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「駄々をこねよ、さらば与えられん」

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 人間は「求める」存在です。生まれたばかりの赤ちゃんが、乳房を求めるように、求めることはとっても原初的な衝動だと思います。でも、成長するに従い、この社会で「求める衝動」は様々な条件にさらされます。

 皆さんは「駄々をこねる」体験がありますか?「おかあさん、これ欲しいの、頂戴、チョウダイ、ちょ〜〜うだ〜〜〜〜い!」ってやつですね。そんな時、お母さんは、「ダメよ、こんな甘いもの、からだに悪いでしょ」とか「こんな高いもの、買ってあげられません」とか答えるでしょうか。子供がお菓子やおもちゃを欲しがるのは、ただの欲望かもしれないし、それこそ原初的な、魂からの希求なのかもしれない。

 もしどんなに本気になっても、求めるものが与えられないことが続くなら、その子が受け取るメッセージはどんなものでしょう。「どんなに本気に求めても、欲しいものは得られない」という事になるかもしれません。その子は「夢は実現しない」と無意識の中に刻印されてしまうのかもしれない。

 逆に本気でもないのに、すぐに与えられてしまったら、その子は「欲しいものは何でも手に入る」とインプットされるのかもしれない。本当はそんなに欲しくもないものでも、要求すれば与えられる。ただの我儘になるかもしれないし、求めることをしなくなるかもしれない。自分が本気で求めているものが何であるのか、わからなくなるかもしれない。

 たとえ体に悪いお菓子でも、ちょっとぐらい高いおもちゃでも、もしその子が「本気」!になって求めているのなら、今の私なら、子供に与えてあげたいと思うのです。ただ、どこまで本気になっているのかを判断することも、なかなか難しいことではありますが、、、、

 私が小学生2.3年生頃の、とっても情けないエピソードが有ります。私はある楽器が欲しかった。どこかで見たのでしょう、その楽器は、こんなふうに胴が膨らんでいて、ながい柄があって、そこには弦のようなものが張られていて、その楽器がほしい、ほしい〜〜。ほし〜〜〜〜!!そんな私を祖父はニコニコして見ていました。そして、ある日、祖父はわたしにその楽器を買ってあげたのです。私はどんなに喜んだことでしょう。梱包されたその楽器をワクワクしながら開けてみました。そしてそこに現れた楽器は「マンドリン」というものでした。私は頭が真っ白になっちゃいました。なぜなら私が求めていたのは「ギター」だったからです。www

 私はマンドリンをちょっと触っただけで、放り出してしまいました。その時の私の気持ちはどういうものだったでしょうね。私はそんなエピソードから、どんなメッセージを受け取ったんでしょうね。www 例えば「要求しても、与えられるものは違うもの」とか、、、www その後の私の人生の様々な局面で、その体験は大きく作用しているのではないかと、この数日、思い起こしています。悲哀とともに、、、www

 人間は「求める存在」です。求めることは人間の本質です。欲望かもしれない。魂からの希求、宇宙的な次元からのメッセージ、、、私たちの人生を導く道標でもあるのです。「求める」ことで始まる様々なエピソードから、どれだけ深いメッセージを受け取ることだろう、どんなにその人の人生に深い影響をあたえることだろう。そんな様々なことに思い馳せると、感慨と悲哀と滑稽感がないまぜになったような溜息が出てきてしまいます。
by wtwong | 2014-05-22 09:19 | essay