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障害者であること、そして、表現者であること(劇団態変に寄せて)_f0236202_22443488.jpg

 劇団態変との5回連続公演「ミズスマシ」が無事終了した。今回ほど「無事」ということばにリアリティを感じたことはない。最後の公演では、あるものは立てなくなっていたし、あるものは転がることすらできなくなっていた。まるで木の葉のようなちっちゃな女の子は、一本しかない腕を酷使して擦り切れる寸前だった。みな疲労限界だったと思う。私といえば、左手首の炎症と駆け引きしながら、ともすれば使いすぎて痛みが走りそうになりながら、なんとか最後まで持たせたようなものだった。にも関わらず、大きなトラブルもなく、回を重ねるごとに内容は充実し、高まり、研ぎ澄まされていくプロセスのそのたびに、疲れや故障など吹き飛ぶほどの興奮を味わいながら、演者とのコラボレーションを、魂の底から楽しんだ。立てなくても、もう一寸でも動けなくても、「表現する」というその一点において、何一つ曇るものはなく、彼らは、そして私も5回の公演を突き抜けていった。

 今回の公演は、劇団態変にとって58回目だという。劇団が発足したのは83年だというから、30年の歴史がある。30年の積み重ねといっても、障害者のグループが今日まで続けてくるためには、それ相当の根性がないと続けられないだろう。昨年は主要な演者が亡くなってもいる。なにがここまで彼らをして「表現」に掻き立てるのだろうか。主幹の金満里は在日韓国人で重度の障害者という、二重の差別を受けてきた。満里の母は、韓国では誰でもが知っているような著名なダンサーだという。まあ、これだけでも彼女が背負っているものがどれほどのものか、想像を超えている、ということぐらいは私にも判る。

 「表現すること」とは、自己存在に託した、生きていること、生きていくことの、ぎりぎりの証明なのだ。健常者の表現者、例えばバレーダンサーにとっては、背丈があること、足が上がること、高くジャンプできることなどが、その資質とされる。つまり健常者の中でも飛び抜けた身体能力がダンサーとして必要なのだ。であるならば、異形であること、不合理に動いてしまうことは、自由な表現という現代舞踏の世界においては、あたらしいダンスムーブメントの中では、むしろ個性としてアドバンテージになる。金満里は、障害をむしろ新たな表現の可能性とみなしたのだ。

 劇団態変のポリシーとは、以下のように高らかに謳っている。
「 態変は、身体障害者の身体表現を芸術として創出しようとする。障害を否定的にしか価値付けない方向性を内包するこの文明の中にあって、態変の営為は、常識を覆す先端的な創造を果敢に展開することに他ならない。美意識、世界観、人間観を根源的に揺さぶるまでの芸術の革新を我々は志す。

 態変の表現は人間に対する価値判断の一次元的な軸を否定する。人間の身体に対する限りない信頼、個々の存在の絶対肯定に立って、人間存在を画一化へと方向づけるすべてから、身体、そして人間を、解放せんとす。そして、多様な偏差の豊かさ輝く身体芸術を創出し提示し続けていく。」

 障害者の存在をかけたギリギリの表現。彼らはそこにおいて自己を認識し、自己受容し、そして魂をかけた自立を果たすのだ。踊りは、存在の根源をかけた「叫び」なのだ。「わたしは、たしかに、存在しているのだ」と、、、、

 私たちは公演のリハーサルのために、何度か大阪まで小さな電子楽器を背負って、出向いて行った。リハーサルでは満里の激が飛ぶ。「障害に甘えるな〜〜」「健常者の振りをするな〜〜」 両手両足がない、まるで木の葉のような女の子に「お前、ヤル気あんのかっ!」と睨みつける。すごい、すごいリハーサルであるぞ、、、。満里が私に向かって言う。「ウィンツァンは障害者にやさしいやろ、、、あかんで〜」公演中に何度も私にダメ出しをする。「ウィンツァン、優しすぎる。もっとキツイ音がほしい〜」そう、私の最大の欠点は、優しすぎることwww

 私が障害者やその家族たちと関わりを持つようになったのは、現在のような音楽活動をし始めた90年代前半からだ。彼らを知り、彼らを理解し、彼らのために自分が出来ることを模索してきた。障害者やその家族を対象にしたコンサートをしたり、障害者や施設のドキュメンタリーに音楽を提供したりさせてもらったりした。しかしどこかいつもジレンマのようなものを抱え続けてきた。私は障害者ではないのだ。障害者といわれるような家族もいない。ほんとうの意味では彼らは私の理解を超えている。その意味では劇団態変のメンバーたちを、本当に理解できているとは、コラボレーションを終えた今でも、言いがたい。

 私は本当の意味で彼らを理解できないだろう。障害を持っていること、そのことで背負っているものがいかなるものか、私にはわからない。(たとえ左手が使えなくとも)でも、そんなことはどうでもいいではないか。出会いとは、それらを越えていくもの。健常であるとか、障害があるとかなど関係ない、ある「特別な地平」、そう、ステージという地平において、彼らと私はなんの差別もない、表現者同士そのものなのだ。彼らの動きは、付随運動によるものなのか、表現としての動きなのか、わからない。どこまでが障害で、どこまでが表現なのかわからないような、見るものを宙吊りにさせる、あえて言えば効果のようなものがある。しかし、それにとらわれていると、実は見えるものは見えてこない。表出は表現であり、表現は表出なのだ。

 漆黒の闇の中、一筋の光が、舞台の中央に佇む演者に注がれる。一輪の大きな花を頭部に飾った金満里の姿は、すさましいほど美しい。一瞬の長い時間が流れ、遠くの方から、異界のメロディーが鳴る。それに突き動かされるように、童女は動かない身体で、暗喩としての踊りを踊る。その見えない動きの動きを、演奏者は見逃してはならない。舞踏者は、魂の重みと軽みのはざまの一瞬一瞬を、限りなく飛翔しつづけ、そして龍になる。踊りと音楽は、龍であることにおいて、一つになる。悲しいほどに一つになる。失われしものとして、すべての自由を獲得するものとなるだ。

 最後に、今回共演したした菊地理恵さん、楠本哲郎さん、小泉ゆうすけ君、上月陽平くん、下村雅哉さん、そして向井のぞみチャンに心から感謝したい。そして制作全体の金里馬くん、黒子たちや照明、音響スタッフたち、そして舞台芸術の榎忠さん、皆さんに心から感謝申し上げたい。私たち夫婦はみんなに大事にされ、本当に幸せでした。(美枝子さんは冒頭の照明のために黒子として参加することが出来、とっても嬉しかったようです)またいつか、彼らとのコラボレーションを、今から楽しみにしています。有難う御座いました。

2013/02/18
ウォンウィンツァン

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金満里氏が以下の様なメッセージを送ってくれました。
許可をいただきここに転載させて頂きます。
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『ミズスマシ』の作品は見事にこの世に生まれ出ました!
素晴らしく魂のある、観た人へも伝わったかけがえのない『ミズスマシ』という作品を、
ウィンツァンと榎忠さんと一緒に、世に出せたことを誇りに思います。
これは、劇団のみんなも同じ気持です。

障害者云々は全く関係なく、これはアーティスト同士として妥協なく互いに持てる力を、
100%以上大幅に振り切って真剣勝負に挑めた勝利です。
そこには、パフォーマー一人ひとりの固有性を一つに繋げ、真なるものを見ようと希求する凄まじさがあってのことだと思います。
唯一無二の再現不可能な、一瞬一瞬が儚く消える泡のようなしかし絶対に消せない、一期一会を生きた証です。

そこの位置に立てることに、我々は自らの身体の障害性という意味を舞台上での身体表現に見出し、
懸けるだけの価値あるものとして表出させる執念があってのことです。

そこに今回、ウィンツァンは一音一音又無音で、我々と直接触れあえる、特別な場にいました。
やはりウィンツァンは見事に会得し、同じく榎忠さんが美術で直接触れられたのです。
我々の芸術を産み出す執念へ、完全に寄り添い切ることで、逆に依存しない自律性が立ち現れ、
思いもよらない異次元な世界が展開されたのだと思います。

ですから今回舞台で創られた芸術は、個々が思うような限界を遥かに越えたところで、出現したのです。
障害も健常も関係のない一つの舞台を創り出す為の、対対のぶつかり合いで、個々の内的世界の矛盾と闘いその先にある限界へ挑み、超越せしめたのだ、と、私は、そう思います。

金満里
# by wtwong | 2013-02-21 00:03