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<母と精神の父>ウォンウィンツァン

今日は2月14日、バレンタインデーだけど、実はわたしの母親の命日でもあります。


亡くなったのは1981年、彼女が58歳、わたしが32歳の時だった。

膵臓癌でしたが、当時の癌治療は最悪、緩和ケアーと言うもの自体がなかったし、病院も医者も看護婦も酷かった。


お袋はよくがんばったと思う。

私たちは交代で病棟に寝泊りしながら、お袋が黄泉の国を彷徨っているのをずっと見守っていた。

だれとも知れない子供達が母を囲んでいるようで、お袋は子供たち一人ひとりに対応しているようだった。

それを見続けていたわたしも精神状態がおかしくなっていた。

お袋が亡くなる朝、窓の外から「たすけて~」という声が聞こえて、慌てて窓を開けると、そこでは鳥たちが朝のさえずりで忙しそうだった。

わたしが聞いた「たすけて」という女性の声は鳥たちのさえずりだったのだ。

あの声は今でも鮮明に覚えている。


程なくして父親や他の家族も来たので、わたしは交代して家に帰った。

家に着いたころ、連絡があり母が亡くなったことを知らされて、また病院に行くことになった。

葬儀は家族だけで行われた。

雪の日、棺を向こうに置いて、父親と美枝子とわたしの3人がストーブで暖まっている風景だけが、やけに鮮明に覚えている。

雪明かりがガランとした部屋を浄化しているようだった。


母の死は、32歳のわたしは上手に受け止められなかった。

母との確執を解消することができずに死別してしまったのだ。

それは結局母への呪縛にもなった。

母親の呪縛から解放されたのは、2012年秋に行われた吉福伸逸氏の最後のワークショップだった。


実はわたしは吉福さんとは袂を分つ状態だった。

2010年秋のワークを最後に、わたしは吉福さんのワークには参加していなかった。

何故袂を分つことになったのかはいつかお話しするとして、、、

そんな吉福さんから、なぜか突然連絡がありワークに誘われて、いそいそワークに参加することになった。

そのワークが彼の最後のワークになり、かつそのワークで私は母親との関係性の本質に気づき、そして手放すことが出来たのだ。


吉福さんが亡くなる直前、私たち家族はハワイの彼の家に押しかけていた。

一週間ほどいて、皆と本当にたくさんのことを語った。

そして私たちが帰る日、彼の最後の言葉は忘れられない。

「わたしは様々ワークをやってきたけど、結局最後に残るのは母と子の問題なんだよ」

その言葉はもしかしたらご自身のことを語っていたのかも知れない。

吉福さんの母親は前年の秋に亡くなられている。

彼は母親を追うように亡くなったのだ。

2013年4月30日、私たちがハワイを離れた10日後に亡くなられた。

母と、そして精神の父親を亡くして、ようやく私も自立したのかも知れない、、、合掌