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<コア・ビリーフ(核となる信念)の壁>
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 私なりに社会問題や政治問題にコミットする中で、この数年、どうしょうもなく動かしようがない壁に突き当たってしまった。
それは社会問題なり、政治の不正なりをどんなに告発しても、社会全体としては盛り上がらない。
無関心、不参加が横行していて、どうしょうもない苛立ちと無力感を持たざるを得なかった。

 そして、私の関心はこの社会全体の心理、集合意識、道徳心理学などに移行していった。
なぜ彼等は動かないのか?
なぜ彼等はかくも防御的で、変革に対して拒否的、臆病なのか?

道徳心理学や社会心理学では、その答えを「集団選択」や「ナルシズム」あるいは「未熟な自我」「嗜癖」といった、人類のDNAや、共同幻想などに見出した。
そして最近、脳科学の世界では「コア・ビリーフ(核となる信念)」の問題として解き明かし始めている。
人間の脳は「物理的な危険」も「知的な危機」も同じ反応を引き起こすことが判ったのだ。

 つまりは、そう簡単には、人は鎧を脱がない、、、
勿論、個々人のパーソナルな問題でも同じことが起きている。
つまりアイデンティティーの崩壊を人は極度に恐れる。

 さて、ここまで来て、では、どうしたら良いのか?
どうやって社会変革が起きうるのだろうか?

 私たちは積極的に彼等を変えることは出来ない。
それはイソップ物語の太陽と風の逸話と、答えは同じ、、、
コア・ビリーフを壊そうとすればするほど、防御は固くなるだろう。
彼等(学者たち)の答えは結局は「待つしかない」ということになる。

 私たちは太陽のように、彼等を暖かく照らしながら、鎧を脱ぐまで、根気よく待つしかないのだろうか、、、
それまでに、人類全体が「ポイント・オブ・ノー・リターン」を超えないことを祈りながら、、、

コア・ビーフについての解説、日本語訳

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by wtwong | 2018-01-12 21:44 | essay
<年末のご挨拶、パパさんの旅立ち>
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 さて、今年も余すところ二日になりました。
今年も皆さんに、大変お世話になりました。
コンサートやワークショップも各地でさせていただきました。
皆さんの応援があって、活動が続けられています。
お陰で、毎日、幸せを感じています。
心から感謝しています。

 今年は今までになく激動の年になりました。
沢山出来事がありましたが、その中でも父の他界は、生涯の忘れがたい大切な体験となりました。

 昨年11月に父が転倒、大腿骨骨折で入院し、その後、今年の1月末に老人施設に入居、そして5月13日、97年間の生涯を遂げました。
病院にも施設にも、私達家族はほぼ毎日のように通っていましたので、みな疲労困憊していた矢先の旅立ちでした。

 父親との別れは、私達家族にとって、掛け替えのない思い出となりました。
亡くなる二日前、真夜中、私は父親と永劫の別れを交わしました。
父の両手を取って「もうすぐお別れだね。私たち家族が幸せなのはパパさんのおかげです。本当に感謝しています。ありがとう、パパ、、、」と話しかけました。
すると父は強く握り返してきて、目からは幾すじもの涙が流れていました。
母や妹や友人を看取ってきましたが、父との別れは、今までにない、ちゃんと向き合う中で交わした、魂の別れでした。

 そして亡くなる前日、私たちはホームでラストコンサートをしました。
パパさん、ホームに居るご老人たちや、その家族たち、そしてホームの職員に向かって、息子の美音志君、歌の枝元一代ちゃん、そして私で、最後の別れの演奏をしました。
父はちゃんと洋服を着替えて、コンサートを聴いていました。

 その翌日、5月13日、六本木でライブ演奏をしている最中、ホームから連絡がありました。
「呼吸に変化があり、至急ホームに戻って欲しい」、、、
私がホームに戻った時、美枝子が「パパさん、さんちゃんがもどりましたよ」と話しかけ、少し安心したようでした。
そしてその直後から下顎呼吸が始まり、もうすぐ別れが近いことが判りました。
私達家族は父をさすりながら、それぞれ別れの言葉を投げかけました。
それから30分ぐらい立った時、静かに息を引き取ったのです。
その時、私には魂が身体から抜けていくのが見えるようでした。

 私は今までに母や妹や友人、そして今回は父を看取らせてもらいました。
それらの体験は私の人生を豊かにしてくれています。
彼等からの大きなプレゼントだと、ほんとうに感謝です。
これらの看取りの体験をベースに、私の師匠、吉福伸逸さんの「死のワークショップ」を始めることにしました。
死ぬこと、看取ること、それらはいったいどのような体験なんだろう。
ワークショップでは、様々な角度から「死」や「見取り」そして「命」を考え、体験していきます。
今年だけで4回のワークショップをさせていただきました。
来年にはもっとブラッシュアップして、医療従事者などを対象にもワークショップをやっていきたいと考えています。

 さて、来年はどんな年になるか、とても楽しみです。
皆さんにおかれましても、幸せで健康な年でありますように、心からお祈り申し上げます。

ウォンウィンツァン
2017-12-30

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by wtwong | 2017-12-30 09:10 | essay
「ほんもの・しあわせ・ローカリズム」
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<音楽離れ、つぶやき>

若い人たちの音楽離れは、深刻だとか、、、
まあ、商業音楽が粗製濫造されたことや、インターネットで自由化されて、コンテンツがフラット化されたことなど、いろいろ理由はあるだろうけど、、、
一番難しいのは、新しい音楽の未開地が、もう殆どなくなっていることだと思う、、、、
昔は音楽を作ることや聴くことって、なにか歴史や社会や文化とかいうものに、コミットしているという実感があった。
今は、空疎なカンジがするんだろうな、、、

でも、人間の音楽を求める根源的な要求がなくならない限り、音楽は生き続けると思うよ、どんな様相になろうとも、、、
音楽を作る人、演る人に言えることは、リアリティーを持てれば幸いだよね、ってことかな、、、

それを見つけて、得るのって、大変だけど、、、
あるから、リアリティーって、、、必ず、、、

<空疎な街、、、つぶやき>

空疎と言えば、今日の午後、渋谷で打ち合わせが終わって、ウォーキングがしたかったので、代々木まで歩いた。
その道すがら、ファッショナブルなお店が延々と並んでいるんだけど、全然意識が向かない。
なんかとっても空疎な感じがして、、、
ファッションに興味が無いせいかな〜〜

<ローカルな原宿、、、つぶやき>

空疎な街だな〜
そんなこと思いながら千駄ヶ谷ぐらいにたどり着いた時に「黒うどん」という看板が目に入った。
あまりお腹が空いていなかったので、ちょっと躊躇したけど、なんか惹かれるものがあって、地下にあるお店に入った。
そしたら原宿とは思えない、どこかの田舎の居酒屋みたいな感じで、カウンターの中にいる女性が、思わず「おかあさん」と呼びたくなるような方がいて
「煮込みうどんしか無いんですよ。
味噌味か、醤油味、、、」
私は迷わず「みそで、、、」
美味しかった。
「本物のうどん」だと思った。

<街の中のローカル、、>

本物って、あるんだよ、今でも、、、
でも、それは派手じゃないし、ファッショナブルでもない、、、
でも、空疎じゃない、本物は、、、
ローカライゼーションていうのは、場所の問題じゃないような気がする。
地方とか都会とかじゃなく、本物は、でもひっそりと生き繋いでいる。
それで良いんだと思う。
そのようにしか生きることが出来ないと思うし、、

キラビヤカな幸せじゃないかもしれないけど、、、、
本物の、慎ましい幸せなんだよな〜

<本物の幸せはローカリズムから、、、>

世界はグローバリズムが席巻している。
世界は無法地帯となって、それを制御するすべがない。
マネーという実態がないお金が飛び交って、本物をどんどん駆逐している。
その先に見える社会は、寒気がするほど空疎で、いや、それどころか、荒廃した人間たちが、、、
それに抗うのはローカライゼーションしかないと思う。
そこに私達人間の本来の生きる姿があると思う。
それは身近な人との出会いから始まる、、、
でも、社会システムをローカライゼーションにカジを切ろうとする政治的な動きは、ことごとく潰されているし、有権者の意識もそちらに向きにくい、、、
グローバリズムはキラビヤカで豪華だ、、、
ローカライゼーションは地道だし、派手じゃない、、、
なので苦戦している、、、

「本物の幸せはローカルにしかない」
その事に社会が早く気づいてほしい、、、

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by wtwong | 2017-11-28 01:07 | essay
<コンサート「おくる音楽」を終えて>
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 さて〜〜
コンサート「おくる音楽」無事終了しました〜
疲れたけど、やり終えた感でいっぱいです。

 私の曲が、ストリングスと相性が良いのは判っていました。
でも、なかなか自分の思った音楽にならないのが、悩みでした。

 CD「フレグランス」の録音では14人ぐらいの編成でしたが、自分的には不満が残りました。
その後、CDの制作には、シンセサイザーやサンプリング音源で、サウンド作りをしたわけです。
それは生のストリングスでは自分の望むサウンドにはなりにくいので、それだったらシンセサイザーのほうが、よほど自分のイメージするサウンドにすることが出来ると思ったからです。
それは成功したと思います。
シンセサイザーの音質とは言え、ゴージャスなサウンドになっています。

 生のストリングスが、自分の思うサウンドにならないのは、私の編曲の技量の問題、演奏者との関係性の問題、録音の問題、お金の問題、などなどがあります。
「光の華」では、再チャレンジしたのですが、もっと不満が残り、結局ピアノソロと、ストリングスありの、二枚組にしたものです。

 昨年の浜離宮朝日ホールのコンサート「光を世界へ」を最後にこのホールからも卒業しようと思っていました。
朝日ホールの響きもピアノも大好きなのですが、私のピアノの音楽には大きすぎるといつも感じていました。
いらっしゃるお客様も、徐々に減っていきましたし、収支的にもギリギリでした。

 私が本当にやりたい音楽は生のピアノ一台で、同じ目線で、目の前のお客さんに向かって、語るように、まさにムーントークをしたい、それが原点でした。
拍手もいらない、一音一音、音を紡ぐように、演奏したい。
そういう演奏は、むしろ各地のコンサートでは出来ていました。
100人前後の規模での演奏が、自分には一番あっているといつも感じていました。
いわゆるサロンコンサートですね。

 ですので、今年は朝日ホールはやらないはずでした。
ところがもうすでに予約してあった朝日ホールのキャンセル料が、実は馬鹿にならなかったのです。
どうしょうかな〜と思っていた時に、今年3月頃、NHKの番組「目撃!にっぽん」のタイトル曲の依頼がありました。
そのストリングスの録音に、たまたま日本にいた金子飛鳥ストリングスにお願いできたのです。
そのサウンドを目の当たりにして、欲望が出てしまいました。
浜離宮朝日ホールの大きさや響きに、このグループは最適だし、最後はこのストリングスと一緒にやりたい!!

 彼等も私のサウンドを気に入ってくれました。
そして、すでに決まっていた秋の朝日ホールのコンサートの日に彼等を抑えることが出来たのは、飛鳥さんも奇跡的だと言うほどでした。

 さて、それからが大変、、、
編曲は9月の下旬から始めたのですが、やはり力量の壁がありました。
何度も何度も書き直しながら、日にちばかりが過ぎていくし、他のスケジュールもあるので、編曲だけ集中しているわけにも行かないし、結構焦燥感で追い詰められたりしたものです。
はじめは試行錯誤で、何度もやり直したり、なかなか先に進みません。
編曲の書き直しは、コンサートの直前まで続けて、金子飛鳥ストリングスのメンバーに何度もメールで新たに楽譜を送り、随分と迷惑をおかけしたものです。
飛鳥さんにもチェックして頂き、演奏上無理なことも書き直したりしました。

 どうなることかと思いながらも、コンサートの前日のリハーサルの日がやって来ました。
実はリハーサルのための時間を充分押さえてなかったんですね。
一曲最低30分のリハーサルとして、15曲やると、8時間、セッティングや休憩も入れるなら9時間から10時間は欲しいところです。
でも、私のミスで、なんと6時間しか押さえてなかったんです。
どひゃ〜〜です。
でもなんと6時間で全曲のリハーサルをやり終えたんです。
本当に奇跡!!

 そしてコンサート当日の昼、全曲を一回通して、後は本番に望みました。
コンサートはあっという間の2時間半でした。
全15曲、自分のミスはともかく、すばらしいアンサンブルが実現しました。
コンサートに来てくださったお客様はそのサウンドに魅了されたのか、沢山好意的なアンケートを残していってくれました。
それを読みながら、やはりやってよかったと、深く思いました。

 ストリングスのメンバーからも「これだけ短時間でまとまったのは、編曲や譜面がしっかりしていたから」とお褒めいただいたし、また、あのいい加減な指揮ぶりに、「思いが伝わってきたから、すごくやりやすかった」と言ってくださり、本当に嬉しかった。
メンバーからの賛辞が一番嬉しいですね。
でも、何よりあの素晴らしい音楽が実現したのは、メンバーの音楽の力量以外の何物でもありません。
すばらしいです、音楽家としても、人間的にもです!!

 さて、一つの壁を超えられた気がします。
その壁を超えるためには、これだけ年月が必要だったし、タイミングや縁起などの支えも必要だったと思います。
大きな宇宙の計らいをいうものを感じざるを得ません。

 金子飛鳥さんとストリングスのメンバーに、来てくださったお客様に、沢山の影のスタッフ、そしてさとわミュージックを支えている二人の女神に、そして天国から見守ってくれているたくさんの霊に、こころから深い感謝です。
ありがと〜〜

ウォンウィンツァン
2017-11-24
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by wtwong | 2017-11-24 03:31 | essay
<いわき市立美術館&アリオス「新しい幸福へ」ワークショップ>
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 2017年11月3日、4日の二日間、いわき市立美術館とアリオスの連携主催によるワークショップが行われました。
タイトルは「新しい幸福へ 音楽・絵・ボディをとおして自分に出会う」
講師はカラーセラピストの末永蒼生さん、江崎泰子さん、そしてwong美枝子さんと私です。
その他にサポートとして色彩学校の馬目佳代子さん、仙台から佐藤さんが駆けつけてくれました。

 参加者は10名ほどの少人数になりました。
広報が遅かったり、文化の日の二日間であったりで、それに内容が不透明(汗)だったから、、、
でも少人数なったおかげで濃密な内容になりました。

11月3日

 最初は講師の自己紹介、そして参加者の自己紹介。
自己紹介でとっても温かい雰囲気でいっぱいになっちゃって、
思いついて予定外に一曲演奏しちゃいました。

 そして美枝子さんのムーブメント。
体をほぐし、その場に馴染んでいきます。

 そして末永さんによる「ベルエポックぬり絵を楽しむ」
ロートレックやモネなど、世紀末の画家たちの作品をベースに、ぬり絵をそれぞれおもいおもいの色彩で描いていきます。
これが実に楽しく、それぞれの色彩に、それぞれの思いが現れる、これだけでセラピーになっていきます。

昼食後、、、、

 末永蒼生さんのレクチャー「ベルエポックの時代と画家たち」
ロートレックやドガなど、当時の画家たちの作品と魂のあり方を丹念に掘り起こしていく、とっても興味深い内容。

 江崎泰子さんのレクチャー「ベルエポックとジャポニズム」
当時の画家たちが北斎など、浮世絵にどんなに影響されているかを紹介していきます。
当時の日本の文化は、ヨーロッパの画家たちの憧れだったのです。

 ウォン美枝子さんのレクチャー「ダンスシーンに見るベルエポック」
イサドラ・ダンカンやロイ・フラー、当時注目されていた二人のダンサーを通して、ダンスの醍醐味を語ります。
そして実演!!
勢いに乗って、参加者全員で、ヒラヒラした紙を使って、天女舞のワーク!!
ピアノの伴奏で、みなさん気持ちよさそうに踊っておりました。

 そしてウォンのレクチャーもどき「ベルエポックと音楽」
エリック・サティを中心に当時の音楽の雰囲気、画家たちとの交流をお話ししました。
サティの独白的な文章を取り上げ、彼の生きづらさに触れたりもしました。
そして講師四人によるフリートーク、盛り上がりました〜〜
ウォンのピアノ演奏 サティやドビュッシー、オリジナルを演奏、、、

休憩を挟んで

 「私のベルエポック」表現
参加者一人一人の人生の中で、ベルエポックの時代はいつだろう?
その感覚を色彩で表現してもらいました。
みなさん創作意欲が湧いたのか、とっても熱心に描いていました。
そしてシェアリング、、、
末永さんを彼らの作品を読み解いて行きます。

 そしてそして、最後は、ベルエポック時代に流行った「カンカン踊り」
美枝子さんが夜なべして作った紙製のスカートを履いて、踊りまくりました。
私は「天国と地獄」を演奏する羽目に、、、(汗)
そして記念撮影をして、その日は終了

11月4日

 午前中はワークショップ「親子イメージ遊び《音・色・からだ》」
総勢50人ぐらいの親子が参加してくれました。
テーマは「ファミリー・オリジナル・フラッグを作る」
馬目佳代子さんがインストラクターとして進行します。
それぞれの家庭を象徴する旗を、家族で作ります。

 そして作品発表、末永さんがそれぞれフラッグの家族の意味を解読し、評価していきます、
そして美枝子さんのリードで旗を持って行進します。
そして冒険の旅へ、、、
小川になったり、風になったり、最後はゴジラになったり、、、(汗)
盛り上がりました〜〜

午後は、昨日のつづきのワーク、、、

 人数は7人、講師4人、濃密なワークです。
昨日のワークが良かったので、中学1年生の息子さんを連れて来られる方もいらっしゃいました。
まず昨日のシェアリング、みなさんすごくいい体験されたようです。

 美枝子さんのムーブメント、
そのまま呼吸法、あくびワーク、ため息ワーク、
そのまま発声して、歩き回ったり、ハグしながら発声したり、いろんなことが起こります。
ハグしながら発声し、お互いに振動を感じあうワークです。

 そして、呼吸法を使って「誕生、人生、死」を象徴するダンスワーク
ピアノが人生ダンスに寄り添います。

休憩を挟んで

 末永蒼生さんのレクチャーは「画家にみる幸福論、ニキ・ド・サンファル」について語りました。
ニキは射撃画家と異名が付いていますが、子供の頃、父親から受けた性虐待を克服するために、情念のほとばしりを、キャンバスにライフルを向けることで、自分自身を癒しました。
絵画表現がセラピーに結びついていくことにが、どういうことなのか、丁寧に掘り下げて行きます。

 それに絡めて、ジョン・レノンがアーサ・ヤノフの原初療法に巡り合って「マザー」というLPが作られたことに触れて行きます。
「表現とセラピー」は大きなテーマです。

 そして最後は「私の幸せのポスターを作ろう」
一人一人おもいおもいの自己アピールを作品にして行きます。
私は、先日亡くなられたゴスペルシンガー亀渕友香さんと最後に交わした言葉「Keep on Music」をテーマに、ピアノの周りを棟方志功の天女たちが舞う絵を描きたかったのですが、、、、(汗)
そして全員でシェアリング、、、、

 二日間、すごく充実した、内容盛りだくさんのワークショップになりました。
これも四人の講師だけでなく、いわき市立美術館と会場のアリオスのスタッフたちの下支えがあって可能になりました。
心から感謝です。
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by wtwong | 2017-11-05 22:07 | essay
<ピアノ演奏するための、手や指の大きさや強さ>
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 ピアノって、そもそも西洋人が作ったものなので、彼らの手の大きさを基準に作られている。
彼らにとっては10度(ドからオクターブ上のミ)の和音なんか当たり前、リストなんか12度ぐらい押さえられたんじゃないかな〜
しかも鍵盤は重い、、、
コンチェルトなんかバリバリ弾くには、グローブみたいな手や指が必要だ。
私の手は、以前左手を骨折して、何とかやっと押さえられていた10度も、今は9度しか押さえられない。
しかも右手首は慢性的な捻挫状態を一進一退している。

 フュージョン系の音楽は、タイミングやリズムが命だ。
思うタイミングに思う強さで演奏するには、私にとってピアノの鍵盤は重すぎる。
リチャード・ティーみたいな演奏スタイルを真似しても、せいぜい一曲演奏したら指はボロボロになっちゃう。
それに、やはりコントロールしきれていない。
力がないので歯切れも悪く、演奏も納得いくものになりにくい。
ライブなんかは、無自覚に無理に力を入れるので、指がボロボロになって、その後一週間ぐらい使い物ならなかったりする。
だいたいドラムの音量に対抗しているのだから無理がある。
くやしい〜〜

 先日のライブに私は61鍵盤のシンセサイザーを持っていった。
シンセやアンプ、キーボードスタンドなど運び、セッティングするのも大変なのだが、生ピアノを弾くよりは楽だ。
エレピアノのサウンドも欲しかった。
ご存知のようにシンセはオルガンタッチなのだ。
ああ、なんて楽なんだ〜
最近のシンセの音質はエレピだけでなく、ピアノの音質も格段に良い。
なんだ!これでいいじゃん!!!
これからフュージョン系の演奏はシンセで行くぞ〜
某メーカーから88鍵盤のオルガンタッチのシンセが発売された。
今までは88鍵盤のシンセはみな疑似ピアノタッチで生ピアノよりは軽いとは言え、それなりに重い。
よし、これからライトタッチの88鍵盤のシンセで行きますよ〜

ライブを見に来たある辛辣な方が「シンセを弾いた後、生ピを弾くとボロボロね。軽いタッチばかり弾くと、ピアノが弾けなくなるわよ」
こんな辛辣なことを私に言えるのは姉貴ぐらいしかいないけどwww
余計なお世話だよ〜
世の中的に「ピアノはすばらしい、シンセはそれに比べ劣っている」とか「やはり生の音がいい、シンセは所詮デジタル、、、」見たいな言われ方は散々聞いている。
でもね、いいじゃん、それで、、、

 音楽は表現なんだよ。
それがアナログだろうがデジタルだろうが、伝えようとするものはそれじゃない。
演奏者の伝えようとするエッセンスは、アナログだろうがデジタルだろうが、タッチが重かろうが軽かろうが、楽器が良かろうが悪かろうが、関係ない。
伝わる時は伝わるものです。
それもすべて演奏者とオーディエンス次第です。

 人は加齢とともに肉体的に衰えていく。
でも目が悪くなればメガネをするし拡大鏡もある、足が悪くなれば杖を使ったり、車椅子に乗ることもある。
指が弱くなれば、重い鍵盤をやめて、軽い鍵盤にすれば良いのさ、、、、
それに、加齢すればたしかに肉体的には衰えるのだろうが、精神的な成長は止まらない。
旅立つその時こそが、最も成長の極みにいるものだ。
(成長を止めなければ、だが、、)
その時の演奏を、聴いてみたいじゃないか、自分で、、、www
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by wtwong | 2017-08-02 12:01 | essay
<5回のジャズ・フュージョン・セッションを終えて>
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 突然思い立って、ジャズ・フュージョンをライブハウスで演奏しようと決めたのは、たしか3月頃だったと思います。
どうしてそんな気になったのか、まあ、アンフィニッシュド・ビジネスと言う言葉がありますが、やり残した感があるんでしょうね。

 1960年代後半、Miles Davisが電気楽器を導入し、リズムもロック的なものになっていきます。
私も見よう見まねで、エレキベースを演奏するメンバーを入れて、高価なエレキピアノを購入、ロックとアバンギャルドを混ぜ合わせたような演奏を新宿ピットインなどではじめました。
考えてみれば日本でいち早くジャズにロックを導入た方だと思います。
でも、そのグループは形にならず、途中で霧散してしまいます。
私自身が音楽の何たるかも解らずに、新しい楽器やサウンドを導入したからと言って、良い音楽を演奏できるわけもありせん。

 その後、ソウルバンドでムーゲンなどのディスコや、米軍キャンプなどで演奏するようになります。
それは私なりにタイム感、ドライブ感の修練のために、始めたことでした。
そして75年頃、ブラウンライスというポップグループで全米ツアーをするのですが、帰国後は、やはり8beatや16beatのバンドを結成し、リハーサルを重ねます。
そのバンドのリハーサル中、私は何度も何度もドライブの極みというものを体験します。
われをも失うぐらい、透明で、超越的な演奏!!
それは音楽的な至高体験だった。

 しかし、なぜだか音楽として統合された形にすることが出来ない。
例えば、曲として楽譜を用意すると、一番大事にしているエッセンスはなくなってしまうのです。
すばらしいドライブ感を何度も体験しながら、それでも人前に演奏するようにはならない、音楽として仕上がらないというもどかしい時間が過ぎていきます。
そして85年頃でしょうか、結局、私はバンドを形にすることを諦めます。
グループで演奏し、世の中的に認められたいという願望を諦めます。

一人でやるしか無い。
それがピアノソロを始める切っ掛けだったと思います。
その後、瞑想に出会い、ピアノ音楽のフォルムを形作り、90年代から演奏活動を開始し、今日に至るわけですが、、、、
(因みにピアノソロをする上で、あの時代のグループでの修練は大きく影響し、役立ってくれたことは、とってもありがたいことです。)

 でも、あの時代にたどり着いた至高体験が忘れられない、、、
年齢的には、自分が演奏できる期間は、そう長くはない。
今やらないと、もうやることはないだろう。
そんな思いがあってフュージョングループを再度始めようと思ったのです。

 あの頃に比べ、ミュージシャンの意識も全く別物になりました。
一週間前に楽譜と音源を渡して、リハーサルは当日だけ、、、、
でも、当日、楽器をセッティングして、演奏し始めたら、もうそれはいつでもレコーディングしても良いぐらいの仕上がりなのです。
スタジオミュージシャンとして長年キャリアを積んできたから、そのぐらい当然、と言えばそれまでですが、なかなかそんなミュージシャンには出会えません。
自分の音楽を展開したい私としては、こんなにやりやすいメンバーはいないですね。
私は自分の音楽と演奏にフォーカスするだけで良いわけです。
ある意味、とっても厳しいけど、なにか侍的というか、演奏というものへの気構えが、自分的にビシッと来るんですね。
ちょっと前に「クリエイター」についてのtogetterをシェアしましたが、売れているミュージシャンは、才能や技術はあって当然、音楽への向き合い方がシッカリ出来ている、人間としてちゃんとしているんですね。

 私と言えば、まあスタジオミュージシャンとして働いていた時代はあるのですが、やはりやりきれませんでした。
技術も気構えも出来ていなければ、人間性も出来ていなかったから、まあ、やれないですよね。www
ミュージシャンの資質として、私はスタジオ向きではありませんでした。
でも、ピアノソロの活動をする中で、人々と関わる中で、また瞑想やトランスパーソナル心理学などに出会う中で、ようやく音楽への向き合い方が定まってきたということもあるかもしれません。
年の功とかって言うことも出来るでしょうが、、、
なので、嘗てのスタジオ時代に一緒にやっていたメンバーと、もう一度セッションすることが出来たのだと思います。

 今回の演奏は、ジャンルとしては以前と同じジャズ・フュージョンになるのでしょうが、意識や考え方や、音楽性は、あの頃とは全く違っているように思います。
シーズンを終えて、今感じているのは、厳しかったけど、楽しかった、につきますね。
そして、たどり着きたい所に、まだたどり着いているわけではないので、もう少し続ける。
そして、可能ならレコーディングしたいと、まあ欲望は尽きません。
一緒に演奏したミュージシャンたちに、そして聴きに来てくださった皆さんに、心から感謝です。
ありがとうございました。
これらも、応援、よろしくお願いします。m(_ _)m
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by wtwong | 2017-07-27 03:18 | essay
ヘルマン・ヘッセ著「シッダールタ」
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 一人の青年が、晩年に悟りの境地に達するまでの、実に美しいドラマチックな物語!
若い頃に読んで、理解できずに途中で投げ出していたのですが、友人の僧侶に「いいよ〜〜」と言われて、もう一度読む気になりました。
1922年、ヘッセが45歳の時の作品です。
ヘッセが仏教やインド神秘主義、そして心理学者ユングとの交流、当時流行り始めていた実存主義とかの知識を総動員して、「解脱」というテーマで書き上げた、ファンタジーアドベンチャーと言う感じ!!!
あの当時、第一次大戦直後の不安の時代に、きっと多くの人を魅了したと思う。
今だったパウルコエーリョの「アルケミスト」のように受け入れらて、ニューエイジムーブメントに影響を与えたかもしれないな〜

 でもやはりこれはファンタジーなんだよな〜
私ごとで言えば、87年に瞑想に出会い、インド思想にどっぷり浸かって、瞑想によってエンライトメントに導かれると本気で信じていたけど、その10年後ぐらいにそれは幻想だとはっきり思った。
瞑想によって、さまざまな恩恵に預かることが出来たけど、それが解脱に導くことはないとはっきりした自覚があった。
いやむしろ瞑想は、時に直視せねばならないことを覆い隠すことすらあると思った。

 その頃オーム真理教事件などが起こったわけだけど、何故あのような事件が起きたのか、私なりの解釈は、解脱幻想への執着が、ありえないことを可能にしたと思った。
理性的に考えれば罪以外の何ものでもないものを、東大出の優秀な青年がやってしまう。
そのぐらい解脱への幻想は、奥深いものがあると思う。

 瞑想修行、あるいは伝統的な宗教修行は、自我の問題をクリアーできないと、私は考える。
健全な自我を確立しない限り、本当のスピリチャリティーを獲得することは出来ないと私は考える。
「シッダールタ」では、主人公が美しい理知的な娼婦や商人に出会い、愛欲と金銭欲や物欲にまみれ、浸りきった末に自我を超えるストーリーになっているけど、どうだろう?
私たち人間が自我を超えることって、出来るだろうか?

 我が師匠、吉福伸逸氏が私たちに提供したワークは、自我をテーマにしたものが多かった。
私たちは彼から自我の自覚化と、相対化の方法を学んだように思う。
そしてあらゆる未完プロセスを完了させ、存在不安からの脱却、そして開放の実現だった。

 「シッダールタ」は最晩年、渡し守りとなって解脱に至り、そこで得た「さとり」を修行仲間の友人に開示するのだけど、それはやはり深い瞑想の中で体験する「梵我一如」あるいは「統一場」というものだったと思う。
古典的な文体で、読みにくいところもあるけど、とっても格調高い、ファンタジー・アドベンチャーだと思う。

シッダールタ (新潮文庫) ヘッセ
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by wtwong | 2017-07-14 19:23 | essay
<言葉と自己イメージ>
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今日一日で「言葉は難しい」というコメントを何人かから頂きました。
このコメントは今回だけでなく、ツイッター時代から今日までに、幾度となく頂いています。
彼らのコメントには、伝えたいことが伝わらないもどかしさや、いらだちがあります。
怒りや不安が伴う場合も、多くあります。
勝手に解釈されているという怒りだったり、誤解されたのではないかという不安だったりですね。

確かに言葉は、不完全なコミュニケーションツールというハードルがあることは確かです。
それにコミュニケーションスキルという問題もあるでしょう。
これらは学習したり、スキルアップすることで、ある程度は解消されると思います。
(話はそれますが、私は小学校一二年は、いわゆる中華学校にいました。
なので、日本人が小学校低学年で学ぶ日本語の基本みたいなものが私には抜け落ちていて、ちょっとコンプレックスみたいなものがあるんですけどね、、、)

さて、「言葉は難しい」と嘆くときに、何かしらの感情が伴う場合、そこには言葉の問題よりも、自己イメージの問題があるように思うのです。
「自己イメージ」とは、自分はこのようにあるべき存在として、実在の自己とは別に、無意識に描いている虚像のようなものです。
この「自己イメージ」は、実在の自分とかけ離れていればいるほど脆く、傷つきやすいイメージです。
自分が伝えたい「自己イメージ」が「言葉の問題」によって、うまく相手に伝えられないと、不安になったり、怒ったりするわけです。

面白いエピソードがあります。
ある方が「私はこうだ」と言ったとします。
そこで私が「あなたはこうですね」と言い返すと、間髪入れず「いや、ちがう、私はああだ」と言い直すんですね。
そこで「あなたはああですね」というと「いや、私はなになにだ」となにか違うことを言い出します。
そして、いらだちと怒りが溢れてきます。
このような、誰かに自己イメージを壊されることに、強い不安を感じている人は、結構たくさんいます。

私の師匠、吉福さんはあらゆる場面で「ウォンさんはこうだよね」とか決めつけます。
それって自分とはぜんぜん違うので、私は言い返して修正しようとします。
「いや、吉福さん、私はそうじゃないよ」
すると「言い訳なんか、聞きたくない」ビシャwww
結局、彼は生前、私の話なんか、殆ど聞いてくれませんでした。www
でも、お陰で、私は誰に何と言われようとも、動じることもなく、自分自身のままでいられるようなりました。
人が、私の「自己イメージ」をどのように持とうが、どう決めつけようが、どうでもいいことなのです。

自己イメージが危うい人は、いつも戦々恐々としなければなりません。
でも、人にどのように思われようが、誤解されようが、決めつけられようが、かまわないと思えば、どうでもいい事なのです。
だって、自分のことを、だれかに理解されるなんて、思えないし、、

私達が自分に課することは、
●自己イメージが実存とあまり違わないということ
●柔軟な広がりのある自己イメージを持つこと
●影やネガティブな部分も自己イメージに取り込むこと
●動じないための存在力を養うこと
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by wtwong | 2017-06-01 22:02 | essay
自己防衛(嫌われるセラピー)
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我が師匠、吉福さんは人に嫌われるのが平気だった。実際、彼の親しい人たちは離れていった。最後に残った弟子たちも、吉福さんから、結構厳しい言葉を浴びせられている。それぞれそれなりに傷ついている。それでも残ったのは、彼を信奉しているからじゃない。

「なぜ人に嫌われることが大切かというと、僕の考えるセラピーは、当人が絶対に認めたくないことを認めてもらうということだからです。」(吉福伸逸. 世界に中にありながら世界に属さない)

吉福さんの言う嫌われるセラピーを自分はできるだろうか?真似事をするのだけど、その後、なにか後味の悪い思いを引きずることが多い。人に嫌われたくないという自己防衛が相当強く、私にある。「良い子症候群」について以前書いたけど、自分はいかにもそうではないかのように振る舞いながら、まさしくそれそのものなのだと思う、、、自分に嘘はつけない、、、
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by wtwong | 2017-05-19 00:26 | essay