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映画「ナチスの愛したフェルメール」寸評

映画「ナチスの愛したフェルメール」

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(ネタバレあり)

稀代の贋作画家、ハン・ファン・メーヘレンの半生を描いた、なんとも切ない、身につまされる実話映画です。


画壇にデビューしようとしたメーヘレンは、評論家に酷評、蔑まれ、画家としての生命を絶たれてしまいます。

「メーヘレンの作品には個性も創造性もない」と、、、

メーヘレンは自分を愚弄した評論家や画壇に復讐を誓います。

6年を費やし、苦労して、あたかもフェルメールが描いたかのような画法を編み出します。

フェルメールには空白の時期があり、メーヘレンはその時期に描いたであろうとイメージできるような「エマオの食事」という作品を描きあげます。

メーヘレンには古典的な画法に長けていたのです。

そして、300年前の作品に見せるための様々な贋作のテクニックを編み出します。

そして、なだたる評論家たちはまんまと騙され、画商は高額でその絵を買い取ります。

メーヘレンはそれが自分が描いた贋作であることを公表し、彼らの権威を失墜させようとするも、そのタイミングを逸してしまいます。

その後、画商のオーダーに答えるようになり、メーヘレンは大金持ちになっていきます。

そして第二次大戦が始まると、今度はナチスのゲーリングが彼の贋作を買い上げるようになります。

そして戦後、彼はオランダの文化財をナチスに売った罪人として、裁判にかけられ、長期の懲役刑を求刑されてます。

そこで彼はこれらの作品が自分が描いた贋作であることを告白します。

そして、実際にそれを描いて周囲を驚かせます。

X線鑑定なども行われ、真実が明らかになり、彼は非国民から一転し、ナチスを騙した画家として英雄になります。

結局、詐欺罪としては最短の懲役一年の判決が下ります。

しかし、その一ヶ月後、長年の飲酒と麻薬でボロボロだったメーヘレンは、心臓発作で58歳で亡くなってしまいます。


その様な一人の芸術家の精神の激しい狂おしい揺らぎの半生を、丁寧に優しさを込めて描写した名画と言って良いと思います。

主人公を演じた俳優も好演です。

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真作と贋作の違いはなんだろう?

それはサインの問題だと言います。

あたかもフェルメールが描いたような作品に「フェルメール」とサインを入れたその時点で、それは贋作になり、もしそれを売買された場合、詐欺罪に問われる事になる、バレればですが。

しかし、もしその絵に自身の名前を入れたなら、この場合「メーヘレン」とサインすれば、その作品はメーヘレン本人の作品になる。

そして評論家に「フェルメールの影響を受けた、個性も創造性もない、凡庸な作品」と酷評されるでしょう。


さて、ここからが私の独断ですが、、、、


裁判のとき、もしメーヘレンが真実を告白しなかったらどうなったろう、と意地悪な私は想像します。

メーヘレンは売国奴の汚名を着せられ、長い懲役刑に服しながら、しかし彼の作品は、彼の望み通りレンブラントやフェルメールの真作と肩を並べて、永遠に国立美術館に飾られたかもしれない。

そしてメーヘルンは評論家や画壇だけでなく、絵画全体の世界へ復讐を遂げたかもしれない。

ざま~みろ、です。www


<絵の価値とはなんだろう>


それにしてもその絵が本物かどうかを、名だたる評論家さえ見抜けないものでしょうか?

はい、見抜けなかったのです。

私はプロの評論家の目があてにならないということを言いたい訳じゃないのですが、、、

そのぐらい芸術の本質や価値を見抜くことは難しいのでしょう。


翻って、ではそれが真作か贋作か、そんなに重要なことなのでしょうか。

その絵に感動したなら、それで良いではないですか。

私たち素人にとって芸術の価値は、個別的な体験です。

感動したその人にとって価値があるのであって、世の中的に絶対的な価値基準などないのが芸術です。


にも関わらずそれほど真贋が重要な要件になる理由はなんでしょう。

それは、もしその作品が贋作だったとしたら、その時点で投資価値が失われるからです。

お金が余っている人たちにとって、絵画は、株や土地の売買と同じ、投資なのです。

偽物だと発覚したら、その作品は紙屑同然になってしまいます。

私は、彼らが絵画に対する愛情などない、などと言っているのではないのですが、、、www


<認められると言うこと>


映画では幾度となく「認められたい」という言葉が出てきます。

当時、いわゆる画壇というものが台頭し、権威を持つ様になっていました 。

つまり「絵」という商品の売買マーケットが確立してきたということです。

そして「認められる」ということは、その作家の作品が将来、レンブラントやフィルメール、あるいはゴッホやルノアールのように、高額な値段がつく可能性がある、ということを画壇が保証する、と言うことなのです。

高額で買ってくれたクライアントに対し、その作品の価格が落ちないように一生懸命下支えしているのが、絵画マーケットシーンなわけです。

まるで、金融が暴落しないよう、国や金融機関が必死になって、あの手この手と暗躍しているようなイメージを持っちゃいますね。


そう、画家が「認められたい」と言うことって、大会社の社長になりたいとか、総理大臣になりたいとか、マイケル・ジャクソンになりたいとかと本質的に変わらない。

この社会で地位を占めたい、と言うことだと、まあ私なんかは思っちゃうんですね。


当然そのような世界では「オリジナリティー」の意味も私達が考えているようなものではありません。

彼らのオリジナリティーとは商品価値なのですから、そんなバイアスを強く作用しているのが絵画市場です。

以上は私の偏見でしょうか。


では、ほんとうの意味で「認められる」とはどういうことでしょう?

それはまた改めて言及したいと思いますが、最後に、、、


ある日メーヘレンは一人の女性を描きます。

その絵を見た妻は、メーヘレンがその女性に強い思いを持っていることを見抜きます。

そして「伝わってくる、愛情が、、、」そう呟き、妻は彼のもとを息子と一緒に去っていきます。

映画監督が元妻に呟かせたその一言こそ、彼が本当に言いたかったことなのでしょう。

描く対象への愛、それが絵画の本当の価値だと、、、

そして監督の、人間メーヘレンを描くその根底にも、メーヘレンを通して浮き上がってくる、はかない切ない人間存在への眼差しと深い愛を感じるのです。


ウォン・ウィンツァン

2019-12-18


by wtwong | 2019-12-18 21:05