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<ダイアローグについて> ウォンウィンツァン:ブログ

<ダイアローグについて>
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 ダイアローグと言う言葉が、多く一般にも聞かれたり、書かれたりしていますね。
演劇などで「二人以上の人の取りかわす問答。対話。会話」のことを言うのだそうです。
この演劇用語が、現代の閉塞感や分断を対話によって取り戻そうという試み対し、使われるようになってきました。

 私が最初に知ったのは「南相馬ダイアローグ」でした。
原発事故と放射能汚染、避難や帰還という、地域が大きく揺らぐ中、対話によってその閉塞感を乗り越えようと、市民たちの試みでした。
私も参加して、その熱い思いの中にいたのを昨日のように思い出します。
この時、その場を進行させたのは、よく訓練されたファシリテーターでした。
どんな対話もクリエイティブにするためには、どのように進行させるかが、大きなファクターだと思いました。

 その後フィンランドで始まった「オープン・ダイアローグ」という対話によって統合失調症など精神病などの回復を図ろうという試みが、大きく効果を上げていることが、世界の知ることになります。
ただ、タイトルを勘違いして、「開放的に対話すればいい」と思っている人も多いのがビックリ。
オープン・ダイアローグの実際は、セラピスト、カウンセラーが本人や家族たちと、毎日対話する場を持つことで、統合失調症などが改善される、と聞いています。
セラピスト、カウンセラーとは、訓練とスーパーヴィジョン、そして教育分析(心理カウンセラーが自分自身の成長のために受けるカウンセリング)を経て、自分の問題をその場に投影することがない人たちのことです。
自我の問題を抱えた人たちが、社会問題などをテーマに、限られた時間で、生産的な対話が出来ることは、まずないのです。

 またNVC(ノン・ヴァイオレンス・コミュニケーション)という、対話というものを通して、さまざまな国家間の問題を、超えていこうという試みも、注目されています。
それは「対話の不在」が社会を覆っていて、どうにも理解し得ない現状を何とか打破したいという思いから始まっているのだと思います。
本来は国家間のイザコザを対話の場を作って超えていく試みとして始まったと聞いていますが、実践している友人の話によると、国家間の問題の前に、個々人の問題にNVCは活躍しています。
NVCというタイトルから、とっても冷静な話し合いのような印象を受けますが、場合よっては激しい感情(怒り)の表出も認められています。
コミュニケーションを深くするためには、情動の問題を無視できないからのだと聞いて、とっても納得しました。

 さて、セラピーの世界では、以前からそのような試みはされています。
カウンセリングの開祖とでも言われているカール・ロジャーズは「エンカウンター・グループ」というワークを実践していました。
師匠・吉福伸逸さんもワークショップで「エンカウンター・グループ・ワーク」を導入し、私達も体験しています。

 それは二人、或いは数人のグループで、ただただひたすらにとことん話し合うというものでした。
ある特定の場所、特定の時間、二人が一緒にいるということからしか始まらない。
眼の前にいるその人と、言葉をかわし、何かが始まる。
テーマがある場合もあれば、ない場合もある。
お互いの話をする中で共感し合う場合もあれば、怒鳴り合うこともあるかもしれません。
 
 そこでは「人と人が出会うとはどういう事なのか」をとことん体験していきます。
吉福さんが残したアフォリズムに「出会わなければ、別れられない」と言うのがあります。
人は最後に別れるものだ。
(まず別れというものにフォーカスする感性は、吉福さんらしいのですが、、、)
しかし、別れるためには相手の本性に出会っていないと、別れた後に引きずったり、拘ったり、精神的には本当の別れができない、そんな意味だったと思います。

 ところで、相手の本性に出会うためには、実は自分自身の本性に出会う必要があるでしょう。
自分にウソをついている人が、相手の本性に出会うわけがない、、、

 さてさて、では、本性って、何でしょうね〜?

by wtwong | 2017-12-16 01:26