<   2013年 11月 ( 1 )   > この月の画像一覧

 昨夜、ある詩人が、新宿の風月堂で友人の詩人と会うという内容の自作詩を朗読していた。60年代や70年代の話だ。とても懐かしい。あの頃、私も新宿界隈を徘徊していた。夢の様な時代だった。でも、其処に私は居座ることが出来なかった。
 
 その内、私は米軍キャンプのラウンジや赤坂・六本木あたりでソウル系の演奏をし始めた。やはり酒と煙草と香水の匂いがしていたけど、そこに馴染むことも出来なかった。その後、アメリカに渡ってポップグループで演奏していた。アメリカには色々なチャンスが待ち構えていたのに、私は相変わらず夢の中にいるようだった。

 逃げ帰るよう日本に戻り、そのうちスタジオ業界で演奏し始めた。テレビコマーシャルを作曲したり、タレントさんのバック演奏などしながら、仕事意識の希薄な、まるでアルバイトの延長のような拙い演奏していた。日々を夢の中で生きていた。そして其処に馴染むこともなかった。

 ある日、私は瞑想というものに出会った。大きな転機だった。ライフスタイルは一変し、ようやく自分の音楽スタイルを言うものを提示することができるようになった。瞑想者の集まりに参加したり、ニューエイジ系の本を読み漁るようなった。でもやはり其処にも馴染めなかった。

 2011年3月11日、東北で大きな震災があり、それに続く福島第一原子力発電所の事故は、私の社会意識を揺り起こすきっかけになった。インターネットなどで盛んに情報を共有し、デモにも参加するようになった。それでも何らかの組織に参加することはなかった。よく解らないのだが、なぜか違和感を感じてしまうのだ。

 昨夜、酉の市に行った。私は神社仏閣が好きだ。日常じゃない佇まいがある。しかしお参りしたり、お賽銭を投げたり、縁起熊手を買って手締をしてもらっているうちに、どんどん機嫌が悪くなってきた。この空々しさは何だ。

 私は祝うことや弔うことは嫌いじゃない。儀式というものは大事だと思っている。でも冠婚葬祭はいたたまれない。結婚式も、お葬式も、じっとしていられないのだ。先日、義父のお葬式では、背筋が痛くなっていたたまれなかった。霊障かと思ったぐらいだ。儀式が終わり、僧侶が帰ったら途端に楽になった。

 なぜだかは不明だけど、魂が嫌がっている、としか言いようがない。組織というエッジがはっきりしているものだけでなく、何らかの幻想を共有するような場に居られないのだ。何かしらそれが当然のように約束事のようなものがある所には、いたたまれないのだ。

 社会や文明というものは、暗黙のうちに共同幻想や不文律をその参加者に強要する。暗黙のルールを守らないもの、あるいは受け入れようとしないものに社会や文明はあらゆる目に見えない力でねじ伏せようとする。そしてほとんどの人間は、それに対して無自覚にそれを受け入れる。

 それは社会や組織というものだけでなく、其処から逸脱した小さなコミューンですら、同じように幻想を強要する、見えない力が働くことが多い。人間は幻想を共有せずに居られない存在なのかもしれない。

 今年の4月に亡くなった私の師匠は、常に組織や徒党というものから遠ざかっていた。自ら作った組織からも離れていった。自分の思想が形というのを形成され始めると、必ずそれを壊そうとしていた。人間は幻想を積み重ねる存在だが、彼はそれから常に脱自己同一を自らに課していた。自己規制していたのではない。彼の魂が其処に居られなかったのだ。

 「魂が其処に居られないと感じている、そのことに鋭敏になれ、自覚的になれ、自分に嘘をつくな。そして本当の自由を獲得しろ。」天国から師匠が私に語りかけてくる。
f0236202_14431681.jpg

[PR]
by wtwong | 2013-11-28 14:42 | essay