映画『おみおくりの作法』
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最近、ブルーレイ・ディスク・プレーヤーを買ったものだから、なんか、映画を見るようになっています。

今夜は「おみおくりの作法」(Still life)を見ちゃいました。
この映画を私に薦めてくれた友人は「おくりびと」として、講演活動をされてる上野 宗則さん。
最後のシーンでは、やはり涙が溢れました。

私にとっても「死」は大きなテーマです。
でも、世の中的に、死後について語られることが多い割に、死に行くプロセスが語られることが少なく、その事に反発を感じていました。
特にお葬式の在り方にずっと違和感を感じていたので、妹の時や、この5月に旅立った父の葬儀は、家族葬でやったわけです。
それは、お見送りのセレモニーとして、私たちの想いを反映させた、心に残るものになりました。
だからといって、儀式そのものを否定しているわけではなく、仏式、神式、キリスト教式でも、そこに想いが反映されていれば、どんな形でもよいのです。

映画の中で主人公の上司がこんなセリフを吐きます。
「葬式は、残された家族や友人のためにあるんだよ」
つまり、無縁仏の葬儀は、参列者などいないのだから、もっと簡略化し、葬儀の費用をもっと抑えろと言うのです。
主人公は反論できません。
でも、参列者は、いつも一人だけはいたのです。
それは、無縁仏の家族や関係者を探し出すための調査員、つまり主人公、、、

世の中には孤独死というのがあります。
誰にも看取られることなく、一人で死んでいく人たちです。
独居老人や仮設住宅で人知れず亡くなる人がいます。
自死もそうですね。
しかも無縁である場合もあることでしょう。
熊本県にある、知人のお寺は、そんな無縁仏の葬儀を県に頼まれているそうです。
以前、私は「人は関係性の中で生まれ、関係性の中で死んでいく」と書いたことがあります。
孤独死というのも大きな意味での関係性、つまり社会の問題、私たちの問題なんだと思っているのです。

さて、この映画はメルヘンだと思いました。
私たち人間にはメルヘンが必要なのです。
「死」と言うものを、空想的な神秘の出来事として受け止めることは、私たちの魂にとって、とても自然で健やかな癒やしなのだと思うのです。
この映画はそんなことを思い出させてくれる、良質なメルヘンであり「詩」でもあると感じました。

「おみおくりの作法」公式サイト
http://bitters.co.jp/omiokuri/

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(追記)
5月に他界した父親の葬儀は、家族葬でした。
でも、初七日や月命日、四十九日に法事をしたんです。
親しいお坊さんがやってくれると言うので、お断りする理由もなかったので、お願いしました。
その法事は本当に素晴らしかった。
渾身の読経だったのです。
初七日には伊万里の浄土真宗のお坊さん、月命日と四十九日は松本の臨済宗、チベット密教のお坊さん。
それぞれの味わいなのですが、共通していたのは力強さでした。
読経というものが、これほどパワフルで、感動を呼ぶものかと、認識を新たにしたものです。
お坊さんたちにとって、法事こそが彼等の存在理由なんだな〜と妙に感心しました。
ありがたいことでした。
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# by wtwong | 2017-09-03 00:41