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<いわき市立美術館&アリオス「新しい幸福へ」ワークショップ>
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 2017年11月3日、4日の二日間、いわき市立美術館とアリオスの連携主催によるワークショップが行われました。
タイトルは「新しい幸福へ 音楽・絵・ボディをとおして自分に出会う」
講師はカラーセラピストの末永蒼生さん、江崎泰子さん、そしてwong美枝子さんと私です。
その他にサポートとして色彩学校の馬目佳代子さん、仙台から佐藤さんが駆けつけてくれました。

 参加者は10名ほどの少人数になりました。
広報が遅かったり、文化の日の二日間であったりで、それに内容が不透明(汗)だったから、、、
でも少人数なったおかげで濃密な内容になりました。

11月3日

 最初は講師の自己紹介、そして参加者の自己紹介。
自己紹介でとっても温かい雰囲気でいっぱいになっちゃって、
思いついて予定外に一曲演奏しちゃいました。

 そして美枝子さんのムーブメント。
体をほぐし、その場に馴染んでいきます。

 そして末永さんによる「ベルエポックぬり絵を楽しむ」
ロートレックやモネなど、世紀末の画家たちの作品をベースに、ぬり絵をそれぞれおもいおもいの色彩で描いていきます。
これが実に楽しく、それぞれの色彩に、それぞれの思いが現れる、これだけでセラピーになっていきます。

昼食後、、、、

 末永蒼生さんのレクチャー「ベルエポックの時代と画家たち」
ロートレックやドガなど、当時の画家たちの作品と魂のあり方を丹念に掘り起こしていく、とっても興味深い内容。

 江崎泰子さんのレクチャー「ベルエポックとジャポニズム」
当時の画家たちが北斎など、浮世絵にどんなに影響されているかを紹介していきます。
当時の日本の文化は、ヨーロッパの画家たちの憧れだったのです。

 ウォン美枝子さんのレクチャー「ダンスシーンに見るベルエポック」
イサドラ・ダンカンやロイ・フラー、当時注目されていた二人のダンサーを通して、ダンスの醍醐味を語ります。
そして実演!!
勢いに乗って、参加者全員で、ヒラヒラした紙を使って、天女舞のワーク!!
ピアノの伴奏で、みなさん気持ちよさそうに踊っておりました。

 そしてウォンのレクチャーもどき「ベルエポックと音楽」
エリック・サティを中心に当時の音楽の雰囲気、画家たちとの交流をお話ししました。
サティの独白的な文章を取り上げ、彼の生きづらさに触れたりもしました。
そして講師四人によるフリートーク、盛り上がりました〜〜
ウォンのピアノ演奏 サティやドビュッシー、オリジナルを演奏、、、

休憩を挟んで

 「私のベルエポック」表現
参加者一人一人の人生の中で、ベルエポックの時代はいつだろう?
その感覚を色彩で表現してもらいました。
みなさん創作意欲が湧いたのか、とっても熱心に描いていました。
そしてシェアリング、、、
末永さんを彼らの作品を読み解いて行きます。

 そしてそして、最後は、ベルエポック時代に流行った「カンカン踊り」
美枝子さんが夜なべして作った紙製のスカートを履いて、踊りまくりました。
私は「天国と地獄」を演奏する羽目に、、、(汗)
そして記念撮影をして、その日は終了

11月4日

 午前中はワークショップ「親子イメージ遊び《音・色・からだ》」
総勢50人ぐらいの親子が参加してくれました。
テーマは「ファミリー・オリジナル・フラッグを作る」
馬目佳代子さんがインストラクターとして進行します。
それぞれの家庭を象徴する旗を、家族で作ります。

 そして作品発表、末永さんがそれぞれフラッグの家族の意味を解読し、評価していきます、
そして美枝子さんのリードで旗を持って行進します。
そして冒険の旅へ、、、
小川になったり、風になったり、最後はゴジラになったり、、、(汗)
盛り上がりました〜〜

午後は、昨日のつづきのワーク、、、

 人数は7人、講師4人、濃密なワークです。
昨日のワークが良かったので、中学1年生の息子さんを連れて来られる方もいらっしゃいました。
まず昨日のシェアリング、みなさんすごくいい体験されたようです。

 美枝子さんのムーブメント、
そのまま呼吸法、あくびワーク、ため息ワーク、
そのまま発声して、歩き回ったり、ハグしながら発声したり、いろんなことが起こります。
ハグしながら発声し、お互いに振動を感じあうワークです。

 そして、呼吸法を使って「誕生、人生、死」を象徴するダンスワーク
ピアノが人生ダンスに寄り添います。

休憩を挟んで

 末永蒼生さんのレクチャーは「画家にみる幸福論、ニキ・ド・サンファル」について語りました。
ニキは射撃画家と異名が付いていますが、子供の頃、父親から受けた性虐待を克服するために、情念のほとばしりを、キャンバスにライフルを向けることで、自分自身を癒しました。
絵画表現がセラピーに結びついていくことにが、どういうことなのか、丁寧に掘り下げて行きます。

 それに絡めて、ジョン・レノンがアーサ・ヤノフの原初療法に巡り合って「マザー」というLPが作られたことに触れて行きます。
「表現とセラピー」は大きなテーマです。

 そして最後は「私の幸せのポスターを作ろう」
一人一人おもいおもいの自己アピールを作品にして行きます。
私は、先日亡くなられたゴスペルシンガー亀渕友香さんと最後に交わした言葉「Keep on Music」をテーマに、ピアノの周りを棟方志功の天女たちが舞う絵を描きたかったのですが、、、、(汗)
そして全員でシェアリング、、、、

 二日間、すごく充実した、内容盛りだくさんのワークショップになりました。
これも四人の講師だけでなく、いわき市立美術館と会場のアリオスのスタッフたちの下支えがあって可能になりました。
心から感謝です。
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by wtwong | 2017-11-05 22:07 | essay
<ピアノ演奏するための、手や指の大きさや強さ>
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 ピアノって、そもそも西洋人が作ったものなので、彼らの手の大きさを基準に作られている。
彼らにとっては10度(ドからオクターブ上のミ)の和音なんか当たり前、リストなんか12度ぐらい押さえられたんじゃないかな〜
しかも鍵盤は重い、、、
コンチェルトなんかバリバリ弾くには、グローブみたいな手や指が必要だ。
私の手は、以前左手を骨折して、何とかやっと押さえられていた10度も、今は9度しか押さえられない。
しかも右手首は慢性的な捻挫状態を一進一退している。

 フュージョン系の音楽は、タイミングやリズムが命だ。
思うタイミングに思う強さで演奏するには、私にとってピアノの鍵盤は重すぎる。
リチャード・ティーみたいな演奏スタイルを真似しても、せいぜい一曲演奏したら指はボロボロになっちゃう。
それに、やはりコントロールしきれていない。
力がないので歯切れも悪く、演奏も納得いくものになりにくい。
ライブなんかは、無自覚に無理に力を入れるので、指がボロボロになって、その後一週間ぐらい使い物ならなかったりする。
だいたいドラムの音量に対抗しているのだから無理がある。
くやしい〜〜

 先日のライブに私は61鍵盤のシンセサイザーを持っていった。
シンセやアンプ、キーボードスタンドなど運び、セッティングするのも大変なのだが、生ピアノを弾くよりは楽だ。
エレピアノのサウンドも欲しかった。
ご存知のようにシンセはオルガンタッチなのだ。
ああ、なんて楽なんだ〜
最近のシンセの音質はエレピだけでなく、ピアノの音質も格段に良い。
なんだ!これでいいじゃん!!!
これからフュージョン系の演奏はシンセで行くぞ〜
某メーカーから88鍵盤のオルガンタッチのシンセが発売された。
今までは88鍵盤のシンセはみな疑似ピアノタッチで生ピアノよりは軽いとは言え、それなりに重い。
よし、これからライトタッチの88鍵盤のシンセで行きますよ〜

ライブを見に来たある辛辣な方が「シンセを弾いた後、生ピを弾くとボロボロね。軽いタッチばかり弾くと、ピアノが弾けなくなるわよ」
こんな辛辣なことを私に言えるのは姉貴ぐらいしかいないけどwww
余計なお世話だよ〜
世の中的に「ピアノはすばらしい、シンセはそれに比べ劣っている」とか「やはり生の音がいい、シンセは所詮デジタル、、、」見たいな言われ方は散々聞いている。
でもね、いいじゃん、それで、、、

 音楽は表現なんだよ。
それがアナログだろうがデジタルだろうが、伝えようとするものはそれじゃない。
演奏者の伝えようとするエッセンスは、アナログだろうがデジタルだろうが、タッチが重かろうが軽かろうが、楽器が良かろうが悪かろうが、関係ない。
伝わる時は伝わるものです。
それもすべて演奏者とオーディエンス次第です。

 人は加齢とともに肉体的に衰えていく。
でも目が悪くなればメガネをするし拡大鏡もある、足が悪くなれば杖を使ったり、車椅子に乗ることもある。
指が弱くなれば、重い鍵盤をやめて、軽い鍵盤にすれば良いのさ、、、、
それに、加齢すればたしかに肉体的には衰えるのだろうが、精神的な成長は止まらない。
旅立つその時こそが、最も成長の極みにいるものだ。
(成長を止めなければ、だが、、)
その時の演奏を、聴いてみたいじゃないか、自分で、、、www
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by wtwong | 2017-08-02 12:01 | essay
<5回のジャズ・フュージョン・セッションを終えて>
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 突然思い立って、ジャズ・フュージョンをライブハウスで演奏しようと決めたのは、たしか3月頃だったと思います。
どうしてそんな気になったのか、まあ、アンフィニッシュド・ビジネスと言う言葉がありますが、やり残した感があるんでしょうね。

 1960年代後半、Miles Davisが電気楽器を導入し、リズムもロック的なものになっていきます。
私も見よう見まねで、エレキベースを演奏するメンバーを入れて、高価なエレキピアノを購入、ロックとアバンギャルドを混ぜ合わせたような演奏を新宿ピットインなどではじめました。
考えてみれば日本でいち早くジャズにロックを導入た方だと思います。
でも、そのグループは形にならず、途中で霧散してしまいます。
私自身が音楽の何たるかも解らずに、新しい楽器やサウンドを導入したからと言って、良い音楽を演奏できるわけもありせん。

 その後、ソウルバンドでムーゲンなどのディスコや、米軍キャンプなどで演奏するようになります。
それは私なりにタイム感、ドライブ感の修練のために、始めたことでした。
そして75年頃、ブラウンライスというポップグループで全米ツアーをするのですが、帰国後は、やはり8beatや16beatのバンドを結成し、リハーサルを重ねます。
そのバンドのリハーサル中、私は何度も何度もドライブの極みというものを体験します。
われをも失うぐらい、透明で、超越的な演奏!!
それは音楽的な至高体験だった。

 しかし、なぜだか音楽として統合された形にすることが出来ない。
例えば、曲として楽譜を用意すると、一番大事にしているエッセンスはなくなってしまうのです。
すばらしいドライブ感を何度も体験しながら、それでも人前に演奏するようにはならない、音楽として仕上がらないというもどかしい時間が過ぎていきます。
そして85年頃でしょうか、結局、私はバンドを形にすることを諦めます。
グループで演奏し、世の中的に認められたいという願望を諦めます。

一人でやるしか無い。
それがピアノソロを始める切っ掛けだったと思います。
その後、瞑想に出会い、ピアノ音楽のフォルムを形作り、90年代から演奏活動を開始し、今日に至るわけですが、、、、
(因みにピアノソロをする上で、あの時代のグループでの修練は大きく影響し、役立ってくれたことは、とってもありがたいことです。)

 でも、あの時代にたどり着いた至高体験が忘れられない、、、
年齢的には、自分が演奏できる期間は、そう長くはない。
今やらないと、もうやることはないだろう。
そんな思いがあってフュージョングループを再度始めようと思ったのです。

 あの頃に比べ、ミュージシャンの意識も全く別物になりました。
一週間前に楽譜と音源を渡して、リハーサルは当日だけ、、、、
でも、当日、楽器をセッティングして、演奏し始めたら、もうそれはいつでもレコーディングしても良いぐらいの仕上がりなのです。
スタジオミュージシャンとして長年キャリアを積んできたから、そのぐらい当然、と言えばそれまでですが、なかなかそんなミュージシャンには出会えません。
自分の音楽を展開したい私としては、こんなにやりやすいメンバーはいないですね。
私は自分の音楽と演奏にフォーカスするだけで良いわけです。
ある意味、とっても厳しいけど、なにか侍的というか、演奏というものへの気構えが、自分的にビシッと来るんですね。
ちょっと前に「クリエイター」についてのtogetterをシェアしましたが、売れているミュージシャンは、才能や技術はあって当然、音楽への向き合い方がシッカリ出来ている、人間としてちゃんとしているんですね。

 私と言えば、まあスタジオミュージシャンとして働いていた時代はあるのですが、やはりやりきれませんでした。
技術も気構えも出来ていなければ、人間性も出来ていなかったから、まあ、やれないですよね。www
ミュージシャンの資質として、私はスタジオ向きではありませんでした。
でも、ピアノソロの活動をする中で、人々と関わる中で、また瞑想やトランスパーソナル心理学などに出会う中で、ようやく音楽への向き合い方が定まってきたということもあるかもしれません。
年の功とかって言うことも出来るでしょうが、、、
なので、嘗てのスタジオ時代に一緒にやっていたメンバーと、もう一度セッションすることが出来たのだと思います。

 今回の演奏は、ジャンルとしては以前と同じジャズ・フュージョンになるのでしょうが、意識や考え方や、音楽性は、あの頃とは全く違っているように思います。
シーズンを終えて、今感じているのは、厳しかったけど、楽しかった、につきますね。
そして、たどり着きたい所に、まだたどり着いているわけではないので、もう少し続ける。
そして、可能ならレコーディングしたいと、まあ欲望は尽きません。
一緒に演奏したミュージシャンたちに、そして聴きに来てくださった皆さんに、心から感謝です。
ありがとうございました。
これらも、応援、よろしくお願いします。m(_ _)m
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by wtwong | 2017-07-27 03:18 | essay
ヘルマン・ヘッセ著「シッダールタ」
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 一人の青年が、晩年に悟りの境地に達するまでの、実に美しいドラマチックな物語!
若い頃に読んで、理解できずに途中で投げ出していたのですが、友人の僧侶に「いいよ〜〜」と言われて、もう一度読む気になりました。
1922年、ヘッセが45歳の時の作品です。
ヘッセが仏教やインド神秘主義、そして心理学者ユングとの交流、当時流行り始めていた実存主義とかの知識を総動員して、「解脱」というテーマで書き上げた、ファンタジーアドベンチャーと言う感じ!!!
あの当時、第一次大戦直後の不安の時代に、きっと多くの人を魅了したと思う。
今だったパウルコエーリョの「アルケミスト」のように受け入れらて、ニューエイジムーブメントに影響を与えたかもしれないな〜

 でもやはりこれはファンタジーなんだよな〜
私ごとで言えば、87年に瞑想に出会い、インド思想にどっぷり浸かって、瞑想によってエンライトメントに導かれると本気で信じていたけど、その10年後ぐらいにそれは幻想だとはっきり思った。
瞑想によって、さまざまな恩恵に預かることが出来たけど、それが解脱に導くことはないとはっきりした自覚があった。
いやむしろ瞑想は、時に直視せねばならないことを覆い隠すことすらあると思った。

 その頃オーム真理教事件などが起こったわけだけど、何故あのような事件が起きたのか、私なりの解釈は、解脱幻想への執着が、ありえないことを可能にしたと思った。
理性的に考えれば罪以外の何ものでもないものを、東大出の優秀な青年がやってしまう。
そのぐらい解脱への幻想は、奥深いものがあると思う。

 瞑想修行、あるいは伝統的な宗教修行は、自我の問題をクリアーできないと、私は考える。
健全な自我を確立しない限り、本当のスピリチャリティーを獲得することは出来ないと私は考える。
「シッダールタ」では、主人公が美しい理知的な娼婦や商人に出会い、愛欲と金銭欲や物欲にまみれ、浸りきった末に自我を超えるストーリーになっているけど、どうだろう?
私たち人間が自我を超えることって、出来るだろうか?

 我が師匠、吉福伸逸氏が私たちに提供したワークは、自我をテーマにしたものが多かった。
私たちは彼から自我の自覚化と、相対化の方法を学んだように思う。
そしてあらゆる未完プロセスを完了させ、存在不安からの脱却、そして開放の実現だった。

 「シッダールタ」は最晩年、渡し守りとなって解脱に至り、そこで得た「さとり」を修行仲間の友人に開示するのだけど、それはやはり深い瞑想の中で体験する「梵我一如」あるいは「統一場」というものだったと思う。
古典的な文体で、読みにくいところもあるけど、とっても格調高い、ファンタジー・アドベンチャーだと思う。

シッダールタ (新潮文庫) ヘッセ
https://www.amazon.co.jp/dp/4102001115/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_TPjAzbGQHS3D0
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by wtwong | 2017-07-14 19:23 | essay
<言葉と自己イメージ>
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今日一日で「言葉は難しい」というコメントを何人かから頂きました。
このコメントは今回だけでなく、ツイッター時代から今日までに、幾度となく頂いています。
彼らのコメントには、伝えたいことが伝わらないもどかしさや、いらだちがあります。
怒りや不安が伴う場合も、多くあります。
勝手に解釈されているという怒りだったり、誤解されたのではないかという不安だったりですね。

確かに言葉は、不完全なコミュニケーションツールというハードルがあることは確かです。
それにコミュニケーションスキルという問題もあるでしょう。
これらは学習したり、スキルアップすることで、ある程度は解消されると思います。
(話はそれますが、私は小学校一二年は、いわゆる中華学校にいました。
なので、日本人が小学校低学年で学ぶ日本語の基本みたいなものが私には抜け落ちていて、ちょっとコンプレックスみたいなものがあるんですけどね、、、)

さて、「言葉は難しい」と嘆くときに、何かしらの感情が伴う場合、そこには言葉の問題よりも、自己イメージの問題があるように思うのです。
「自己イメージ」とは、自分はこのようにあるべき存在として、実在の自己とは別に、無意識に描いている虚像のようなものです。
この「自己イメージ」は、実在の自分とかけ離れていればいるほど脆く、傷つきやすいイメージです。
自分が伝えたい「自己イメージ」が「言葉の問題」によって、うまく相手に伝えられないと、不安になったり、怒ったりするわけです。

面白いエピソードがあります。
ある方が「私はこうだ」と言ったとします。
そこで私が「あなたはこうですね」と言い返すと、間髪入れず「いや、ちがう、私はああだ」と言い直すんですね。
そこで「あなたはああですね」というと「いや、私はなになにだ」となにか違うことを言い出します。
そして、いらだちと怒りが溢れてきます。
このような、誰かに自己イメージを壊されることに、強い不安を感じている人は、結構たくさんいます。

私の師匠、吉福さんはあらゆる場面で「ウォンさんはこうだよね」とか決めつけます。
それって自分とはぜんぜん違うので、私は言い返して修正しようとします。
「いや、吉福さん、私はそうじゃないよ」
すると「言い訳なんか、聞きたくない」ビシャwww
結局、彼は生前、私の話なんか、殆ど聞いてくれませんでした。www
でも、お陰で、私は誰に何と言われようとも、動じることもなく、自分自身のままでいられるようなりました。
人が、私の「自己イメージ」をどのように持とうが、どう決めつけようが、どうでもいいことなのです。

自己イメージが危うい人は、いつも戦々恐々としなければなりません。
でも、人にどのように思われようが、誤解されようが、決めつけられようが、かまわないと思えば、どうでもいい事なのです。
だって、自分のことを、だれかに理解されるなんて、思えないし、、

私達が自分に課することは、
●自己イメージが実存とあまり違わないということ
●柔軟な広がりのある自己イメージを持つこと
●影やネガティブな部分も自己イメージに取り込むこと
●動じないための存在力を養うこと
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by wtwong | 2017-06-01 22:02 | essay
自己防衛(嫌われるセラピー)
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我が師匠、吉福さんは人に嫌われるのが平気だった。実際、彼の親しい人たちは離れていった。最後に残った弟子たちも、吉福さんから、結構厳しい言葉を浴びせられている。それぞれそれなりに傷ついている。それでも残ったのは、彼を信奉しているからじゃない。

「なぜ人に嫌われることが大切かというと、僕の考えるセラピーは、当人が絶対に認めたくないことを認めてもらうということだからです。」(吉福伸逸. 世界に中にありながら世界に属さない)

吉福さんの言う嫌われるセラピーを自分はできるだろうか?真似事をするのだけど、その後、なにか後味の悪い思いを引きずることが多い。人に嫌われたくないという自己防衛が相当強く、私にある。「良い子症候群」について以前書いたけど、自分はいかにもそうではないかのように振る舞いながら、まさしくそれそのものなのだと思う、、、自分に嘘はつけない、、、
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by wtwong | 2017-05-19 00:26 | essay
お知らせです。
私の父、ウォング チョング タク(黄 頌徳)は、
5月13日(土)夜の11時45分、
静かに息を引き取りました。
享年97歳でした。

ライブの演奏中に、ホームから血圧が測れない状態になったという電話が入りました。
私がライブを終えて、ホームに駆けつけた時、すでに下顎呼吸が始まっていました。
それから、私たち家族は、父の手を握ったり、身体をさすったりしながら、口々に「パパ、ありがとう」「パパのおかげでみんな幸せです」などと声がけを続けました。
父は私たちの声に反応し、涙を浮かべていました。
そして、30分ほど経った時、軽いシャックリのような動きがあり、呼吸が止まりました。
私たちはそれでも声がけや、身体をさすることをやめずにいました。
呼吸が止まっても、まだ意識は残っていると思ったからです。

そしてしばらく経ってから、看護師さんや介護士さんと一緒に、身体を拭いたり、パパさんのユニホームである、ワイシャツ、ネクタイ、スーツを着させ、死化粧をしてあげました。
それもパパさんを見送るための、大切な儀式でした。

葬儀はパパさんの遺言通り、家族だけで執り行うことになります。
私の妹の時と同じように、自宅で、美音志くんや私が演奏して、父を見送ろうと思います。

私のパパさん話題をお読みいただいた皆さんは、心配されていたと思います
またFBFにはパパフアンが沢山いらっしゃると思います。
私のパパさん話題には、皆さんから温かいお言葉を沢山いただきました。
心から感謝いたします。
ありがとうございました。
私にはパパさんとの思い出が沢山あるので、パパさん話題はまだまだ終わりません。
楽しみにしていてください。
本当にありがとうございました。
合掌

ウォンウィンツァン
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by wtwong | 2017-05-17 06:23 | essay
<社会の中に生きる>
ウォン・ウィンツァン
2017-01-14
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以下の文章は、名古屋市の鶴田商会さんが発行してる通信紙「ゆっくりずむ」に投稿したものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 初めまして。ウォン・ウィンツァンと言います。ピアニスト・作曲家・心理ワークのファシリテーターなどもしています。私が作曲した曲で現在NHKで放映されているのは「にっぽん紀行」「目撃!にっぽん」「こころの時代」のテーマ曲です。お聴きになった方もいらっしゃるかもしれません。

 私の父や母の家系は殆どが商売人です。父は自身を商売人と呼んでいます。香港の華僑の家系ですから、、、でも母方の祖母は神戸の芸者さんでした。私の音楽の遺伝は日本人の祖母から受け継いだに違いありません。

 19歳からプロとして活動をはじめました。とは言え自分の音楽スタイルを確信するには、40歳になるまで、ほぼ20年かかりました。その後もそれなりに錯綜するのですが、、、自分の音楽スタイルを見つけることが出来ず、暗中模索、五里霧中時代はやはり苦しい毎日でした。そして生きるために、所謂音楽業界の中で働いていました。スタジオミュージシャン、タレントさんの伴奏や、テレビCMの作曲などをして、生き繋いできました。

 とっても苦しい時代でした。でも今思い出すと、その修行時代は私が精神的に自立するのに必要な時代だったと確信します。特にTVCM制作は、、、、私の上には音楽プロデューサー、音楽制作事務所、映像制作プロデューサー&事務所、広告代理店、クライアント、そして社長と、それこそ士農工商作曲家、みたいな感じです。私の制作したCMを、上にいるあらゆる部署の偉いさんたちにプレゼンせねばならないのです。

 その試練は、私にコミュニケーション力や、相手の気持を察する能力や、自分の思い込みを手放す修行、自分の思いを伝えるスキル、何を言われようが自分を失わない強さ、それらを学ぶにはなかなか得難いシチュエーションでした。プライドを踏みにじられることも、決して少なくなかった。今思い出してもムカつきます。(笑)97歳になる父は「あなたは社会に出たことがないから、苦労を知らない」と決めつけられたりします。香港から戦前に留学し、戦中戦後と生き延び、華僑が日本で起業して、引退するまで、それ相当な苦労だったと思います。頭が下がります。

 さて、私は40歳になったとき、ようやく人前で演奏したり、自作の曲を披露できるほどになりました。その時、業界から身を引いて、奥さんと二人でインディーズレーベル(SATOWA MUSIC)を立ち上げました。あの当時は「自主レーベル」と言って、業界からデビューできなかったアーティストが仕方がなく、自費でレコードを出すことを指していました。

 でも私たちには業界で培ったスキルがありました。(因みに奥さんは店舗デザイナー)すなわちレコード業界のシステムでは作れない音楽やCDジャケットを、インディーズであるからこそ作ることが出来ると、私たちは確信していました。あるレコードメーカーの方が私たちのCDを見て「これはメーカーでは絶対制作できない」と感嘆していました。やった〜

 SATOWA MUSICはこの25年ぐらいの間に30タイトル以上のCDをリリースすることが出来ました。それも20年間の修行時代に、制作スキルと、コミュニケーションスキルなど、社会でしか得られない技量を得られたからに他ならないと思います。人間は社会の中でしか成長する機会がありません。どんな人も、自身の生き方を生きるためにも「社会化」は絶対必要なのだと思っています。

 さて、私たちは昨年、平和をテーマにした楽曲「光を世界へ」をリリースしました。このCDの制作では、沢山の友人達がボランティアで参加してくれました。CDの収益は友人の平和活動をしている5つのNGOに送られます。そんな活動ができるのも、友人知人、そしてオーディエンスに支えられているからだと、感謝の気持ちが湧いてきます。

 人間は一人では幸せになれない。ひとりの人間として、しっかりまっとうな、健全な人格を成長させ、沢山の愛する友人に囲まれてこそ、本当の幸せがあるのだと、つくづく思います。
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by wtwong | 2017-04-27 22:32 | essay
<即興演奏についてーマイルスに学んだこと>
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 私は19歳から、ジャズピアニストとして演奏活動を開始しています。
あの頃はチックコリヤやキースジャレット、ハービーハンコックなどを追い求めていました。
自分はアソコまでたどり着けるという不遜な自惚れがあったので、憧れという言葉は使ってなかったけど、今思うと憧れていたんだな〜www

 何をお話したかったかというと、私にとって「即興」はデフォルトとしてあったのです。
ジャズは即興こそがその醍醐味です。
なので「どうやって即興を学べばいいのか?」という質問にいつもうまく答えられないのです。
先日、経王寺で、同じピアニストの上畑正和さんと即興デュオをやりました。
彼とは、これまでもデュオを何度もやっていることもあり、息もピッタリ。
聴いてくださった方たちから、まるで楽譜があるかのようだと感想をいただきました。
私は茶化して、テレパシーだよ、なんて言っていますが、、、

 でも、私も「即興とは何か?」と思い悩んだことがあります。
「即興とは、一つの出来事に対し、どのように反応するのか?」と言って良いかと思います。
まず最初に「一つの出来事」があり、それに対し「次の出来事」とどのような関係性があるのか?と言うことです。
音と音の間にある関係性とは何か?
それが全くわからなくなってしまったのです。

 それまで手癖、足癖のように音を出していた訳です。
即興演奏は慣用句を多用することでも、成り立ちます。
沢山、或いは少し、フレーズのストックがあって、それを順番に出していっても即興演奏と言うことも出来る。
でも、ある時、それがどうしょうもなく嫌になっちゃった。
と言うか、自分が嘘臭くてしょうがなくなったのです。

 即興ってなんだろう?
思い悩みましたね〜。
そんな時、出会うべき音楽に出会ったのです。
青天の霹靂というか、そのぐらい衝撃でした。
それはMiles DavisのBitches BrewというLPのなかのMiles Runs The Voodoo Downという曲でのマイルスの即興演奏です。

https://youtu.be/Wsw8fERaGrY

 即興は、或いは音楽は、音と音との関係性です。
マイルスのフレーズを辿っていくと、その音と音との関係性の密度というか濃度というか、飛躍性というか、有機性というか、私には衝撃的に解った、というかドカ〜〜ンと受け取ったというか、、、
目からウロコ、棚からぼたもち(違うか、、)、開眼しちゃったのです。
彼の即興には、フレーズからフレーズを辿っていくその奥底に、濃密な、有機的な「物語性」があるのです。
「物語性」です。

 即興とは、ひとつの語り、から、もう一つの「秘められた語り」を、紡ぎ出すこと、あるいは、探し当てることが、ようやく判ってきたのです。
グループで演奏している時はグループと、一人で演奏している時は、自分自身に、語り続けることなんだとわかったのです。
音と音の間にある、秘められた有機性を見出すこと、それが即興演奏といえると思います。

 最近、坂本龍一さんの2009年ごろのコンサート録音のピアノ即興を聴いていました。
坂本さんは、押しも押されぬ世界的音楽家です。
ですから、勿論、今までも高く評価していました。
でも、ピアノ即興を聴いて「この人はすごいな」と思いました。
非常に真摯な演奏をされていると思いました。

 現代の音楽は、ある意味、あらゆる「物語性」は使い古されて、もうどこにも新しい地平がない感じです。
フロンティアが成立しないのが現代です。
そんな中にあって、坂本さんがピアノに向き合う時、その事と熾烈に戦っていることが、私には手に取るように解りました。
翻って、自分の演奏が、ともすれば安直に陥っていると、ちょっと恥ずかしく思ったりしました。

 嘗てマイルスの「物語」に衝撃を受けたときのように、もう一度、自分自身に「即興とは何か?」を問い詰めてみたくなりました。
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by wtwong | 2017-03-24 11:12 | essay
パパさんのホーム生活
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 私達家族は、父親の変容ぶりに、嬉しい驚きでいっぱいだ。「もう、悲しいこと、悪いことは思い出したくない。楽しい思い出、楽しい人との出会い。ここは天国です。良くここを見つけてくれました。」今までネガティブなことしか言わない人が、そんなことを言うようになった。人はどんなに年をとっても変わることが出来る。

 昨年11月下旬に転倒大腿骨骨折をし、二ヶ月以上入院をしていたけど、退院を契機に老人ホームに移り住んだ。父と私で話し合って決めたことだった。退院に近づくにつれ不安でいっぱいになっていた。あれから一ヶ月以上経った。揺らぎもいろいろあったけど、今はホームのスタッフやほかの入居者とも仲良くなって。毎日が楽しそうだ。退職して以来、人と会うことを嫌がっていた父が、スタッフや同居人とお話するのが楽しそうだ。

 病院にいた頃は「生きている意味はありません。早く死なしてください。」と老人鬱状態が続いた。なんとか励ましながら、リハビリを続けていたけど、病院に馴染んだ頃、退院を迫られた。ホームに入居してからも不安定な毎日だったけど、今は健康を取り戻し、生き甲斐すら見出している。起きたり、寝たりすること、お食事や、お三時、お食事の前の体操や、週二回の入浴。ちょっとしたアクティビティ、そんな些細な事が喜びとして感じられているようだ。

 父はやはりラッキーだ。ホームに入居できたんだから。年金のない父の貯金だと、あと2年ぐらいしか居られない。まあ、其の時になったら家族で考えよう。彼の人生の殆どは仕事だった。今はすべてを手放し、ホームに流れる瞑想的な時間の中で、Rest of Lifeを楽しんで欲しい。私達家族は病院に入院して以来、日参してきたけど、ホームも家の近くなので、行かないわけにはいかなさそうだ、、、、ふ〜む、、、
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by wtwong | 2017-03-08 03:06 | essay