「君の名は」と「シン・ゴジラ」を対比して、、、

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アニメ映画「君の名は」を見てきました。

 予告編を見た時は、なんかアリガチな恋愛ものだろうと見る気にならなかったのですが、興行実績が「シンゴジラ」を上回ったと聞いて、急に興味を持っちゃったのです。実は「シンゴジラ」に対してそれなりの評価をしながら、何か物足りないというか、はぐらかされているような不全感がありました。そんな時、同時期に上映された恋愛映画が「シンゴジラ」を凌ぐ人気のエッセンスとは何か、とっても興味を持ったわけです。

 約1時間45分、飽きること無く最後まで見れたということは、やはり良くできた映画なんだと思います。映画としてのグレードはとても高いと思います。勿論、中盤から最期まで殆ど泣きっぱなしで見たからとか、隣でおくさんが爆睡していたからとかは、あまり評価基準にはなりません。おじさんはそもそも涙腺が緩んでいるし、おくさんはキャパを超えるほどの仕事の疲れをためているわけですから、、、www ただ、号泣しながら冷めているところもあって、映画に置いてきぼりにされた部分も無きにしもあらずです。そのことは後で、、、

 二つの映画は、対極にありながら、共通するものがあると思いました。それは「超越性」と「世界を救う」ということです。「シンゴジラ」は人間による核エネルギーの無謀な節操のない乱用によって、超越的な存在(ゴジラ)を出現させてしまい、日本は危機にさらされる。ゴジラは現代文明に対するルサンチマン(怨念)の象徴のようでもあります。東京の高層ビルが破壊されるシーンを見ながら、溜飲を下げた観客も多かったのではないでしょうか。

 そして、ハグレ官僚と自衛隊の犠牲的な貢献によって、日本を危機から救うというのがこの映画でした。気になることは、この映画には沢山犠牲者が出ているはずなのに、血なまぐさいシーンは殆どありません。つまりこの映画はあくまでフィクションなのです。映画の全体に原発批判や対米隷属批判を盛り込みながら、最後はどこか国家主義に陥っている。実際シンゴジラは自衛隊募集の広報に使われています。自衛隊は現実だというのに、、、

 かたや「君の名は」は政治的なことは皆無です。主人公の父親が政治家であるとかは、あくまでも背景です。主人公は先祖から巫女の家系で、霊感の強い少女です。祖母から「結び」の言い伝えを聞かされる。世の全ては「結び」によって繋がっている。これらの考え方はスピリチュアル・ムーブメントでは基本的な言説ですし、エコロジーの考え方でもあります。ある時から主人公は夢の中である青年と入れ替わるような体験を始める。その青年は主人公に導かれて、村の危機を知ることになる。そして、二人の若い男女の強く求め合う力によって、彗星の落下による危機から、村人たちを救うことになる。映画が観客に伝えていることは「超越的な愛によって世界を救うことが出来る」というものでした。前者が「力は世界を救う」に対し、後者は「愛は世界を救う」です。ただ「愛」とは言っても「恋愛」ですけどね。恋愛は、やっぱりフィクションですよ、いい意味で、、、(^_^)/~

 「君の名は」の興行実績が「シンゴジラ」を上回ったということは、実はホッとしています。「力」を求める人より「愛」を求める人のほうが多いということだと思うから、、、www

 映画の技法としてみた時は「シンゴジラ」は、なるほど新しいのかもしれません。カットはとっても短く、セリフは畳み込みかける勢いで、スリリングでした。まあ、おじさんは付いていくのがやっとでしたが、、、。かたや「君の名は」良くも悪くも普通の映画でした。それぞれのキャラクターはよく見るアニメの典型的な美形だし、編集は普通に時間の流れを逸脱すること無く、自然にストーリーを追いかけることが出来ます。何よりもアニメならではの美しいシーンも盛り沢山です。美しいシーンを見るだけでももう一度見てもいい。ひねくれ者の私としては「いまどき新しい技法で奇をてらったってしょうが無いじゃん。普通でいいじゃん、美しけりゃ!」とか言っちゃいそうです。

 さて、映画ってなんだろう?と思います。この二つの映画が社会現象といえるほどの興行実績を挙げられたのは、高度にエンターテイメント、つまり娯楽であったからだと思います。斬新な技術や芸術性を散りばめ、現代社会問題や若者文化を背景に、何よりも現実ではありえない、世界を救うほどの「力」や「愛」を疑似体験させる娯楽映画だったからなのだと思います。

 私がいつも映画に不全感を抱くのは、結局「本当の力とは」「本当の愛とは」という、なんとも抽象的で重いテーマでは娯楽映画が成り立たないということなのかもしれません。娯楽が悪いと言っているのではありませんが、、、。私達が生きている現実が、あまりにどうしょうもなく、力も愛も希薄になっている実生活の中で「超越的な力」や「超越的な愛」によって「世界を救う」疑似体験ぐらいさせてくれ〜という叫びが、これだけの興行実績を上げていると思うのです。で、それらの映画が、観客をして、現実に直面して、本当の力や愛を見つけ出す契機になるのかどうか?ということに私は関心があるのですが、、、

 さて、全体について、二つの映画を例えるなら、男子映画と女子映画と言えるでしょうか。あるいは辛党と甘党かな、、、私は美味しい日本酒が好きですが、まあ、せいぜいオチョコに一杯か二杯、多くて三杯、いや、もうちょっと行くかな、、、www  でも、普段、殆ど飲まないし、どちらかと言うと甘党です。でも甘すぎるのは食べられない。日本のスイーツは全体的に甘すぎて食べられません。何が言いたいのかというと、酒だろうがスイーツだろうが、過剰な味は受け入れられなくなる、ということです。でも日本で売れているスイーツは甘いんだよな〜 日本の好みのスタンダードと、自分の好みが一致しないというのは、表現者としては困ったもんだな〜〜 (汗)

 この映画がただの恋愛アニメよりも評価したい部分があるとするなら、私はやはり祖母(一葉)が語る「結び」にまつわる話ですね。仏教的な「縁起」でもあり、エコロジー言説でもあり、ニューエイジ言説でもあり、「永遠の哲学」とでも言うような、人間の最も宗教的な側面を言い表していると思いました。美枝子さんが共感していました。そして美枝子さんは、一葉、三葉、四葉が、儀式を執り行うために結界の中にある祠にたどり着く途中、美しい紅葉のトンネルを抜けていくシーンが一番気に入っていました。

追記ーーーーーーーーーーーーーーーー
 アニメ映画「君の名は」の主題にあるのは「出会い」だったと思います。映画の中で「何処かに出会うべく人がいる」的なセリフが幾度も語られています。すなわち「出会い」とは偶然ではなく、なにか人知を超えた、超越的な必然があるのだと言っています。それを映画の中で「結び」という言葉で象徴しています。主人公の祖母、一葉が語る「結び」の考え方は、仏教やエコロジー、ニューエイジ、スピリチュアルムーブメントなどで見られる基本的な考え方です。「すべては必然的な結びつきの中で起きていて、それは何か宇宙的な采配なのだ」ということです。これは科学的根拠のない宗教的とでも言えるビリーフで、一笑に付す人も多いでしょう。無宗教が多いと言われる日本人ですが、にも関わらずこの映画がヒットする背景には、ただ単に恋愛願望だけではなかったはずです。物事への見え方の全てを合理性や科学で割り切ってしまう人生には潤いはありません。ちょっと意識を変えて世界を見渡せば、なんと「超越的、必然的な出会いに満ちている」ことでしょう。
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by wtwong | 2016-09-26 19:57 | essay