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幸福、領土問題、平和の確立

63歳にもなってしまった。人生を振り返ってみると、年令を重ねるごとに幸福度が増して来ていると実感できる。どんな人でも人生の様々な局面で起きるだろう問題をある程度はクリアーし、還暦を超え、残りの人生をどんなふうに楽しめるだろう、などといい気になっていた。それなりに「幸福とは何か」などと判ったつもりでいたとも思う。そんな、いささか浮ついた気分の時に起こったのが3・11の震災とそれに続く原発事故だった。

3・11以降、私はとりつかれるように原発問題をはじめ、いわゆる社会問題の情報をtwitterやFacebookから得たり、シェアしたりし続けてきた。十代後半の安保闘争さえ参加しなかったのに、還暦も過ぎてから脱原発デモには何度も参加した。それは社会意識と言うよりは、内的な衝動というか、そうするのが自分の人生に起きた必然的な流れと感じていた。311以前と以降では、ライフスタイルそのものが変わってしまった。自分のダイナミックな変容に驚くほどだ。

しかし社会問題というのは、本質的に否定性が強い。日々否定的な情報にまみれていると、いつの間にかその毒にやられてしまう。ネガティブな情報に凌駕されないよう、なるべく瞑想やヨーガやウォーキングを増やし、肯定性を増幅するよう、日々注意を払ってなんとか否定性に振り回されずに、ここまでやってきた。しかし領土問題が勃発し、陰湿な民族間の応酬に、どうやらすっかり飲み込まれてしまったようだ。

脱原発運動というのは、原発という本質的な悪に対する、いうなれば正義の戦いみたいなものだ。原子力ムラを弾劾することは、むしろ爽快といって良い。「原発は悪だ」私たちは心置きなくそう声高に言っていればよかった。しかし領土問題は全く次元が異なっていた。双方ともが正義だと言いはり、お互いを罵り合い、侮蔑しあっている。どちらも自分は善だといいはって、お互いに憎しみ合っている。

日本に生まれ日本に育っているので、実は中国のことは殆ど知らない。今年の1月に生まれて初めて北京に行った。チベット問題や文化大革命、はたまた天安門事件など、私にとって中国は不気味な怖い国だ。北京に行くのはそれなりの緊張を伴ったのを覚えている。しかし私の身体には3/4が中国、1/4が日本の血が流れているのだ。中国の血とは香港の血だ。父親は香港で生まれたが、その時代、香港はイギリス植民地だった。私はなぜか国籍的にはイギリス人にされてしまった。イギリスにも行ったことがないし、英語も話せない。私にとって国籍とは書類上のこと以外の何物でもない。

日本人の血と中国人の血、そしてイギリス国籍という、その様なアイデンティティーの曖昧さは、長いあいだ私を苦悩させたと思う。しかしある時期から、それらを統合するような視点で見れるようになってきた。自分は日本人であり中国人であり、アジア人であり地球人である。そして宇宙人でもあるのだ。より大きな包括的な視点から見ると、民族や国という排他的なものを超えて、全体として捉えられるようになっていた。しかし今回の領土問題は、そんな個人レベルの、ある意味スピリチャルな達観は、世間様には通用しないようだ。

領土問題などの国家間の緊張は、日本と中国の血が流れている私にとって、いたたまれなく、抑うつ的な気分がつづいた。どうやったら隣人同士が仲良くなれるのだろうか。回らない頭で、その事ばかりを考えている。日本全体が幸福になるには、平和が脅かされないことが必要だし、その為には隣人たちとの和解は欠かせないと私は考る。しかし、それを阻むのがある。

 戦争はいとも簡単に始まってしまう。アメリカの911,アフガン戦争、イラク戦争を見ればだれでもすぐわかる。結局一部の支配層の利権のための戦争だった。犠牲者はアフガニスタンやイラクの一般人だけでなく、米国の兵士たちも沢山亡くなり、今もって帰還兵の自殺が絶えない。人々に深い癒えない傷を残してしまった。利益を得たのは軍需産業と石油利権者だけ。アメリカが疲弊した今、軍需産業が次に狙うのは極東ではないのか、と勘ぐってしまうのは私だけだろうか。このまま行けば憲法9条は改正され、核兵器配備をするのだろうかと、時々悲観的になる。軍需産業にとって核兵器は兆単位の商いだ。

 戦争はどんなふうに始まるのだろうか。戦争を始めさせたい工作員が、それぞれの国でナショナリズムを煽ればいい。工作員たちは人々の不安とエゴを挑発するのはお手のものだ。「敵は領土を奪おうとしているぞ。敵がせめてくるぞ。」古来から戦争の原因は領土問題だった。尖閣や竹島は戦争をしたい人たちにとって格好の材料でしょう。日本籍でも中国籍でもない私がどうしろということは言えない。ただ、「もともと地球も土地も誰のものでもなかったし、国境という線もなかった」と言いたい気がする。

 平和を実現するのはとても難しい。例えば911が起きた時、アメリカ国内で報復すべきでないと訴えた人はごくごく僅かだった。911の犠牲者の家族が、自分たちを戦争の理由にするなと訴えて、非国民にされてしまった。近代の戦争で、見えない支配層による謀略の匂いのしないものはない。しかし、誰もそれに気づかずにいとも簡単に戦争に突入して行った。あの第二次大戦もしかり。平和を実現するためには結局、私たち一人ひとりが、絶対戦わないことを覚悟するしか無いのだと思う。ある方が「平和を実現するためにはすごい努力が必要だ」と言っていた。勿論努力も必要だ。しかし、それにもまして必要なのは、「覚悟と勇気」ではないかとおもう。報復をしないこと、踏みとどまること、それがどれだけ難しいことか、私たちの想像力を、そのことへこそ使わねばならない。「有事」と言われることが起きた時、踏みとどまる決意と勇気を持てるのか、まずその事を自分に問わなければならない、まだ何も起きていないいまだだからこそ、、、、。

 日米中韓の現在の経済的なスティックホルダー(利害関係)はかなり親密で、戦争など起きようもないと、私も考える。でも、決して油断してはならない。出来ることなら経済だけでなく、政治的にも文化的にも親密になり、お互いの交流を深め、より平和でクリエイティブで、それぞれが個々の幸福を実現するための、平和が脅かされない、豊かな環境を実現するために、みんなで努力していきたい。そして自分自身も日本と中国の架け橋になって行きたいと、密かに心している。ぜったい平和を守りたい、守らねばならないと、ジョン・レノンのイマジンを聴きながら、この文章を書いている。
by wtwong | 2012-09-11 05:57 | essay