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「別れのためのエチュード」

 コンサートシーズンの終盤に入る束の間のオフの今日、がん末期の友人に会いに行った。「11月15日の講演会が終わったら、身辺整理を始めるわ、、。」友人が、自然な事のようにつぶやいた。死を受容していると思った。私は軽く頷きながら、どのような面持ちをしたらいいのか戸惑う自分がいた。私はまだ彼女の死を承服していない。

 「死の受容」とは一体どういうことなのだろう。「生きるために最後までがんと戦う」と言う人は多い。死を受容することは敗北だとでも思っているのかもしれない。そうすると殆どの人は敗北してこの世を去っていることになる。勿論どんな死に方もその人の選択なのだから、それで良いとは思う。しかし死を受容していない人とは、別れは言えない。死について話すことも出来ない。別れる前に話しておきたかったことも話せない。

 59歳でなくなった母親との別れがそうだった。30年以上前、がんの告知などほとんどされなかった。私は告知するべきだと考えていたが、父はそれを望んでいなかった。そして死のその際まで、生きることを望まれながら、この世を旅立っていった。もし母ががんの告知を受け、死ぬことを受容していたならば、私は母との確執を解くことが出来ただろうか。感謝を伝えられただろうか。別れを言うことが出来ただろうか。もっともっとたくさん話しが出来たのではないのか、、、。母の死後、悔いは長く残された。

 妹が母と同じすい臓がんを告知されたのは彼女が49歳の時、2006年だった。母の時のような同じ悔いは残したくない。私たちは可能な限り妹に寄り添った。病院の送り迎え、入院した病院でのサポート、ホスピスを探し、ホスピスではいく晩も明け方まで話しあった。そして一ヶ月半後、妹は家族に看取られて旅立っていった。しかしそんな時も父や旦那は死を受容していなかった。

 人はいつか別れねばならない。この歳になったせいか、死別した友人はそれなりに多い。しかしその誰とも「別れの挨拶」をしていない。其のせいか、別れた気がしないのだ。昨年春、人生の師匠とも言える吉福伸逸さんががんで余命一二ヶ月と宣告された。電話の向こうで「ウォンさん、別れはいつかあるもんだよ。」と言う。私たち家族にとって恩人とも言える人と別れを交わすためにハワイのご自宅に駆けつけた。そしていろいろお話を伺いながら、そして最後の別れを言うことが出来た。その時、彼は私に「別れなんかないんだよ。」禅問答が好きな彼は私の最後の最後まで師匠だった。

 吉福さんは私にいつもいう言葉がある「人はね、出会っていなければ、別れられないんだよ。」その通りだと思う。私は母と出会えなかったように、吉福さんとも出会っているとはけっして言えない。「出会う」とは「お互いの本性で向き合う」ということだ。なので私は吉福さんと当分別れられないだろう。私はもうすぐ別れねばならない友人に本当に出会えているのか。自問しながら、これから何度でも会いに行こうと思う。

http://www.werc-women.org/board/detail.cgi?sheet=hp1&no=32

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by wtwong | 2014-11-12 03:10 | essay