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「時代の分水嶺」この言葉が私の中でこだましている。

「時代の分水嶺」この言葉が私の中でこだましている。

 日本の脱原発運動を導いてきた名だたる運動家たちが、今まで応援していた市民候補者ではなく、いままで一線を退いていた政治家を応援すると言い出し、しかも今まで応援していた候補者に降りろと迫った。それに対してその市民候補者を応援する人々は裏切られた思いを持ってしまった。ある若いカリスマ運動家は、自分の歳よりも長く運動を続けてきた人々に「いったい運動は何だったのだ」と強く罵っている。私たちの脱原発運動の分断は、決定的になった。

 私なりに双方を取り持とうという気持ちもあった。罵り合うことだけは避けよう。遺恨を残すようなことだけはやめよう。お互いを尊重し、最善を尽くして、ワン・ツー・フィニッシュしようと、、、。しかしそれは叶わなかった。どちらの候補者を選択するか、それぞれはそれぞれの言い分があり、その言い分に対しての批判もあり、そのどちらも譲ることはない。批判は説得にはならない。批判は今や誹謗中傷にまでになっている。人格を否定するひどい言葉が行き交っている。それこそ私たちの運動は何だったのかと、私は言いたくなる。民主主義の成長などと言いながら社会運動をしてきた私たちが、精神的にも人格的にも、全く未熟であることに気づいた人はどのくらいいるだろう。今回の分断はそれを露呈させてくれた。

 分断は確実になった。残念に思うと同時に、何故か「起こるべきことが起きている」という感慨が湧いてしょうがない。プロセスは始まっているのだ。この時代に生きるすべての人の意識の成長を促されているのだ。有権者、脱原発を運動してきた一人ひとり、とりわけ彼らを導いてきた有識者、そして何よりも脱原発陣営のそれぞれの候補者二人。そして私自身。意識の成長とはなにか、一人ひとりが自分に問わねばならない。それなくして民主主義の成長など戯言にすぎない。

 かつて政治や学生運動や安保闘争を目撃し、人間の未熟さ、醜さ、エゴイズム、強欲、身勝手にうんざりして、全てからドロップアウトし、社会とは関わらない所で生きてきた。しかし311があり、その後の右傾化があり、もうすぐ戦争が目の前に迫っている。どんなに社会から逃げても逃げきることは出来ない。放射能に汚染され、戦火にまみれるかもしれない。もう一度この社会で自分が何が出来るか、私自身も試されている。

  「時代の分水嶺」この言葉が私の中でこだましている。日本の集合意識が、成長のある段階に差し掛かっているのだ。答えは一人一人自分で探り寄せなければならない。答えはない。誰も答えは教えてくれない。しかし私たちのそれぞれの選択が、集合意識が、日本の未来をつくる。確実にその未来は来る。脱原発か、原発事故か、戦争か、平和か、財政破綻か、皆が幸福を分かち合える社会化。今回の選挙の結果によって未来が変わる。だが選んだ候補者が当選したからといって、未来が約束されたわけじゃない。脱原発のどちらかが当選したからといって、脱原発が確実になるわけじゃない。それでも私たちは選択を迫られている。選挙が終わった後、わたし達の仕事が終わったわけでもない。私たちは死ぬまで社会的存在だ。

 私の言葉は悲壮に聞こえるかもしれない。こんなことに直面させられたくない。自分自身に直面したくないのと同じように。だがもし直面しなかったなら、この場から逃げ出したなら、私は私自身に直面しなかったことと同じだ。一生後悔するだろう。しかしきちんと直面し、悩み苦しみながらでもひとりの候補者を選んだなら、その結果がどうあろうとも、私はそれを受け入れられるだろう。自分の選択を受容することが出来るだろう。このすさましい時代の変遷の只中に、皆と同じように生きていることに、強い同胞意識を持つことも出来るだろう。時代のまっただ中にいることに、私は感動している。

 ウォン・ウィンツァン(バッハのミサ曲を聴きながら、、、)
by wtwong | 2014-01-23 07:11 | essay