自らに課すること

<自らに課すること>

http://www.ustream.tv/channel/サトワより祈りを込めて

3月11日以来、何かが変わった。
あるいは、変わらねばならない、と思った。
そのことに思い至ったのは、3月11日ではなく、数日経った16日だった。
11日から16日の間、不安や恐怖、緊張や無力感で自分を失っていた。
直接被災したわけでもないのに、私たちはみな胸をつくような痛みに耐えかねていた。
テレビやインターネットから押し寄せてくる情報や風評は、私たちを飲み込んで、いいしれない重い澱みで胸をつまらせていた。

澱みにまみれた情けない自分に耐えかねたのだろうか、それとも、追い詰められて開き直ったのだろうか、私はあることを課すことを決めた。
人はなぜ自分に課すのだろう。
いったい人は自分に何を課すのだろう。
なんの理由もなく、
人は自分に課することが出来るのだろうか。
しかし、何かを自分に課することを決めるには、3/11は充分すぎる激しさと重みを持っていた。

3月16日、私は演奏を始めた。
毎晩、サトワスタジオでコンサートをし、それをインターネット上で公開しはじめた。
一人で、あるいは息子や友人たちと一緒に、
それは始められた。
16日から始めたustream配信は、今夜で9夜目になる。
家族やスタッフや友人たちの協力を得て、自宅コンサートの配信を続けている。

当初は、被災地に出向いて、被災者に音楽を届けたい、という想いがあった。
しかしそれは私の身勝手な押し付けに過ぎない。
彼らが必要としているのは救助であり、救援であり、治療であり、飢え死にしないことであり、凍死しないこと。
彼らの今は、生き抜くための、とても現実的なひとつ一つに直面している。
少なくとも現時点では音楽ではない。
切迫した惨状に、音楽はあまりに無力だ。

音楽は無力だ。
それでも私が出来ることは演奏することしか無い。
それしか出来ないのだ。
被災された方に、愛するものを失った人に、私ごときが一体何ができよう。
私は何よりも被災者ではない。
被災しなかった幸運に、私は咎められている。
そして贖罪として、演奏することを自分に課した。
きっと被災地に届かないだろう、無力な音楽を演奏し続けること、、、、
それを課することによって、
許しを乞うているのかもしれない、、、、

いつまで続けられるか判らない。
先のことは考えられない。
今出来ること、今しか出来ないこと、今だからこそ出来ることを、やろうと思う。

ウォンウィンツァン
2011/03/24

毎晩、午後8時30分ぐらいから11頃まで、
ustreamによるインターネット配信で、
自宅ライブコンサート
<satowa ust live-サトワより祈りを込めて>
を公開しています。

http://www.ustream.tv/channel/サトワより祈りを込めて
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by wtwong | 2011-03-24 17:18 | essay