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 ボランティアとは、奉仕とか、無償の活動のような意味だと思うけど、なかなか難しい部分もあるな〜。ボランティアをする方は、「世のため人の為」とか思うのだろうけど、自己満足や独善だったりする場合も多い。身勝手な奉仕活動は、かえって迷惑だったりする。金銭の見返りはもとめない。でも感謝されることや、自分の存在を誇示するためにやったりする場合も無いとはいえない。

 逆にボランティアされる方は、はじめは有難いと思いながらも、そのうち慣れてきて、奉仕されることが当然のことのようになって、感謝の気持なんか無くなってしまうことがある。なんかの事情や都合で、あてにしていたことが得られないと怒ったり、無責任だと思ったりする。皆に支えられて生きていることを忘れてしまうのだろうか。ボランティアをしている方は、怒られて、自分は一体何だったんだ、なんて思ったりする。

 でも、この世の中が成り立っているのは、実はボランティア、「無償の想い」なんだよね。経済でも、お金でも、大義でもなく、無償の奉仕や貢献が、この世の中を支えている。例えば、両親が子供を産んで、苦労して育てて、大枚はたいて、学校に行かせて、そうやって育った大人が社会に出て、この経済社会を支えている。まあ、育児放棄や、自分のエゴで子育てしている親もいるけど、、、

 わたし達が住むこの地球をよく観察すると、それぞれの無償の想いが重なり、交感され、ひとびとの生きとし生きる想いの営為の現れが、それぞれの魂に花を咲かせている事が判る。なんて素敵な社会じゃないか。様々なコミュニケーションによる想いの交感によって、この世界を光り輝かせることが出来る。だから、本当に純粋な想いを持つこと。私利私欲ではなく、相手に依存したり期待したりするのでもなく、自分や相手にウソを付くこと無く、自立した魂が、もっとも原初的な衝動としての「魂の想い」にそれぞれが気づき、「魂の想い」に寄り添って生きるとき、この世界で、この社会で、最も光輝く喜びをシェアすることが出来るんだと思う。

 私が音楽家として活動できているのは、まさに皆の「無償の想い」に支えられているからなのだな〜。コンサート主催者は私のコンサートを企画して残念ながら儲かっていない。私がメジャーで有名なアーティストだったら集客も難しくないだろうけど、本当に大変な思いをして主催してくれている。ほんとうに感謝なんだけど、彼らへの見返りは、私がどれだけ良い演奏したかどうかだけ、、、。良い演奏して、観客が喜んでくれて、主催者にレスポンスが届いて初めて「ああ、主催してよかった」と想ってもらうこと以外になんにも得られないんだよね。

 実は私も音楽をやることを、最近、奉仕であったり貢献であったりするものだと思うことが多くなっている。音楽を通して無償の想いを、友人や知人や、そしてこの社会、世界、宇宙に解き放っているんだと想ったり感じたりするのだ。望まれるからだけではなく、自分の想いがあるところなら、何処にでもいって、どんな条件でも演奏したいと思う。また、表現に想いを持つアーティストを支えていきたいと、さとわミュージックはいつもやってきた。彼らを支えることは自分たちのクリエイティブ精神を満足させているのだろう、、、

 でも、時には利用されていると感じたり、大事にされていないと感じたりすることもある。そんな時はそのような場に、本心に嘘をつかずに参加していたのかどうかを、自分自身に問いただす時だ。建前や偽善では必ずしっぺ返しが来る。想いの純粋性が試されているということのなのだろう。この社会は魂を鍛えるための道場だと思えば、それも楽しい。
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by wtwong | 2014-10-24 16:13 | essay