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<親父の自立心>ウォン・ウィンツァン
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 自立して生きるって、どういう事なんだろう?
97歳の親父は青年時代のある時に、自立して生きることを選択した。
彼の自立心は、人に迷惑をかけない、一人で生きること、そう決めた時から始まった。
親父の生涯は、ものの見事に自立した、迷惑というものを人にかけたことがない、立派な生き方だった。

 しかし意固地なほどに強い自立心は、融通がきかないものでもあった。
そうしないと生きていけない、防衛的な背景があったのかもしれない。
自立を決意したその背景には、見放されたことへの怒りや、悲しみと、人間不信があったのかもしれない。
「よし、わかった。俺を見放すなら、それでいい。もう面倒など見なくていい。俺は自立する。そして誰も信じない。」
そんな叫びが聞こえてくる。
時代背景や家庭環境もあったと思う。
特に戰爭を体験した、あの世代の老人たちによく見かける傾向でもあるだろう。

 しかし、人はいつか年老いて、あるいは病気や怪我などで、人に世話にならないと生きていけなくなる。
必ずその時期は来る。
いつか彼らの自立心を手放さねばならない。
しかしどうやって?

 20代の頃から、人に甘えるということを体験したことのない97歳の老人が、甘えることを自分を許さなかった人間が、どうやってそれを受け入れるのだろう。
甘えたり、面倒を見てもらうのは、迷惑をかける事なのだ。
そして自尊心が傷つくことでもあるのだ。
相手がどんなに負担に思わなくても、彼にとっては迷惑をかける事であり、プライドが許さないことなのだ。

 しかし面倒を見てもらうこと、迷惑をかけることを、いつかは受け入れねばならない。
人は必ず老いる。
面倒を見てもらわないと、生きていけないのだ。
プライドを捨てねばならないのだ。
否認や、駆け引きや、怒りや、そして鬱になりながら、いつか面倒を見てもらうことを受け入れるだろう。
私達が出来ることは、彼のプロセスを待つことだ。
彼の今までの生き様を尊重することだ。

 鎧は脱がそうとすれば、むしろ意固地になる。
私達が出来るのは、イソップ物語の「風と太陽」の話じゃないけど、温かい光を当てて、待っていれば良いのだと思う。
いや、鎧が脱げないのなら、脱ぐつもりがないのであれば、それでもいいではないか。
彼はもう、否認しながらも、受け入れているし、心の底では感謝もしている。
そんな親父を可愛いと思うのは息子からの不遜な上から目線だけど、www

 さて、かく言う息子の自立の道は、父親のそれと比較して、どのようなものであったろう。
いや、自立なんかしてないんじゃないの?
今はプライドなんて無いので、人に迷惑かけながら、思い切り甘えたい。
甘えたい〜〜
甘えさせてくれ〜〜
冗談じゃないわよ、って言われたら、どうしょ〜〜(汗)
いや、もう甘えているだろうって、、、(冷汗)

思い切り甘えたいピアニストより、、、
2017-01-01
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