上に起きて、当事者にならない限り、社会意識の目覚めというのは期待できないのではと思ったりもします。

 幸福度ランキングがいつも上位になる北欧などでは、子供の頃から民主主義というものを勉強します。
ドイツでは戦争責任を徹底的に検証し、反省を重ねています。
日本はそのどちらもやっていません。
国を自分の都合よく運営したい為政者にとって、国民が社会意識に目覚めることは都合の悪いことかもしれません。
なので、積極的に民主主義教育を取り入れようとはしません。

 さて、日本はいつになったら、北欧並みの民主主義国家に成長するのでしょう。
今のところ先が見えないのが現状です。
投票率などを見ると、まだまだと言うしかありません。
日本という国がどのようなプロセスで、自立した民主国家に成長するのか、シナリオはなかなか見えてきません。

 もちろん、少しずつではありますが、若い人たちのに社会意識を持つ人が増えていると感じています。
ゆっくりですが民度は上がっています。
残念ながら、それはごく一部というしかありませんが、それでも変化の兆候はあります。
まあ、長期戦の構えで、根気よくシェアを重ねるしかないのだと思います。
心折れることもありますが、、、、
それでも自分のやれることを、気負わず、急がず、やり続けるしかないのかな、、、
そんなことを、ネトウヨ君からのメッセージを読んでから、つらつら考えていたクリスマスでした。

2016-12-25
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<別れと、再会、、>ウォン・ウィンツァン
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 ある時、FBのタイムラインを見ていたら、かつて別れた友人が他のFBFにコメントしているのを発見した。
その人は私を怒っていたので、ブロックされても仕方がないと思っていた。
でもそうじゃなかった。
そのことを知って、どこかホッとしている自分がいる。

 私は今までに、いったい何人と別れてきたろう。
随分と多くの人と別れてきた。
色々理由があったと思う。
怒って別れることもあり、怒られて別れたこともある。
相手を傷つけるような酷いことをしたのだから、別れられても仕方がない。
若さ故の人格の歪や未熟が原因だったとしても、傷つけたことを正当化は出来ない。
そして、相手から別れた場合だけでなく、私から別れた場合でも、どこか痛みとして、記憶の片隅に残っている。

 振り返ると、なんと沢山の出会いに支えられて来たことだろう。
今、自分がこうして生かされているのは、他ならない、様々な出会いに支えられているからだ。
なんのケレン味もなく、私はそう言える。
ほんとうに感謝が自然に湧いてくる。

 出会いがあれば、必ず別れもあるのだろう。
別れねばならない時は必ず来る。
そしてまたいつか再会する時が来るかもしれない。
縁起という「流れ」があれば、、、
もし再会することがあるなら、心から謝罪したいと思う。

 さて、残りの人生で、今まで別れてきた一体何人と再会することが出来るだろう。
そして、その人達に感謝と謝罪を伝えることが出来るだろうか。
まあ、それも全て「流れ」なのだろう。
その時が来れば、きっと再会することが出来るだろうし、、、
でも、再会の時が来なかったら、その痛みも受け入れようと思う。
痛みを受け入れ、それを最期まで引き受けることが、私が自らの生き方に責任を取るということだから、、、

2016-12-22
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今日、1月4日、カウンセラー&セラピストとして、日本のDV問題に大きな貢献を残した野本律子さんの告別式がありました。
告別式はご家族、ご親族と、数人の親しい友人だけで執り行われました。
昨年12月27日の9時44分に息を引き取られましたが、
年明けの今日を待っての葬儀でした。
享年66歳でした。

7年前に癌を発症し、一時は回復しましたが、2年前に再発していました。
昨年頃から代替医療などを続けていましたが、ある程度の覚悟はされていたようです。
昨年11月15日に最後の講演会で、今までのDV問題への総括と、ご自身の命について語り、参加者とお別れを交わしました。
170人ほどの参加者のほとんどは野本さんのクライアントとして、彼女のカウンセリングとサポートによって、困難を切り抜けた人々ばかりでした。
講演会は、亡くなる一ヶ月前とは思えないパワフルな発声で、最後までユーモアを失わない、哀しいテーマにもかかわらず、なにか清々しい、爽やかさが残る講演会となりました。

その後、ベッドに付し、一ヶ月十日経った12月27日、一人娘の阿礼(あれい)さん一人に看取られて、命を全うされました。
蝋燭の火が消えるように、静かな最後だと聞いています。
11月15日以降、姪御さんと数人の友人達が交互にサポートと介護を続けました。
私もその一人として、ほぼ2〜3日に一晩ぐらいの割合で、野本さんの側に居させていただきました。
そして忘れがたい思い出を沢山頂きました。

野本さんと知り合ったのは、随分昔になります。
会うたびに、私自身が抱えている問題に、的確な提案をしてくれました。
そう、彼女のカウンセリングは、指導ではなく、いつも納得のいく見立てと、あくまでも「提案」でした。
彼女の見立てと提案によって、私自身がどれだけ救われたか解りません。
野本律子さんは、カウンセラー・セラピストとして、日本屈指の存在だったと思います。

しかし彼女に、本格的に会うようになったのは昨年の5月頃からです。
私はその頃、自分の人生の総ざらいをしたいと思っていました。
一人のクライアントとして、野本さんに人生総ざらいのカウンセリングをお願いしたのです。
その時に彼女からの提案は「お互いにカウンセリングをしよう」と言うものでした。
人生の最期に差し掛かって、自分も人生を振り返ってみたい、と言うのです。
それからと言うもの、それぞれの生育的な問題をとことん開示し合いました。
そして心理療法の知識のシェアも沢山しました。
それらのセッションから、私がどんなにか沢山の知識とヒントをもらえたか判りません。
彼女は本当に読書家で、勉強家でした。
ベッドに横になった野本さんが私に発した忘れがたい言葉の一つは「もっともっと、心の問題について、話したかったね、、、」と言うものでした。
それを思い出すと、本当に悔しい想いで涙が溢れます。

忘れがたい彼女の言葉に「お化けになって出てくるから、よろしくね」と言うものでした。
それは講演会で私が野本さんに、霊というもの、輪廻というものをどう考えるかという質問に対する答えでした。
そんな私の無粋な質問にも真摯に、しかもユーモアを絡めながら答えてくれたことが、まるで昨日のことのように思い出されます。
野本さんの思い出に浸りながら、しばらくはボーっとしていたいお正月です。
ここに改めて、ご冥福をお祈りします。

ウォン・ウィンツァン
2015/01/04
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 どんな人も、それぞれの人生のテーマのようなものを抱えていると思う。それはそれなりにヘビーなことなので、意識的に無自覚であったり、隠蔽したり、盲目的になったりする人が殆どだ。でもどんなに隠蔽しても、そのテーマ自体が消えたわけではないので、人生のあらゆる場面で、それに振り回されて苦しみを増幅させてします。そうやって人生を終えてしまう人がほとんどのような気がする。

 でも、その事に自覚的になろうとする人は、もがいたり苦しんだりしながらも、アクションを続け、何とかクリヤーしようとする。そのアクションは、意識的であったり、操作的であったりしても、どうも的はずれなことが多い。意識や操作は、所詮人のなせる技、人間の浅知恵だから、どこかピントがずれちゃうんだろうな。
 
人生のテーマに最もダイレクトに触れていくのは「たましいから沸き起こる情動」に身を任せるようなことになるのかもしれない。「たましいから沸き起こる情動」こそが宇宙のメッセージだ。宇宙が指し示す道標。宇宙がわたし達を、ある「約束の場所」へ呼び寄せている、その誘いは「たましいから沸き起こる情動」になって、わたし達を呼んでいる。私の師匠、故吉福伸逸氏が「惹きの力」と呼ぶものは、そういうことのような気がする。

 そんな情動に導かれるようにアクションを続けていくうちに、いつの間にか「人生のテーマ」にダイレクトに向き合い、クリアーしてくものだと思う。「たましいから沸き起こる情動」はそれなりに無謀だったりするので、勇気がいる。何かを失うこともあるだろう。でもきっといつか統合されて、着地するものだと思う。そして、開放して、たったひとつしかない命を生きられるようになる。一度きりの人生を生きられるようになる。恐れずに向き合っていきたい。
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「ああ、ついにその時期が来たんだな〜」慌ただしく実務的な対応に追われながら、意識の遠くで感じている静かな感慨に浸っている自分がいた。どのような家庭でも必ずやって来るありふれたことでありながら、やはりそれはとっても個別な体験なのだ。人生の最期にやってくる荘厳なセレモニーの、今日はその最初の日だ。

93歳になる父は10日ほど前に転倒し、その後、脇腹の痛みを訴えていた。何か事があったら連れて行こうと、予め決めていた病院に連れて行った。其処は在宅訪問診療の草分け的な病院だと聞いていたし、なにより自宅から車で10分の距離だ。整形外科でレントゲンを撮ってみると三本の肋骨が折れていた。大事に至る程ではなかったので、湿布薬と患部を固定するベルトだけが処方された。その後の父の様子を観察して、ある限界に来たと私は判断した。

父のような性格の人間は、人に面倒を見られることを極度に嫌がる。あくまでも自分で出来ることは最後まで自分でやりぬく意志の強い人だ。なので、私達もギリギリまで彼の生き方を邪魔せずに、静かに見守っていた。しかしそれも叶わないほど、衰弱しているのがわかる。

今まで出来たことが出来なくなる。食事や排泄や、だれでも遣れることが、徐々に出来なることが老化ということだ。そして、否が応にもそれを受け入れねばならない。その時がきたのだ。老人介護認定の申請をせねばならない時が来たのだ。

私はひとりで病院に赴き、担当医である吉澤明孝医師に面接した。父の状態を説明し、そして次のように告げた。「、、、まあ、出来ることなら、自宅で最期まで、、、と考えているのですが、、、」その時、吉澤医師の全身がパッと光ったように感じられた。彼はそれから、家族構成などを聞き、本当に在宅介護ができるのか、私の意志も含め、確認した。

本当に在宅介護を最後までできるのか、私にはわからない。長引けば家族は疲弊してしまうだろう。慣れないことも沢山ある。病院に入れてしまえば、そのほうが楽だろうとも思う。それに特別強い意志があるわけでもない。なぜか、それが当然の事のように思えただけなのだ。

自宅での看取りは、今の日本では普通のことではないのかもしれない。しかし、心ある医師や地域では、そのような試みを始めている。その中でも吉澤医師はその道のスペシャリストだ。この医師に巡り会えたことは、なんとラッキーな事だろうと思う。

病院を出ると、早速ケア・マネージャーから電話が入り、今から自宅に来ると言う。自宅に来ると、情況を判断し、介護プランを提案し、手配もしてくれる。介護用のベッドが土曜日には来ることになった。費用はなんと1/10だ。日本の保険制度の素晴らしさに感嘆する。この制度は守らねばいけない。TPPなどに入っちゃダメだと、強く思ったものだ。

私たちはベッドを入れる部屋の片付けを始めた。その部屋には捨てられない症候群の父親の書類関係が山のようになっている。びっくりするほどの量の不必要になった書類や本や新聞の切り抜き。不要といっても、過去の存在の証でもある。私達はそれを振り切るように、手際よく、取り付かれたようにすごい勢いで、父親がこれから多分最後まで過ごす事になる聖なる場所を確保した。

その部屋には仏壇があり、今までに亡くなった先祖たちの位牌がある。私たちは仏教徒ではないが、この家が新築された時、母が設えたものだ。81年に母は59歳で亡くなり、その後は父が毎朝手をあわせている。「ママ、ワイロック、ジョウサン」毎朝欠かさずそう声をかけていた。ワイロックとは2007年に49歳で亡くなった妹の名だ。「ジョウサン」とは広東語で「おはよう」ということ、、、

私は時おり、おざなりに手を合わせるぐらいで、実に信心深くない。仏壇を眺めながら、私は急に位牌や仏壇を綺麗に拭き始めた。そして位牌に刻まれている先祖たちの命日や享年を確認し、なんとも言えない想いが沸き起こってきた。仏壇の奥には亡き母が写経した般若心経が数枚出てきた。小さな銀紙の鶴の折り紙や、手びねりのお地蔵様まで出てきた。私はそれらのホコリを払いながら、祈りの想いが膨らんでくるのだった。

仏壇を作り直し、それぞれを配置し、そしてそうするのが自然なこととして、静かに手を合わせた。「ママさん、楽ちゃん、たのむよね、、、」そう心でつぶやいた。

2013/07/05
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http://www.satowa-music.com/dl/dl-90s.html
 昨年末から、やったり、休んだりしながら、1990年、秋に行われた北海道ツアーの録音アーカイブのマスターリングを続けてきたが、ようやくサウンドの方向が決まってきた。サウンドの作り方に正解はなく、こだわりや感覚や、不確定な要素が色々絡んで、結局、その時に自然に落ち着く所が見つかれば、とりあえずそれでヨシとしたい。なかなか自然な仕上がりになってきた。

 ミックスダウンもマスターリングも、録音された時の音のクオリティーに大きく左右される。あの当時使っていた機材はAKG414EBというヴィンテージマイク、マイクアンプはあの当時、高品位なサウンドで有名だったGML(ジョージ・マッセンバーグ・ラボラトリー)、DATレコーダーがデジタル・デンスケの最初のヴァージョンのSONY TCD-D10。ケーブルの引き回しが短いこともあって、ビックリするほどクオリティーの高い音で録音されていた。あれから20年以上経ち、いろいろ新しい高性能な機材が開発されてきたが、もしかして当時のサウンドのほうが良いかも。印象が当時と違っていたのが、AKG414EBだ。これが結構ドンシャリ系の美味しい音がしているのだ。

 さて何度も何度も聴き返し続けてきたけど、あの当時、音楽に対する意識のあり方で、時を経て、失ってしまったものが、なんと多いことだろう。すごく反省した。もう一度あの時の気概を取り戻すべきだとすら思ってしまった。勿論、稚拙な演奏だし、今のほうがテクニック的にも、音楽性も深くなっている。でも、あの当時にしかあり得ない、いうなれば背水の陣での演奏、崖っぷちに立たされた覚悟のようなものがあって、自分で言うのもなんですが、シビレてしまった。

 録音というものは、どこか写真と同じように、その瞬間の空気感というか、感覚のようなものを、再体験させてくれる。ああ、俺は演奏しているあの時、苦しんでいたな、とか、会場での響き感、雰囲気はああだった、などフラッシュバックするのだ。そして、そのツアーで出会った人々のお顔や雰囲気も思い出す。今でも交流させていただいている人たちもいれば、なかなかお会い出来ない人もいる。皆元気でいてくれるといいな。

 さて、近々、ダウンロード販売しようと思う。またインプロヴィゼーションだけの三枚組のCDもリリースしようと思っている。是非、若い時の(といっても40歳でしたが)演奏を、聴いてほしい。

ウォンウィンツァン
2013/03/09
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