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映画『pina/ピナ・バウシェ 踊り続けるいのち』を見終えて、、、

ピナ・バウシェを新宿バルトで見てきました。
魂に繋がる直接的な行為は「うた」と「おどり」だと常々感じている私は、血沸き肉踊る映画でした。ww

http://pina.gaga.ne.jp/

ピアノなんてまどろっこしい。
歌いたいし踊りたい!
泥の中で転げ回りたい。
水しぶきの中を飛び回りたい。
抱き合いたい。
魂がはちきれるまで踊りたい!

昨年から、特に311以降、たましいの開放ということに思いが強くなっています。そもそも音楽はそういうものですが、最近は、とことん情念の向こうにある根源的な衝動というものの最もダイレクトな表現をしたいという欲望がますます強くなっています。さて、これからどうなるでしょうね、、、ww

誰もが命そのものの表現を、魂のレベルで欲している。それを身体にさせてあげることは、どれほど「癒し」になることか、、、。
でも、今の社会や、日常の生活の中で、そのような場や時が用意されていないですよね。多分昔から「祭り」というのがそれに当たると思うのですが、都会に住んでいると、なかなか難しいですよね。

バリ島みたいに、日本も祭りや芸能を毎日のようにやっていれば、うつ病や自殺、統合失調症など激減すると思いますね。

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さて、昨夜、ピナ・バウシェの映画を見て、いくぶん興奮気味にコメントしてしまったので、少し冷静に書いてみます。
ピナの振り付け、あるいはダンサーたちとのコラボレーションは、ダンス表現と言うよりは「ダンス・セラピー」に近いと思う。

例えば、、、
一人の女性が歩きながら、突然倒れ始める。
人が倒れる時は、防衛反応が働いて、手をついたり、足を曲げたりするものだが、彼女はそのような防御せず、直立状態で倒れていく。
そのまま倒れれば地面に激突して、怪我をしてしまうだろう。
しかし、倒れる直前に男性が受け止めて、激突を防いであげる。
これは、体験的グループセラピーなどでよくやる「信頼のワーク」とでも言うものだ。
倒れる側は、自分で防御することをしないで、受け止めてくれる人を全面的に信頼する。
受け止める人は、信頼に答えるためには、絶対に受け止めなくてはならない。

その踊りともつかない、ムーブメントを私たちは見ながら、魂の奥底で自問し始める。
私達は人生のプロセスで、信頼を裏切られたことはなかったか、、、
あるいは、信頼を裏切ったことはないのか、、、、、、
そして今、自分のすべてを投げ出して、信頼すること、それは可能なのか、、、
あるいは、すべてを投げ出して、信頼に答えること、それは可能なのかと、、、

一度、皆さんもやってみたらいい。
夫婦で、あるいはパートナーと、、、
片方は、一切防御をしないで、命がけで倒れること、、、
もう片方は、倒れるパートナーを、命がけで受け止めること、、、
何かを「感じ始める」かもしれない、、、

以上のような「ムーブメント」を言葉じゃなく、感覚で解読し始めると、ピナ・バウシェの映画から、じつに沢山のメッセージを読み解くことが出来る。
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大切なのは、なにか答えがあるわけではない、ということなんです。その宙吊り状態の中で、お互いに認め合い、一緒に生きているということが、私には大事に思えるんです。

映画はあくまでも切り取られた、限られた象徴的なシーンしか見れない。実際にワークショップで体験してみれば判るけど、どのテーマをとっても一筋縄ではいかない。実際に踊ってみれば判るけど、自己の内面世界と身体性は直結している、と言うよりは「からだ」は「たましい」そのものですね。そして何よりも踊りによって魂が表現された時、深い癒しと開放が起きる。ダンスセラピーはどんな方にもお勧めしたいですね。

人は必ずどこか「固まっている」ところを抱えている存在です。その事に気づき、それを「ほぐしていく」のが、人間の成長であり、喜びであり、ドラマであると私は考えています。人生の最後の最後までほぐし続け、開放し続けられたら、なんと幸福なことでしょうね。はい、人生はなんと奇跡に満ちたドラマでしょうね。
by wtwong | 2012-03-18 19:47 | essay