カテゴリ:Photo & Essay( 17 )

<幸福の条件>
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パパさん語録に「三つの幸福の条件」と言うのがある。
「健康第一、少なくてもいい必要十分なお金、汚くても我が家」
確かに幸福になるために、このような具体的な条件は必要かもしれない。
でも、パパさんが、この「三つの幸福の条件」を唱える時、あまり幸福そうには見えなかった。
つまり、不幸なとき、その条件が満たされていることを確認して、自分は幸福なはずだと言い聞かせているのだった。

しかし晩年になるに連れ、このパパさん語録は影を潜めていく。
つまり家族との関係性を回復し、信頼し、昔のルサンチマンや怒りも解消され、家族以外との関係性も増えていくに従って、どんどん幸福になっていったのだと思う。。
最後の数ヶ月は老人施設で介護士たちや同居人たちや、そして私達家族も毎日通ってきてくれる。
今年の4月頃は「ここは天国です。長生きしたかったらここに住めばいい」とまで言っていた。
そして5月には天国に旅立ったけど、最期は安らかで、本当に天国に行ったんだと、残された家族たち誰もがそう感じた。

さて、幸福の条件とはなんだろう?
健康やお金や家も大切だけど、結局心の健康の問題なんだと思う。
「心の健康」すなわち「健全な自我の確立」が一番大事なことなんじゃないだろうか。
どんなに具体的な良い条件を揃えても、自分自身の問題に向かわない限り、幸福になんかになれないんだよ。
幸福な人は友人が多いと言うけど、自分自身の問題をクリヤーしない限り、人間関係が良くなるわけもない。
無意識領域に巣食っている、歪んだ魂を持ったまま、ひとは幸福にはなれない。
「自分に直面すること」それこそが幸福への一番の近道だと、私は思うな、、、
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<音楽を教えるということ>
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  「音楽を教える」ことってなんだろうな〜?と、ここ数年、考えることが多い。
自分が獲得したものを、なんとか伝えたいと思い始めた。
多分それって年齢的なものなんだろうと思うね。
歳をとると、本能的に何かを次世代に伝えたいと思うものなのかもしれない。
とは言え、まとまって考えているわけじゃないし、ノウハウがあるわけでもない。

 それに、その「獲得したもの」とか「伝えたいもの」ってなんなの?って話だけど、あまりに茫漠としていてる。
所謂、音楽教育、演奏の優れたカリキュラムなど、いくらでもあるし、それを私は教えたいわけじゃない。
優れた先生は、きっと沢山いる。

 昨年ぐらいから「Primal Music Meditation」というワークショップを始めた。
「音の存在力」と言うものを伝えたい。
音楽が聴く人の魂に伝わるということがどういうことなのか、何とか伝えたいと思った。
でも、どうなんだろう?
考え方と、開発したメソッドを伝えることって出来るだろうか?
その考え方も抽象度が高く、伝わりにくい。
メソッドはあまりにシンプルすぎて、自分でも呆れてしまう。
それに、音楽のエッセンスを自分のものにして、音として表現出来るようになるには、もうその人その人の魂に賭けるしかない。
まあ、それで良いんだよね。
それしか私には出来ないし、、、

 私の音楽スタイルを自分のものにし得たのは、今のところ息子かもしれない。
勿論、本人は弟子になったつもりもないし、私も先生になったつもりはない。
彼に何かを直接的に教えるような時間は、殆どなかったと思う。
でも、何よりも私という音楽家の環境にいた。
居ざるを得なかった、、、
音楽家のライフスタイルのど真ん中に居合わせてしまったのだ。

 彼は私が30代後半にようやく獲得した音楽性を、高校生の後半には表現できていた。
すごい話だと思うかもしれないけど、環境というもののチカラなのだ。
子どもが母親の話し方を聞いて言葉を覚えるように、彼は私の音楽環境の中で、それを母語として獲得したのだ。

 そして20代前半にリリースしたCDは、彼に言わせると、私の音楽の再現なのだという。
彼は自分の音楽ではなく、私の音楽を実現したのだ。
なるほどと思う。
「守破離」と言う言葉がある。
それは、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つを表している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/守破離
この古典的なメジャーを当てはめるなら、彼は「守」を実現したことになる。
そして、いま彼は「守破離」の「破」の段階にいるように見える。

 インド音楽などの師弟関係は、もうそれこそグルと出家の関係だ。
グルの日常のアレコレの面倒を見ながら、グルの演奏を見よう見まねで、自分のものにしていく。
つまり日常的に一緒に居て、芸を盗むのだ。
そんな師弟関係は、もうないよね。

 私には音楽的環境はなかった。
でも音楽を教えてくれた人はいた。
まずピアノの先生。
小学生に入った頃、情緒教育でピアノ教室に通わされた。
嫌で嫌でしょうがなかった。
先生もそんな子供に教えたいとは思わないだろうね。
数年で止めてしまった。

 ある時、再びピアノを習いたいと思った。
高校年の頃だったと思う。
その先生の所に私は出向いていった。
その時、その先生からひどく冷たいあしらいを受けた。
教える気がないなら、そう言えばよかったのに、、、、
その後、私は独学でピアノの練習を始めた。

 音楽活動を始めたある時、その先生にご縁のある方にお会いする機会があった。
そして「先生があなたに謝罪したいと仰ってたのよ」と伝えてくれた。
その先生が他界した後の話だった。

 私はピアノの先生からひどい扱いをされながら、でも止めなかった。
それは、根性とかじゃなくって、やはり運命的のものだったのだろう。
私は今、その先生に感謝している。
彼女は私の最初の音楽の先生なのだから、、、

 今日までに、私が音楽を続けるプロセスで、いったいどれだけネガティブなエピソードがあることだろう。
あまりに多くて、思い出せない、www
そうそう、ある時、同級生に「まだ音楽なんかやってるの?」と言われたこともある。www

 それでも私には希望が見えていた。
音楽のビジョンを見ていたんだ。
だから続けられたのだと思う。
でも、30代の中頃、それも色あせて、もう息たえだえになった。
求めても求めも、それは遠のいていくばかりだった。
音楽をもうこれ以上続けられると思えなかった。
思い起こすと、その頃が一番シンドかったかな。
それを乗り越えられたのは、瞑想のおかげだと言っていい。
瞑想に出会わなかったら、どうなっていただろう。

 さて、音楽を学ぶとはどういうことだろうか。
どんな素晴らしい先生に出会おうとも、結局は自分次第、、、
「独学」しかないと思う。
一番肝心なものは誰も教えてくれない。
どんなに遠回りしようとも、
どんなに道に迷うとも、
どんなに遅かろうとも、
自分でやるしか無いと思う。
はっきり言って「シンドイ」と思うよ。
楽な道は、やっぱり無いんだよね。
売れようとも、売れなくとも、シンドイと思う。
よほど好きじゃないとやれない。
或いは運命的なものもあると思う。
スピリチャルな言い方で言えば、「魂の選択」
もっと超越的な言い方で言えば「すべて宇宙の計らい」www
まあ、頑張って欲しいけど、音楽家として生き残れるの人は、そう多くはない。
それでも音楽をやりたいかどうかだけだと思う。
音楽の旅は祝福されている。
ボンボヤージ!!!
音楽は至福だ!!
よい旅を、心から祈っています。

ウォンウィンツァン
2017-09-05
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<春分の日、朝日カルチャーセンターでのトーク&コンサート>
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 今日、春分の日は、新宿住友ビル10階にある、朝日カルチャーセンターでトーク&コンサートでした。
アサカルは震災直後の横浜教室から、今回で6回目になります。
教室いっぱいの受講生たちには小学生から80歳以上のご高齢の方まで、70名ぐらいの方たちが受講してくださいました。
講演では、主に映像と音楽制作のお話をさせていただきました。
また自分のナショナル・アイデンティティーに関するお話と「サトワの夢」の演奏。
また軽い初歩的な瞑想導入から即興演奏をさせていただきました。
あっという間の2時間、充実した内容だったと思います。

 それと瞑想に関するお話で、「皆さんは感動というものを体験したことが有りますか?」という質問に、殆どの人が挙手してくれました。
「感動こそが、もっともスピリチャルで、超越的な体験なのです。
瞑想は、感動の源、つまりは魂にたどり着くためのノウハウです。
魂から発する音楽は、聴く人の感動の源、つまりは聴く人の魂に触れることが出来る、というのが私のビリーフです。」というようなお話をさせていただきました。

 とっても驚いた講演後のエピソード。
受講してくださったご家族がいて、私の即興のCD「ビハインド・ザ・フォーレスト」の中の「雲と影絵」を、11歳の女の子が、自分で耳コピーして演奏してくださいました。
即興曲ですから、楽譜に記譜できないようなタイミングがいっぱいです。
和音的にも結構高度なものが入っています。
それなのにシッカリコピーして、小さな子供の手で演奏してくれました。
感動でした。
どんなに才能があったとしても、相当努力しないと演奏できない曲です。
自分の音楽や演奏が、11歳の小さな魂に届いている。
いい加減な気持ちで音楽できないな〜と自戒するひと時でも有りました。
彼女の将来が楽しみ。
ぜひ存分に音楽を楽しんでほしいものです。
彼女の演奏する姿はとっても印象度が高いものでした。

2017-03-20
ウォン・ウィンツァン
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<霊的な感受性について>
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 霊的な感受性は、人間なら、殆どの人が持っている。
そんな訳ない、と思うだろうか。
神秘体験や霊的な体験をしている時、大脳辺縁系が活性化することが知られている。
つまり大脳辺縁系を持っている人なら、霊的感受性があるはずだ、というのは根拠になるだろうか。
我が師匠、吉福伸逸氏は「霊的体験をしないということは、その人に何らかの抑圧があると考えていいと思う」と断言していた。
不可解なものへの恐れや不安、あるいは科学合理主義に拘泥している人は、霊的体験に対してブロックがあるのだろうか。

 人間には得手不得手があるのだから、霊的な感受性が強い人もいれば弱い人もいる。
足に障害がなければ、どんな人も走れるけど、100mを10秒で走れる人は殆どいない。
霊的な感受性も同じようなことが言える。

 ただ、100mを10秒で走れる人が、人格的に良い人かどうかは別の問題であるように、霊的感受性が高い人が、霊格が高いなんてまずありえない。
ココらへんが大きな誤解を呼んでいる。
むしろ霊的感受性の高さが仇になって、霊的エリート主義というか、選民意識が強く、とんでもないグルやヒーラーになったりしているのを、巷でよく見聞きすることだ。
私のまわりにはクンダリニーが起きちゃった女性たちや、スプーンをグニャグニャに曲げてしまうサイキック女子が、沢山いる。
何故か男子が少ないけど、、、
彼らはみな普通の人達だ。

 100mを20秒で走る人が、日々の修練によって19秒に挑戦する姿は美しい。
霊的感受性や霊能力をアップさせるために、それなりの努力をすることも、それはそれで良いとは思う。
日常生活や人間関係に支障をきたさないのなら、と言う条件はあるが、、、
ただ、それが霊格のアップのために行っているとするなら、それはお門違いだ。
霊格と霊能力は、はっきり全く別のものだ。

 霊格とはなんだろう?
私もよく解らない。
この人は霊格が高いな〜と感じる人に時々出会う。
感じるということと、解かるということは別のことだ。
その方の霊格の根拠を言葉にすることは出来ない。

 ただ、絶対言えることは、霊格の問題の前に、人格の問題があるということ。
人格の成長を蔑ろにして、霊格の成長は、まず無い。
人格的問題をクリアーできてない人が、あたかも霊性が高いかのような振る舞いは、滑稽だ。
とは言え「人格とはどういうこと?」となると、また違う議論が必要になる。

 さて、幼い頃から子供の才能を見出した親が、その子の成長のために環境を整えてあげようとするのは自然なことだ。
運動能力の優れた子は、環境や適切な指導者によって、100mを10秒で走れる子になるかもしれない。

 では霊的感受性が強い子に関してはどうだろう?
霊的感受性は年令に関係なく、突然開花することがある。
運動能力への社会や世間の理解というものはあるが、霊的なものの社会的理解は、日本には殆ど無い。
子どもの頃に神秘体験をした子どもが、その後、困難な人生を歩まなくてはならなかったという話は、よく聞く。
両親にも社会にも、そのような子ども達を受け入れられるような能力も知識も、今の日本には用意されていない。
沖縄にはノロの伝統があるけど、霊的伝統の神秘主義には、語弊を恐れず言えば、迷妄が濃厚にある。
このことはまた別に議論したい。

 私たちはダライ・ラマやクリシナムルティのような、霊的な英才教育によって成就した指導者を知っている。
しかしそれは、本当に稀なこと、稀有なことなのだ。
たとえ親に霊性への理解があっても、その子が現実社会に住む以上、かなり難しい。
少なくともその子を霊的指導者に育てようとなどはしないほうが良い。
自分の子供を江原啓之みたいな霊能力者にしたいと思う親もいるかもしれないけど、、、、

 運動能力のある子どもをアスリートに育てようとするとしても、その子の人格的な成長も蔑ろには出来ない。
100mを10秒で走れたとしても、それはそれでしかない。
霊的感受性も、それでしかない。
100mを10秒で走ることが出来ることは、その人の存在力を高めてくるように、霊的感受性は、その人の人生を豊かにするだろう。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
彼の、そして私達の人生の殆どは、社会で生きていくことなのだ。

 子供の霊能力を大事にすることは必要だけど、それを過剰に子供に求めるのは、その子にとって難しい状況にさせてしまう。
子どもは親が求めていることを察知し、無意識にそれに答えようとする存在だ。
親から多くの愛を獲得するために、そのように振る舞う存在なのだ。
子どもの親への忖度能力は、子どもが生き延びるために必要なことなのだけど、、、
そのことによって子供の能力が高まることもあるとは思う。
でも、親がターゲットになっているので、自然な能力の発育にはなかなかなりにくい。
それは霊能力だけに限らない。
すべての能力の成長を促す場合によく起こることだ。
殆どの場合、その子の可能性とは違う方向の能力を親は求めている。

 自然な成長、と言う言葉は、言うのは簡単だけど、やはりとっても難しい。
何れにせよ、その子の成長を見守りながら、過剰ではなく、また、過少でもなく、その子にとって、最も適した、健全な環境を用意することは、至難の業だと思うが、親として、子どもにやってあげたいことだとは思う。

 さて、どんな人も必ず霊的な感受性を持ち合わせている、と書いた。
そのことを最も顕著に体験することになるのが、死というものが身近になったときだ。
死に近づくと、自我が希薄になって、ブロックが取れるのだろうか。
嫌がおうにも霊性が濃密になるのが、死という体験だ。
霊的なことに無知でいると、死に直面して狼狽えることになる。

 35年前、私の母は膵臓がんで他界した。
死の直前、さまざまな霊的体験を繰り返していた。
医者は瀕死の患者がモルヒネなどで、そういう体験するのだと言っていた。
でも、そうではなかった。
あの時、ちゃんと対応できなかったことが残念でならない。
その後、妹や義父を看取ったが、彼らの霊的体験に寄り添えたのは、本当に良かった。
彼らから掛け替えのないプレゼントを与えてもらえた。
実りの深い終末であり、別れだったと思う。
己の終末を、実り多い、豊かな最後にするために、多くの人が霊的な感受性について、健全な知識を持ってくれることを、心から望んでいる。

 人間の終末の霊的体験について、数多い看取りの体験から書かれた、示唆に富んだ文章をここに紹介したい。
是非、読んでほしい本だ。

大切な人の看取り方 デニー・コープ https://www.amazon.co.jp/dp/4864100810/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BF7YybSVWB8R6 @amazonJPさんから
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<アッキーに思うこと>
「良い子症候群」という造語があります。良い子であることによって愛情を受ける。親から承認されるために良い子になりすぎて、自分自身を失ってしまった子供のままの大人の話です。そんな人は、誰にでも良い人であろうとする。親の言いつけを守りすぎた其の娘は、自分の考え方や心情は希薄で、アイデンティティーも揺らぎやすい。総理大臣夫人ともなれば、彼女に近づきたい、利用したいという人はいくらでもいる。良い子症候群は利用されることによって、永遠に満たされない承認願望を底なし求め続ける。総理夫人というステイタスも承認願望を充分満たさない。もっともっと良い事をして認められたい。八方に良い子であり続けることは、とても難しい。ましてや政治的背景が複雑に入り組んでいる世界に生きていればなおさら。いつか不具合が発生。今まで彼女を利用している人たちからもバッシングが始まる。本人はなぜバッシングされるのか解らない。良いことをやっているのに、なぜ?、、、そして転落が始まる。自分を保つために否認が始まる。なぜこんなに注目されるのか、私にはわからない。だから否認、無視。そうしないと自分が保てない。さて悪いのは彼女だけじゃない。良い子と、良い子を求め、利用する側との共犯関係だから、、、、
ーーーーーーーーー
 人は、人から承認されないと生きていけない。この社会は相互承認関係だともいえます。関係性だけでなく、お金や地位、学歴、役職、などなど、自分のアイデンティティーを支えるものならなんでも身につけようとします。でも承認されるためになら、なんでも良いとうわけではありません。その人がその人らしい生き方に対し、周りからの温かい承認こそが、その人を支えるのです。

 私は音楽家ですが、どんな音楽でも認められればよいというわけじゃありません。私が私らしい音楽を提示し、それを受け止めてもらえることが、私への社会からの承認なんです。私らしい音楽が社会の中で少数の人にしか承認されなくとも、です。
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「いったい私のピアノはどれ?」
(マイ・ベーゼンが我が家にたどり着くまで、、、)
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 私は、スタジオという特殊な空間で、限られた時間内に、自分が求めている音楽を表現できる演奏家ではありません。
25歳ぐらいにアメリカから帰国してから、所謂スタジオミュージシャンとして働くわけですが、打ちのめされる事ばかりでしたね。
神経症や不安症、対人恐怖などもあったので、スタジオは地獄のような場所でした。
演奏家としての自信も無かったし、最悪でしたね。

 インディーズレーベル「さとわミュージック」を美枝子さんと一緒に立ち上げた時、スタジオで録音制作をしたいと、これっぽっちも思わなかった。
で、私設のスタジオに録音に耐えうるピアノを運び込んで、他の人を気にしたり、時間や制作費に制限されることなく、とことん向き合うしか無いと、考えたわけです。

 とは言え、録音に耐えうるピアノって、、、、
当初はスタンウェイならBタイプ、ベーゼンドルファーなら225あたりを考えていました。
当時で800万円ぐらいでしょうか、、、
それでも借金しないと買えない、高価な買い物です。
でも実際にショールームに試弾しに行って、フルコンサートの音を聞いたら、もう戻れない。(汗)
私が買ったベーゼンドルファー290は当時で1450万円でした。

 こんな高価な買い物なんか、今までにしたことはないし、当然借金したりするわけですが、返せるあてがあるわけじゃない。
でも、買わないということは、他に自分の音楽に向き合う方法がない以上、音楽を断念するということだったわけです。
いや〜追い詰められましたね〜

 まずベーゼンかスタンウェイか迷っていました。
どっちを選んだら良いのか、その手がかりがない。
結局ベーゼンを選んだキッカケは、寺山心一翁さんに一言言われたことでした。
「ウォンさんにはベーゼンがきっと似合いますよ」って、、、
今考えると、なんか根拠があったのかな〜〜?www
でも、私はやはりスタンウェイではなく、ベーゼンでよかったと思いますね。
ベーゼンの音楽性は、自分にやはりピッタリだったと思う。
寺山さんを通して、宇宙が私に選ばせたというほかないですね。

 でもベーゼンと言えども、楽器によって個体差がすごくある。
ショールームにある5台のベーゼン290から、一体どれを選んだら良いの?
今ならピアノのことを少しは分かってきてるので、選ぶことが出来ると思う。
ピアノに求めるものがハッキリしている。
でも、当時、ピアノのグレードを判断する耳なんか、持っていなかった。
ピアノに関する知識なんて、何もなかった、、、
いったい私のピアノはどれ?
迷っていると、日本ベーゼンドルファー社の主任調律師が「実はまだ調整していない日本に運ばれたばかりのピアノがあるんですが、、、」
そう言って倉庫から運び出されたベーゼン290は、まだハンマーに針が入っていない、まっさらの音、つまりひどい音だったのです。
これから音作りがされる前のピアノの音って、最悪なのです。

 最終的にはそのピアノが我が家に来ることになりました。
でも、それを決定するまで、どんなに追いつめられたか、、。
だって、選ぶピアノが、果たして本当に良いピアノなのかどうかわからない。
しかも1450万円、借金して、返せるあてがあるわけじゃない。
何よりも、このピアノを通して、自分の音楽を成就することが出来るのかどうか、まったく確実なものなんかない。

 そんな混沌としていた私に一冊の本が届いた。
山川紘矢さん、亜希子さん夫妻が送ってくれた、その本のタイトルは「アルケミスト」、、、、
私は最終決定するために、掛川市にあるベーゼンのショールームに行く新幹線の中で、この本を号泣しながら読んだのは、いまでも忘れられない。
これも山川夫妻を通して、私を後押ししてくれた、宇宙のはからいなのかな〜〜
宝物は、きっと足元に埋まっている、、、

 さて、美枝子さんと父親から頭金を借りて(そう言えば、まだ返してない(汗))、後はローンを組みました。
そうやってやってきたベーゼン290は、実は「インペリアル」つまり皇帝とかって名前がついています。
そもそも、2000人規模のホールの為に作られたピアノ。
小さな私設のスタジオに、やっとこさ入って、一体どうしたら良いの?
もちろん帝王ごときの俺様ぶり。
しかもじゃじゃ馬と来ている。
はじめは茫然自失でした。
どうやってこのピアノを弾きこなせばいいの??
鍛えられました、ベーゼン290に、、、はい、、、

 ピアノに育てられた、今、本当にそう思います。
演奏し、録音し、プレイバックし、そしてまた演奏する。
それを繰り返す中で、ようやく自分の音楽が見えてきたと思います。
自分の演奏を聴き返すことは、本当に苦行でした。
でも、それ以外に方法はないのです。
演奏して、録音し、プレイバックし、自分が求めている音楽がそこに録音されているのかどうか。
「求めている」と言っても、求めているものがどんな音楽なのか分かっているわけじゃない。
「魂が求めている音楽」が刻印されているのかどうか、、、、
その繰り返しを、一体どれだけやったろう。
「DohYoh1」あたりは、一曲を1000テイク近く録音したと思う。

 「魂が求める音楽」それを自覚的にわかっていれば、多分1000テイクも録音する必要はなかったでしょう。
でも、ただただ暗中模索でした。
今でもわからないですよ「魂が私を通して、表現させようとしている音楽」、、、
やれることは、ただただピアノの前に座ること、、、
あ、勿論音出さなくっちゃ駄目だけど、、、www

 さて、確かローンは30年ぐらいの返済だったと思うけど、実は数年で返済できました。
東芝EMIがリリースしたコンピレーションアルバム「feel」に楽曲を提供したんですね。
そのコンピレーションCDには基本的にはレコードメーカーが楽曲を提供しているのですが、私の曲だけ唯一インディーズでした。
その曲とはNHKのドキュメンタリー「家族の肖像」に提供した「運命と絆」でした。
今でもあの時のプロデューサーさんのことを思い出します。
「ウォンさんのフアンです。インディーズのさとわミュージックさんはご無理かもしれないですが、是非楽曲を使わせてください。売れるとしても3万枚、うまく行けば5万枚ぐらいは売れるかもしれませんが、、、お願いします」
で、実際に売れたのは200万枚でした。

 全ては宇宙からのサポート、そうとしか思えない人生を歩ませていただいています。
寺山真一翁さん、山川ご夫妻、ピアノ選定に付き合ってくれた調律師さん、NHKの音響スタッフさん、「feel」のプロデュースさん、そして何よりも美枝子さんと親父さん、そして何よりもマイ・ベーゼン。
今、私を通して表出されている音楽は、彼らに支えられて、ようやく実現しました。
どれだけ感謝しても足りない。
その感謝は、音楽を通してしか、返すことが出来ないものなんだと思う。

マイ・ベーゼンがある。
自由に録音が出来る。
なんて恵まれていることだろう。
やっぱり、怠ける訳にはいかないな、、、
奇跡は、自ら始めることでしか、それは起きない、、、

ウォン・ウィンツァン
2017-02-21
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<社会意識のめざめ> ウォン・ウィンツァン
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 私はFBやツイッターで様々なジャンルの話題を取り上げていますが、当然その中に社会問題も入ってきます。
日本の問題だけでなく、世界で起きている様々な問題も取り上げています。
とりわけ日本で生まれ育った者としては、日本のことに一番関心があります。

 2011年3月11日の震災と、それに続く原発事故は、私の社会意識を根本的に変えました。
それまでも障碍者の問題や、地雷犠牲者の問題などにも取り組んできましたが、でも、それは自分自身の日常に危機感があったわけではありませんでした。
そんな悠長な社会意識しかなかった私にとって3・11は衝撃でした。
原発事故は、もしかしたら東京もヤバイかもしれないという危機感がありました。
つまり原発事故の被害者になる可能性があるという、まさに当事者意識をいきなり目覚めさせられたのです。

 原発事故をキッカケにツイッターやフェイスブックなどから情報を盛んに集めるようになり、それをシェアをし続けました。
今ではさほど苦労せずとも色々情報が入ってくるようになりましたし、シェアをすることはごく自然なこととしてやっています。
それらの情報をシェアするのは、正しい情報を他の人と共有することがとても大切だと考えるからです。
個人レベルでも情報を発信することが、今の時代に重要なことだと認識するからです。
一般の報道はかなり偏りがあると言われています。
何しろ報道自由度ランキング72位ですから、、、
私たち個人がメディアになって、信憑性のある情報を共有し合うことはとても重要だと考えます。

 とは言え、個人レベルの情報のシェアが、一体どれだけの広がりがあるかと言えば、はなはだ心もとないものがあります。
FBやツイッターにも限界がありますし、何より情報というものは入手しようとしない限り、届きません。
自ら情報をゲットしようとしない限り、情報に何の意味もないのです。
個人レベルの社会意識の目覚めというものが、どうしても必要です。

 「外国籍のくせに日本のことに口出すな」とネトウヨに言われていますが、私のFBFでそんなことを言う方はいらっしゃらないので、FBFの良識は素晴らしいなと思います。
私は日本の問題に限らず、世界の問題に関心があります。
関心を持つ話題なり情報は、国内外に限らずシェアしたいと考えています。

 それでも私が日本人ではないことで、私から触れないよう気を使うような話題もあります。
明確な線引があるわけではないのですが、例えば慰安婦の問題などは触れたいと思っていない自分がいます。
私が日本国籍だったら、歴史認識の問題として触れていくと思うのですが、、、、

 やはり外国人であることで、触れないようにしようとする自己規制があることは確かです。
私はフリーランスですが、それでも自己規制が働く、保身が働くのです。
ましてや企業や業界など、何らかの組織やコミュニティーに属している人が社会問題、政治問題に対して積極的な発言ができないのは、仕方がないことなのかもしれません。
逆に、其のような状況にも関わらず、果敢に発言をしている人は本当に勇気があると尊敬します。

 日本では社会問題や政治問題に積極的になることに寛容でない雰囲気は強くあるように思います。
それが国民性の問題なのか、教育の問題なのか、いろいろあるとは思います。
それに私たちの日常は、別にニュースなど知らなくても平穏だし、他人事ですよね。
私たちは放射能汚染地域に住んでいるわけじゃないし、沖縄や水俣や広島長崎に住んでいるわけでもない。
当事者意識を持つことはなかなか難しいことです。

 社会システムやインフラは高度に発達し、複雑になっています。
水道の蛇口をひねれば水は出てきますが、その向こうがどのようになっているか、殆どの人は知りません。
スイッチを押せば電気がつきますが、その電気の由来が原発なのか火力なのか水力なのか、誰も知りません。
日々使っているお金がどのような仕組みなのか理解できません。
銀行に預けたお金が、戦争や武器、原発に使われていることも知りません。
社会システムは巧妙に誰も当事者であることを知覚されないように出来ています。

 そんな中でどうやって社会意識や政治意識が育つでしょう。
難しいテーマです。
それこそ直接的な問題が自らの上に起きて、当事者にならない限り、社会意識の目覚めというのは期待できないのではと思ったりもします。

 幸福度ランキングがいつも上位になる北欧などでは、子供の頃から民主主義というものを勉強します。
ドイツでは戦争責任を徹底的に検証し、反省を重ねています。
日本はそのどちらもやっていません。
国を自分の都合よく運営したい為政者にとって、国民が社会意識に目覚めることは都合の悪いことかもしれません。
なので、積極的に民主主義教育を取り入れようとはしません。

 さて、日本はいつになったら、北欧並みの民主主義国家に成長するのでしょう。
今のところ先が見えないのが現状です。
投票率などを見ると、まだまだと言うしかありません。
日本という国がどのようなプロセスで、自立した民主国家に成長するのか、シナリオはなかなか見えてきません。

 もちろん、少しずつではありますが、若い人たちのに社会意識を持つ人が増えていると感じています。
ゆっくりですが民度は上がっています。
残念ながら、それはごく一部というしかありませんが、それでも変化の兆候はあります。
まあ、長期戦の構えで、根気よくシェアを重ねるしかないのだと思います。
心折れることもありますが、、、、
それでも自分のやれることを、気負わず、急がず、やり続けるしかないのかな、、、
そんなことを、ネトウヨ君からのメッセージを読んでから、つらつら考えていたクリスマスでした。

2016-12-25
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<別れと、再会、、>ウォン・ウィンツァン
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 ある時、FBのタイムラインを見ていたら、かつて別れた友人が他のFBFにコメントしているのを発見した。
その人は私を怒っていたので、ブロックされても仕方がないと思っていた。
でもそうじゃなかった。
そのことを知って、どこかホッとしている自分がいる。

 私は今までに、いったい何人と別れてきたろう。
随分と多くの人と別れてきた。
色々理由があったと思う。
怒って別れることもあり、怒られて別れたこともある。
相手を傷つけるような酷いことをしたのだから、別れられても仕方がない。
若さ故の人格の歪や未熟が原因だったとしても、傷つけたことを正当化は出来ない。
そして、相手から別れた場合だけでなく、私から別れた場合でも、どこか痛みとして、記憶の片隅に残っている。

 振り返ると、なんと沢山の出会いに支えられて来たことだろう。
今、自分がこうして生かされているのは、他ならない、様々な出会いに支えられているからだ。
なんのケレン味もなく、私はそう言える。
ほんとうに感謝が自然に湧いてくる。

 出会いがあれば、必ず別れもあるのだろう。
別れねばならない時は必ず来る。
そしてまたいつか再会する時が来るかもしれない。
縁起という「流れ」があれば、、、
もし再会することがあるなら、心から謝罪したいと思う。

 さて、残りの人生で、今まで別れてきた一体何人と再会することが出来るだろう。
そして、その人達に感謝と謝罪を伝えることが出来るだろうか。
まあ、それも全て「流れ」なのだろう。
その時が来れば、きっと再会することが出来るだろうし、、、
でも、再会の時が来なかったら、その痛みも受け入れようと思う。
痛みを受け入れ、それを最期まで引き受けることが、私が自らの生き方に責任を取るということだから、、、

2016-12-22
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 コンサートを終えて、なんとか最終の新幹線に飛び乗ることが出来た。
年末ということもあって車内は乗客でごった返していた。
一つだけ空いていた席に美枝子を座らせ、私は通路に立った。
風邪と疲労で立っているのがやっとだったけど、風邪は美枝子のほうが重かったし、なんとなく立っていたかった。

 マスクの下でゴホゴホとやっていると、一人の女性が他の乗客をかき分けて私に近づいてきた。
「もしかして、ピアニストのウォンさんですよね。私、フアンなんです」 
その女性の声はそれなりに大きかったので、周りの乗客は私をジロジロ見ながら「知らないな〜」とでも言いたげだった。
私的には疲労と風邪で相手にするのも面倒だ。
中途半端に有名だと本当に面倒だ、、、

 女性は私が風邪であることを察し
「ウォンさん、私ヒーラーなんです。是非私にエネルギーを送らせてください。きっと良くなる。」
そう言うと、いきなり私に手をかざし、何やら口でモグモグ言いながらイキミ始めた。
周りの乗客は、呆れた風で何とも言えない気配が立ち込めて、わたしも困り果ててしまった。

 私は突然、彼女の手をとって、語り始めた。
「いや、いいんです。私は治りたくないんです。
いいですか。私の魂が風邪で居たいと言っているんですよ。」
すると彼女は驚いたようにキョトンとしている。
私は優しく彼女の肩に手をおいて、話し始めた。
「私は魂の赴くままに生きているんですよ。
魂の赴くままコンサートをし、人を愛し、そして魂の赴くまま風邪をひいているんです。」
彼女の顔はますます不思議そうだ。
「例えば幼稚園の子供達は、魂の赴くまま遊び、踊り、歌い、そして風邪をひくよね。
でも、人は大人になるに連れ魂の赴くままには生きられなくなる。
勉強しなくてはいけない、感情を表してはいけない、働かねばいけない、風邪をひいてはいけない、健康でなければいけない。
そうやっていつの間にか、魂の意志にそって生きていくことを忘れてしまうんだ。
皆ゾンビになってしまうんだよ。
そうなると人は生きづらく、不安を抱えながら生きていかねばならなくなるんだよ。」

 彼女はようやく何かに気づき始めている。
「例えば君も、ご両親に愛されて、でも自由に生きることを許されなかった。なのでいつの間にか自分が誰だかわからなくなっちゃったよね。」
彼女の目は自分を見つめ始めている。
「親の言うことを聞いている時は愛されて、自分らしく生きようとすると認められなかった。
そうしている内に見捨てられることの不安と、強い承認願望に揺れる日々になっちゃった。
そんなときに出会ったのがヒーラーの道だったのかもしれない。」

 彼女は言い当てられてのだろう。
私を見てうなずいた。「でもね、どんなにスピリチュアルな目覚めがあっても、マインドは昔のまま、、
見捨てられ不安と、認められたい願望に振り回されて、それでは自分を取り戻せているとは言えないんだよ。
ありのままの自分ではないからね、、、
だからヒーリングに一生懸命になって、人を癒やし、そうすることによって自己イメージを高めようとした。
でも、いつも揺らいでいるんだよ」
どうもその通りだったようで彼女は涙ぐみ始めた。

 「もういいんだよ。過去の呪縛を解く時が来たんだ。
君は君のママで生きるんだ。
たましいの赴くままに生きれば、人に認められようが関係ない。
無意識の奥底に巣食ってしまった呪縛を、一つ一つ丁寧に手放していけばいい。
大変なことじゃない。
いそがないで毎日薄皮をはぐように、一つ一つに感謝してさよならを言おう。
そんなある時、自分が魂の赴くまま生きていることに気づき、生きていることを心から謳歌することができるようになる。
だいじょうぶ、そうなるよ。」

 彼女は涙ぐみながら頷いていた。
私はソッと彼女を引き寄せて、ハグをしてあげた。
彼女は泣きながらハグを返してきた。
素敵な瞬間だった。
乗客たちはどこかで話を聞いていたのだろうか。
身に覚えがある人がほとんどだろうけど、彼らが話をどう受け止めたのかは私のあずかり知らないことだ。
だが、突然私はやけにキツイ視線を感じて現実に引き戻された。
「おいおい、このスケベオヤジが〜〜」
おっと〜〜 私は女性を引き剥がしながら「まあ、魂の赴くまま行動してはいけない時もあるけどね、、、」などと弁解した時、夢が覚めたのだった。。。。
おわり、、、

ウォン・ウィンツァン
2015-12-29
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今日、1月4日、カウンセラー&セラピストとして、日本のDV問題に大きな貢献を残した野本律子さんの告別式がありました。
告別式はご家族、ご親族と、数人の親しい友人だけで執り行われました。
昨年12月27日の9時44分に息を引き取られましたが、
年明けの今日を待っての葬儀でした。
享年66歳でした。

7年前に癌を発症し、一時は回復しましたが、2年前に再発していました。
昨年頃から代替医療などを続けていましたが、ある程度の覚悟はされていたようです。
昨年11月15日に最後の講演会で、今までのDV問題への総括と、ご自身の命について語り、参加者とお別れを交わしました。
170人ほどの参加者のほとんどは野本さんのクライアントとして、彼女のカウンセリングとサポートによって、困難を切り抜けた人々ばかりでした。
講演会は、亡くなる一ヶ月前とは思えないパワフルな発声で、最後までユーモアを失わない、哀しいテーマにもかかわらず、なにか清々しい、爽やかさが残る講演会となりました。

その後、ベッドに付し、一ヶ月十日経った12月27日、一人娘の阿礼(あれい)さん一人に看取られて、命を全うされました。
蝋燭の火が消えるように、静かな最後だと聞いています。
11月15日以降、姪御さんと数人の友人達が交互にサポートと介護を続けました。
私もその一人として、ほぼ2〜3日に一晩ぐらいの割合で、野本さんの側に居させていただきました。
そして忘れがたい思い出を沢山頂きました。

野本さんと知り合ったのは、随分昔になります。
会うたびに、私自身が抱えている問題に、的確な提案をしてくれました。
そう、彼女のカウンセリングは、指導ではなく、いつも納得のいく見立てと、あくまでも「提案」でした。
彼女の見立てと提案によって、私自身がどれだけ救われたか解りません。
野本律子さんは、カウンセラー・セラピストとして、日本屈指の存在だったと思います。

しかし彼女に、本格的に会うようになったのは昨年の5月頃からです。
私はその頃、自分の人生の総ざらいをしたいと思っていました。
一人のクライアントとして、野本さんに人生総ざらいのカウンセリングをお願いしたのです。
その時に彼女からの提案は「お互いにカウンセリングをしよう」と言うものでした。
人生の最期に差し掛かって、自分も人生を振り返ってみたい、と言うのです。
それからと言うもの、それぞれの生育的な問題をとことん開示し合いました。
そして心理療法の知識のシェアも沢山しました。
それらのセッションから、私がどんなにか沢山の知識とヒントをもらえたか判りません。
彼女は本当に読書家で、勉強家でした。
ベッドに横になった野本さんが私に発した忘れがたい言葉の一つは「もっともっと、心の問題について、話したかったね、、、」と言うものでした。
それを思い出すと、本当に悔しい想いで涙が溢れます。

忘れがたい彼女の言葉に「お化けになって出てくるから、よろしくね」と言うものでした。
それは講演会で私が野本さんに、霊というもの、輪廻というものをどう考えるかという質問に対する答えでした。
そんな私の無粋な質問にも真摯に、しかもユーモアを絡めながら答えてくれたことが、まるで昨日のことのように思い出されます。
野本さんの思い出に浸りながら、しばらくはボーっとしていたいお正月です。
ここに改めて、ご冥福をお祈りします。

ウォン・ウィンツァン
2015/01/04
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