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自我の成長

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エゴ(自我)をなくそうとするのは、私には実に馬鹿げているように思える。
年齢や経験や考え方によって、エゴは変容し続ける。
成長とは、エゴの許容量が増え、物事を相対的に見ることが出来るようになることだ。

エゴが無くならないことを嘆くのではなく、自分のエゴの未熟を嘆く方がいい。
エゴというものは、生きる上で本当に大切なことに気づいてほしい。
エゴが成長するに従って、エゴの境界は希薄になり、より多くのものを受容できるようになる。
たとえ相手が間違っていても、いつか気づく時があることを知っている。
自分の間違いに気付いたら、プライドを捨てて謝罪することが出来るようになる。

自分が信じていることが、幻想にすぎないことに気づく。
気づきの連続が、少しづつエゴを大きなものにしていく。
あなたの愛はますます大きなものになっていく。
自分を愛することをエゴだと勘違いして取り除こうとしてはいけない。
自己愛とエゴイズムは対極的なものだ。
自分を愛せる人は、他人も愛することが出来る。
他利的なことが、自分の喜びになる。

エゴを成長させるのは、経験と気づき、、、
囚われや、幻想はエゴの硬化させてしまう。
囚われやこだわり、幻想の源は、実は心の傷にある
お母さんのお腹に宿った時から今日までの間に受けた、心の傷、魂の傷、意識の歪みが、囚われやこだわりを産み、人間をエゴイスティックにしてしまうのだ。
自分自身に向き合うことがわたし達のエゴを成長させる。

若い人たちはエゴが未熟で軟弱なため、硬化させるために腐心する。
それを否定しないで、暖かく見守ってあげよう。
誰もが歩む人格の成長の道なのだ。
必ずいつか、ほころびが出る。
他の人とぶつかって、怒ったり傷ついたりするだろう、必ず、、、
その時にエゴをより硬化させ、小さくさせてしまうか、あるいはエゴを捨てようと宗教的な幻想に走るか、それとも、より大きな自我へと自分を成長させることが出来るか、それはその人の運命なのかもしれない。
少なくともそんな若者にあなたがそばにいるなら、あなたのエゴの在り方は、彼らの人間観のサンプルになることだろう。

エゴを主張しない人は、相手のエゴも許せない。
主張するのではなく、エゴを相手に受け入れてもらおう。
その時、相手のエゴも受け入れられるようになる。

宗教的エゴ観というものはほとんどが幻想だ。
エゴを捨てたものではなく、より成熟したエゴを獲得したものこそがホンモノの聖者なのだ。
世に聖者として認められたほとんどの人は、私からは、歪んだ病的なエゴイストしか見えない。
巧妙な言説で魅了する聖者たちのなんと罪深いことだろう。
盲目的な信者たちが目を覚ますのは何時だろう。

愛する人のエゴを見たら、微笑んであげるがいい。
それはあなたのエゴでもあるのだから。
囚われやこだわりを捨てた時、エゴが大きくなり成長することが出来る。
彼らの成長は、私やあなたの成長でもある。

わたし達は魂がその肉体を離れるその時まで、自我の成長のプロセスをたゆまなく歩んでいる。
大きな自我を持っているものは、あたかも自我を捨てているかのようにみえるかもしれない。
それは自我が無いのではなく、より大きく、より希薄になっているのであって、小さなエゴの持ち主からは見えにくくなっているだけだ。

わたし達の人生の目的は、自我を無くすことではなく、自我を無限大に成長させることだ。
大きくなれば大きくなるほど、生きることが容易いものになり、喜びも大きくなっていくだろう。
by wtwong | 2013-09-26 09:17 | essay