<人生の選択、、、>ウォンウィンツァン

<人生の選択、、、>

f0236202_08574435.jpg



一週間ほど前、私は激しい不安に襲われた。

ジッとしていると、恐れが吹き上がって、居たたまれなくなるのだ。

まるで怯えた子供のようになって、奥さんのベッドに潜り込んだ。www

今なら照れながらも笑って開示できるけど、その時は、本当に怖かったのだ。


何が怖かったのだろう?

自分の選択は、もしかして自分たちを不幸にするのではないか、、、

何か大きなものを失うことになるのではないか、、、

未来に対する恐れや怯えなのだろう。


不安や怖れは、何らかのサインなのかもしれない。

違和感や不安を無視して、強がって、

あたかも勇気があるかのような振る舞うのは、

自分があるべき姿、あるべき選択を放棄することかもしれない。

選択に不具合があるかもしれないのだ。

仏教で言う「自灯明、法灯明」を教える内なる声は、

時に不安や怖れである場合がある。


私たちは大きな宇宙的な流れに乗って生きている。

それは例えば、父や母の子であり、この時代に生き、

子供を授かり、家族とともにこの国のこの場所に生きていること、、、、

そして父や母や妹が旅立ったこと、、、

いつか私たちも旅立つこと、、、

そのような運命的なことだ。


そんな大きな流れに乗りながらも、同時に、

その都度その都度、選択を迫られている事でもある。

それは例えば、音楽を選択し、美枝子さんと一緒になったことや、

さとわミュージックを立ち上げたこと、

大きなピアノを購入こともそうだ。

それらは、個人的な選択である。

しかしながら、振り返って見るならば、やはりそれらも、

何らかの采配によって、選択させられたのだろうと感じてしまうのだ。



f0236202_08575400.jpg

1450万円のピアノを購入する時も、

私は大きな不安に襲われていた。

そのピアノは自分が求めているピアノなのかどうか?

その頃ピアノのことなど、なにも解っていなかった。

そのピアノを自分が弾きこなせるのか?

演奏技術など無かったのだ。

そのピアノが録音に使えるのか?

録音技術もなかったのだ。

自分の音楽に自信があるわけではなかった。

追い求めている音楽の高みを、いつも実現できているわけではなかった。

分不相応な高価なピアノを買ってしまったのではないか、、、、

著名なクラシックピアニストなら、

大きなフルコンサートピアノを自宅に持っても当然だろうけど、

私のような技術のないピアニストには釣り合わないのではないのか、、、


でも録音に耐えうるピアノを購入する以外に、私には選択肢がなかった。

演奏技術のない私が、スタジオという特殊な場所で、

限られた時間内で、良いレコーディングが出来ると思えなかったのだ。

自分の音楽を活かしめるためには、その選択しか無かった。

ピアノを購入しないということは、己の可能性を捨てることになる。

どんなに不安で恐れがあっても、それは必然的な選択だったのだ。

それを判りながらも、

それでも怯んでいる私を後押ししてくれたのが寺山心一翁さんや、

「アルケミスト」を送ってくれた山川夫妻だった。

そして何よりも親父と美枝子さんのサポートによって、

ピアノを購入することが出来た。


選択の基準とはなにか、

今までの自分を振り返って、

言えることは「己を活かしめる」ということだと思う。

自分自身が輝く方向はどちらか、ということのように思う。


私が不安に襲われたのは、

それを放棄しようとしていたからに他ならない。

私は守りに入っていた。

失うことを恐れていた。

その選択によって、不幸になるかもしれないという恐れだ。

消極性こそが不安の元凶だったのだ。

f0236202_08501733.jpg

自分自身を輝かせるための積極性、

それこそが不安症からの脱却の処方箋なのだろう。

その選択によって、何かを失うこともあるかもしれない。

だが、それも一つの答えなのだろう。

また一つの選択は、他の選択の放棄でもあるのだから、

他の生き方を失うことでもあるのだ。

どのみち一つの選択とは、他の選択を失うことなのだ。

ならば己が輝く方向へ、選択すべきなのだろう。


不安や怖れに向き合い、それらの原因を見定め、

目をそらさずに居れば、自ずと路は見えてくる。

他の選択肢が、本当に己が、或いは宇宙が望んでいることなのか、

しっかり見極めること。

それが自灯明・法灯明ということだ。

たとえ恐れがあっても、積極性を失わなければ、克服できることなのだ。


そして、いつか自分の人生を振り返って、

その時その時の選択は、

そのようにしか有り得ない選択だったと気づくのだろうか。

SF映画「メッセージ」は、未来を予知してしまった主人公が、

それでも定められた、その運命を生き抜くということがテーマだった。

私たちは基本的に未来を予知することは出来ない。

(占星術や予言は、大雑把過ぎるし、

無自覚にそれに従うことは、

選択の自己責任を放棄することにほかならない)

それでも、未来の自分から過去である現在を振り返って、

その選択が悔いのないものなのか、どうか、

私達はもうすでに知っていることなのだと思う。


[PR]