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 俺が精子だった頃、お前は卵子だった、、、
精子はオスが作るのだから、精子はやはり「オス」なんだと思う、、、
たとえ「子」がついていても、オスだ、、、
聖徳太子もオスだけど「子」が付いているじゃないか、、、

 精子である俺たちは、ある日突然、怒涛のごとく、恐ろしく深い、闇のトンネルに排出された。
あまりの突然の出来事に、俺たちは混乱した。
そう「俺たち」は2億もの俺たちだった。
そしてその2億の俺たちは、闇のトンネルの中で、のたうち回りながら、しどろもどろになりながら、必死で光に向かっていった。
そう、光に向かうことが俺たちの宿命だった。
深いトンネルの向こうにかすかに見える光に向かって、私たちはがむしゃらに突き進んだ。
おい、これってまるで臨死体験そっくりだと思わないか、、、

 俺たちは生まれようとしているのか、死のうとしているのか、、、、
いや実際、多くの仲間たちは死に絶えていった。
なんてこった!
2億もいた仲間たちが、どんどん無残に死んでいくのを尻目に見ながら、ああ、それでも俺たちは光に向かって、卵子に向かって、そうお前に出会うために、必死でもがき苦しみながら、生き絶え絶えに突き進んでいった。
それが俺たちの宿命、宇宙の理なのだから、、、

 そして、トンネルを抜けると、そこは光だった、、、
卵子よ、ついにお前に出会えたのだ、、、
お前にようやく近づけたのは、ふと見ると数十匹しかいないではないか、、、
いや、もっと少ないかもしれない。
俺は卵子に体当りして、壁をこじ開けるようにして、お前に侵入していった。

 するとどうだ、卵子の壁は突然強固になって、他の仲間たちが侵入しようとするのを阻むではないか、、、
つまり、卵子が受け入れたのは、この俺だけだったのだ、、、
俺以外の、残りの1億999万9999の仲間たちは、無残にも力果てて死んでいった。
俺はその事実をどう受け止めていいのか、、、
俺は自分が選ばれたことは嬉しくなんかはない、、、
生存競争なんて、いやだ!!!

 私は、ありとあらゆる競争を憎む!
争わねばならないことを憎む!!
生き残るための戦いなんて、馬鹿げている!!!
それでも私は生き残り、そして卵子よ、お前に出会った。
そして卵子の中で、私は核になった、、、
核そのものなり、そしてお前の核そのものに出会い、一つになった。
ああ〜〜ひとつになったのだ!!
卵子よ、お前の核と、私の核が一つになり、新たの核が誕生したのだ!!!
それが「誕生」のもっとも最初の奇跡だ。
二つの核から、新たな核が誕生したのだ。
二つのDNAが出会って、新たなDNAを生み出したのだ。
それはお前でもない、俺でもない、新たな「いのち」の核なのだ。

 お前でも俺でもない、新たな生命、、、
人類は、そうやって多様な命を育んだ、、、
多様性は、人類が生き残りをかけた、生命の仕組みだ。

 なのにどうだ、社会には排他性がはびこっている。
あらゆる差別と排他、競争、排除の制度、仕組みで雁字搦めにしている。
そして、有史以来、人類は延々と殺し合ってきた。
これは一体どういうことだ、、、
多様性こそが、生きることを豊かにし、繁栄するために、幸せになるために、人類が採用した仕組みだというのに、自らそれを蔑み退けるとは、、、

俺はふと、あの暗い、長いトンネルの中で、死んでいった1億999万9999の仲間たちに思いを馳せた、、、
そして、祈るような気持ちになった、、、
俺はビジョンを見た、、、
おびただしい精子達が、みな星になっていた。
広大な宇宙の隅々まで、星になった精子でいっぱいだ、、、
そして、その一つ一つは、かすかに、かすかに光り輝いている
ほら、見えるだろう、星々にシッポが生えているのを、、、

https://youtu.be/l3i4W0cR2B0
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by wtwong | 2017-10-25 20:01
<地下500m、10万年のメタフォー>
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今日は、地下500mまで潜ってきました。
瑞浪超深地層研究所です。
つまり、放射性廃棄物を地層処理するための技術ノウハウを研究するところです。
田口ランディさんの企画で、所謂アーティスト系の人々が集まりました。
アーサー・ビナードさんもいらっしゃって、ディスカッションでは色々発言されていました。
この研究所の視察は、どなたでも出来ます。
https://www.jaea.go.jp/04/tono/kengaku/kengaku.html
放射性廃棄物の処理に関する技術的な問題をお知りになりたい方は、是非、直接申し込んで、現地をご覧になってください。。
丁寧に、いろいろ説明してくれます。

さて、私が疑問に思ったことだけをここに書かせていただきます。
(1)原発に使われる濃縮ウランのうち、95%は再利用され、5%が放射性廃棄物とし処分される。
使用済み燃料は、現在の総量、1.8万トン!
その5%は、埋葬されるガラス固化体にして2万5千本相当に当たる。
現在計画されている地下処分場(場所未定)には4万本が埋葬可能だと言う。
そのコストは3.7兆円で、それは各電力会社、つまり私達が払う電気代金で賄われる。
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さて残りの95%が再処理されて、MOX燃料となる。
でも、一回しか再利用されない。
という事は、やはり5%だけじゃないと思うけど、、、
因みに再処理された場合、その容量は1/12になると言う。
ん〜〜4万本、3.7兆円で終わるとは思いにくい、、、
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(2)地層処理の研究開発、事業運営は「原子力発電環境整備機構(NUMO)」がやっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/原子力発電環境整備機構
この組織のメンバーは、各電力会社から派遣されていて、つまりは原発推進せねばならない人たちの集まりなのだ。
組織の職員が私にバリバリの原発推進言説を繰り広げていた。
311以降、原発の是非を散々議論してきた私としては、もういいよって感じだった。
彼に「組織の職員の中に、反原発を言う人はいないのか?」と聞いてみた。
首を傾げていた、、、
原発を再稼働させることが出来なければ、それらは全部負債になる。
電力会社が倒産すれば、彼等も職を失うのだから、必死かもしれない。

でも、どうなんだろう。
放射性廃棄物の処理を彼らに任せていいのだろうか?
もっと中立的な立場にある組織でないと、嘗ての原子力保安庁のように、どうしょうもなくなるのでは、という懸念が私にはある。
彼等が必死だけに、、、
一応、原子力規制委員会の検査、監査があるとは言うが、、、

NUMOの技術担当者の説明には誠意を感じられて、好感をもった。
しかし、今回の参加者から聞こえてくる声は「不安」であったり「不信」であったり、、、
原発をどうして導入したのか、という「そもそも論」も出てきた。
NUMOがどんなに誠意を持って説明努力をしたとしても、向こうサイドの人間の言葉を、信頼することはなかなか難しい。
私は、中立的な、第三者機関を設けるべきではと思う。
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私が得た結論は「保留」だ、、、
まだ何もかも煮詰まっていないと思う。
電力会社側としては地層処理が決まらないと、再稼働もままならないのだろうか?
だが私たちが、原発を止めることが国レベルで決められない限り、地層処理を許容することは難しい、、、
それも、今回の選挙で決まる。
推進側が政権を取れば、再稼働も始まり、地層処理事業も進む可能性はある、、、
だがまだ地層処理に名乗りを上げる地域はいない。
自分たちの故郷が放射性廃棄物を10万年以上、未来永劫抱えることなんて、許せるはずがない。
処分地が見つかるまで、保留にせざるを得ない、、、
嘗て原発が誘致された時は、べらぼうなお金が地域にばらまかれた。
でも311以降、それも難しくなったのかもしれない。
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「そもそも論」で私も憤懣が湧いてくる。
原発問題は今でも責任が有耶無耶だ、、、
でも放射性廃棄物の処理は、嫌がおうにも国民全体の問題になってしまった。
ランディが言うように、国民レベルの議論が必要になっていると、私も思う。
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<ユングの言葉、心理的問題.>

「人は、彼らの魂に直面することを避けるためなら、どんなにばかげたことであろうとも、しようとする」

「あなたが向き合わなかった問題は、
いずれ運命として出会うことになる」

「あなたが無意識を意識しない限り、
それはあなたの人生を支配する」

(以上、カール・グスタフ・ユングの言葉)
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心理療法というものを学んで感慨深く思うことは、なんと多くの人が心理的な問題を抱えているのだろう!ということです。
その人が、社会的に知名度があり、所謂リーダー格や、或いは宗教家にも関わらず、肝心の自分自身の問題を蔑ろにしているとしか思えないことが多いのです。
このような見方は不遜でしょうか?
でも、どんなに指導者ぜんと装っても、心理的問題は嫌がおうにも表出されてしまいます。
そのような人物がどんなに社会的に認められていようが、宗教家として高みにいようが、ユングが言うように、常に無意識から脅かされていて、本人はいろいろ生きづらさを感じているはずです。
そして、その人生のあらゆる場面で、必ず何らかの問題が起きるものです。
或いは、その人の最も身近にいる人が、その被害を受けているかもしれません。
どんな人も、心理的な問題を避けては、自分自身を生きることは出来ないのです。
魂を生きるとは、自己の全体性を直視することからしか、始まらないのです。

ウォンウィンツァン2017-10-11
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by wtwong | 2017-10-11 12:22