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<他利としてのタナトス>

 以下はとっても個人的に考えを巡らせただけのものですが、、、

 小出裕章助教に興味をもつのは、彼が反原発の戦士として何十年もいささかの揺らぎも見せずに、今日まで日本の反原発ムーブメントを牽引してきたリーダーだからだけではない。そのことはもとより私を惹きつけるのは、彼が極端までの自己放擲を自らに強いてきた強靭な精神の拠り所というものが何処からやってくるものなのか、そこが知りたいというとても個人的な興味だ。つまり私がそこに引っかかる何かが、私の内的な情念が突き動かされるなにかがあるからに他ならない。もう少し言うなら、そのような熾烈な生き方をしてしまうそこには、何らかの「業」のようなものを感じざるをえないのだ。

 吉福伸逸氏も自己放擲の人だった。何度もアイデンティティー破綻を経験し、最後はセラピーというものに自己を託した。もう少し言うなら他者のために自己放擲することによって、自己を保っていたとすら言うことすら出来る。彼はタナトスという言葉を使っていた。「自滅的な内的衝動」を、かろうじて他利的な有り様にぎりぎりの所でシフトさせていたのではないだろうか。やはり長くは生きられない生き方だったと思う。

 タクシードライバーという映画を思い出す。殺伐としたニューヨークの日常に精神が病んでいく一人の男は、ある日、モヒカン刈りになって、政治家を暗殺に行く。しかしシークレットサービスに見つかって、その場から逃げたその足で売春宿の少女を助けに行く。その英雄的行為によって新聞などから称賛されるが、彼が行動に駆り立てたのは、闇の力、自滅的な行動表出だ。彼の行った善は、ぎりぎりの分岐点で悪にならなかっただけなのだ。それほど危ういものだった。

 タクシードライバーの場合、殺伐として都会の人間性の阻害というものがその要因、背景としてあるが、小出氏や吉福氏には、その内面にいったいなにがあったのだろう。どんな人間にも本質にタナトスというものを内包している。しかしそれが彼らのように他利的な有り様で、熾烈な形で表出されるのは、いったいそこに何があるんだろう。


 私なりの理解で言えば、人間は本質的にエゴイズムを手放すことはほんとうに大変なエネルギーが要る。それはほとんどアイデンティティーを放擲することと同じだ。それをなすためには意志の力だけでは多分どうにもならない。たとえば苦行僧が激しい生死をかけた修行の結果、ある期間にそれをなんとか出来るというたぐいのものだと思う。そうやって考えると彼らの背景には、そのような意志の力を超えた、わたし達には計り知れない、あえて言えば宇宙的な意志が彼らに働いているとしか思えないのだ。私はエリートという言葉は嫌いだ。でも彼らを見ている「選ばれし者たち」という以外に言葉が見つからない。
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by wtwong | 2013-06-01 20:23 | essay