映画「LISTEN」感想
映画「LISTEN」感想

昨日、渋谷アップリンクに映画「LISTEN」を観に行きました。LISTENと言うぐらいですから、聴きに行った、と言う方があたっていますね、、、(^_^)/~
もうご存じの方も多いかと思いますが、この映画は「聾者の音楽」を視覚的に表現したアート・ドキュメンタリーと言われていて、58分間、まったく音がありません。オーディエンスには耳栓が渡されて、外の雑音も聴こえないようにします。無音の映像だけから音楽を受け取って欲しい、というのが映画製作者たちの想いです。
「LISTEN」の映像の殆どが踊りです。私も奥さんも踊りは大好きで「無音の踊り」にとっても興味を惹かれていました。映画では様々な人生の背景を持ったダンサーたちが、それぞれの動きを見せていきます。一見して感じたことは「なんて素直な踊りだろう」ということでした。彼らの想い、あるいは「たましい」とでも言うものと、彼らの「動き(踊り)」はダイレクトに繋がっていると感じました。「動き」と「たましい」が直結している。それは音楽家にとって「たましいの音」を表現したいという想いと重なります。つまり、彼らの動き(踊り)は、私たちに強く伝わってきたのです。
なんでそんなことが出来るんだろう?なんで彼らの踊りから、私は素直だと感じるんだろう?映画はプロのダンサーも沢山出演しています。でもプロだから素直な踊りを踊れるとは限りません。私たちはワークショップなどでダンスワークもやりますが、自分自身も含め、ダンスにたましいを開いて踊れるようになるにはそれなりに大変なことです。
私は舞踏家の雫境(DAKEI)さんのプロデュース力じゃないかと考えました。力量のある舞踏家の指導は、ダンサーたちの心を開かせることが出来ます。多分それも当たっているでしょう。でもそれだけではなさそうです。そんなことを元ダンサーの奥さんに話したら「彼らは普段から踊っているのよ、手話という踊りでね、、、」。なるほど〜〜手話とは踊りなんだ〜 とっても合点のいく指摘でした。「皆さんの踊りに感動した」と手話通訳の方に通訳してもらった時、その動きの美しさに、またまた感動してしまった私でした。
この映画には一切音がありません。私たちは耳栓をして外部の音も遮断してこの映画を見ました。でも、完全な無音の中でこの映画を見たかというと、実はそうではありません。聴覚がある人は完全な無音を体験することは出来ないのです。鼓膜は必ず振動するのです。人間の聴覚は、その機能があるかぎり、音の全くない世界を体験することが出来ないのです。
耳栓をすることで聞こえてきたのは、自分自身の呼吸音、心臓音、そして複雑な耳鳴りです。体内から聴こえる様々な音を背景に、彼らの踊りを見るのは、実に不思議な体験でした。自分自身の呼吸や心臓の音を聞きながら、彼らの踊りを見ていると、なんとも言えない気持ちになっていきます。もしその時の気持、気分を言葉にするなら、それは「孤独」というものでした。自分自身の鼓動や呼吸をBGMに、映像の中で楽しげにリズミカルに踊っているダンサーたちを見ていると、不思議な孤独感が私を包みました。
さて、音楽というものを、聴覚体験に限定するのを止めるなら、この映画はまさしく音楽そのものでした。彼らの眼差しにメロディーを感じ、動きにハーモニーを感じ、流れにリズムを感じるか、それは見るものそれぞれの体験だと思います。是非ご覧になって、それを体験して欲しいと思います。
なんと5月26日(木)、映画の後にアフタートークをさせてもらうことになりました。どんなお話ができるか今から楽しみです。是非、渋谷アップリンクにご来場ください。映画は19時から始まります。私のアフタートークは20時からになります。
ウォン・ウィンツァン
2016/04/26
<LISTEN 公式ホームページ>
http://www.uplink.co.jp/listen/
<LISTEN フェイスブック公式ページ>
https://www.facebook.com/LISTEN-リッスン-567768356712092/

昨日、渋谷アップリンクに映画「LISTEN」を観に行きました。LISTENと言うぐらいですから、聴きに行った、と言う方があたっていますね、、、(^_^)/~
もうご存じの方も多いかと思いますが、この映画は「聾者の音楽」を視覚的に表現したアート・ドキュメンタリーと言われていて、58分間、まったく音がありません。オーディエンスには耳栓が渡されて、外の雑音も聴こえないようにします。無音の映像だけから音楽を受け取って欲しい、というのが映画製作者たちの想いです。
「LISTEN」の映像の殆どが踊りです。私も奥さんも踊りは大好きで「無音の踊り」にとっても興味を惹かれていました。映画では様々な人生の背景を持ったダンサーたちが、それぞれの動きを見せていきます。一見して感じたことは「なんて素直な踊りだろう」ということでした。彼らの想い、あるいは「たましい」とでも言うものと、彼らの「動き(踊り)」はダイレクトに繋がっていると感じました。「動き」と「たましい」が直結している。それは音楽家にとって「たましいの音」を表現したいという想いと重なります。つまり、彼らの動き(踊り)は、私たちに強く伝わってきたのです。
なんでそんなことが出来るんだろう?なんで彼らの踊りから、私は素直だと感じるんだろう?映画はプロのダンサーも沢山出演しています。でもプロだから素直な踊りを踊れるとは限りません。私たちはワークショップなどでダンスワークもやりますが、自分自身も含め、ダンスにたましいを開いて踊れるようになるにはそれなりに大変なことです。
私は舞踏家の雫境(DAKEI)さんのプロデュース力じゃないかと考えました。力量のある舞踏家の指導は、ダンサーたちの心を開かせることが出来ます。多分それも当たっているでしょう。でもそれだけではなさそうです。そんなことを元ダンサーの奥さんに話したら「彼らは普段から踊っているのよ、手話という踊りでね、、、」。なるほど〜〜手話とは踊りなんだ〜 とっても合点のいく指摘でした。「皆さんの踊りに感動した」と手話通訳の方に通訳してもらった時、その動きの美しさに、またまた感動してしまった私でした。
この映画には一切音がありません。私たちは耳栓をして外部の音も遮断してこの映画を見ました。でも、完全な無音の中でこの映画を見たかというと、実はそうではありません。聴覚がある人は完全な無音を体験することは出来ないのです。鼓膜は必ず振動するのです。人間の聴覚は、その機能があるかぎり、音の全くない世界を体験することが出来ないのです。
耳栓をすることで聞こえてきたのは、自分自身の呼吸音、心臓音、そして複雑な耳鳴りです。体内から聴こえる様々な音を背景に、彼らの踊りを見るのは、実に不思議な体験でした。自分自身の呼吸や心臓の音を聞きながら、彼らの踊りを見ていると、なんとも言えない気持ちになっていきます。もしその時の気持、気分を言葉にするなら、それは「孤独」というものでした。自分自身の鼓動や呼吸をBGMに、映像の中で楽しげにリズミカルに踊っているダンサーたちを見ていると、不思議な孤独感が私を包みました。
さて、音楽というものを、聴覚体験に限定するのを止めるなら、この映画はまさしく音楽そのものでした。彼らの眼差しにメロディーを感じ、動きにハーモニーを感じ、流れにリズムを感じるか、それは見るものそれぞれの体験だと思います。是非ご覧になって、それを体験して欲しいと思います。
なんと5月26日(木)、映画の後にアフタートークをさせてもらうことになりました。どんなお話ができるか今から楽しみです。是非、渋谷アップリンクにご来場ください。映画は19時から始まります。私のアフタートークは20時からになります。
ウォン・ウィンツァン
2016/04/26
<LISTEN 公式ホームページ>
http://www.uplink.co.jp/listen/
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https://www.facebook.com/LISTEN-リッスン-567768356712092/
by wtwong
| 2016-04-26 20:46
| essay