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<不安や恐れの象徴としてのコロナ>

<不安や恐れの象徴としてのコロナ>


コロナウイルスの脅威は、今日本に迫っています。

でも、ほとんどの人はニュースやSNSでしか知りません。

その実態を体験している人は、日本の人口を分母にすると、ほんの僅かなのです。

なのでコロナウイルスの脅威を過剰に恐れたり、あるいは過小にあなどったりしています。

そして今やウイルスの恐れよりも、経済が破綻することの恐れの方に、その視点は移り始めています。

1ヶ月後、2ヶ月後、日本の経済システムがどうなっているか?

もしかしたら私たちは働く場所を失っているのか?

果たして私たちは生きていけるのか?

私たちの不安や恐れは、この社会システムへの不安と恐れに移行しています。


そのように思う時、コロナ騒動の本質が、何か見えてくるような気がします。

それは、コロナへの不安や恐れは、なんらかの象徴なのではないか?ということです。

言うならば、今まで無自覚に隠されていた不安や恐れが、コロナと言う象徴的非存在に投影することができるようになったのではないか。

つまり今まで目に見えなかった不安や恐れを「コロナ」という記号に置き換えることで、不安や恐れを感じることを自分の許せるようになったのではないかということです。

そしてその不安や恐れの本質は、実はこの社会システムへの本質的な不信感なのではないのか?


私たち人間は弱い存在です。

恐れや不安を感じない人はいません。

あたかも強そうに振る舞っているだけです。

「メンタルが強い人」と言うのは幻想です。

そんな人間はいないのです。

本質的な弱さを、なんらかのゴマカシで、いかにもメンタルが強そうに装っているだけにすぎません。


私たちはようやく恐れや不安の対象がなんであるか、今回のコロナ騒動で可視化され始めています。

それは、私たちが生きている、生かされている社会のシステムが、信頼し安心するにあたわないと言うこと、、、

もうコリゴリだとは思いませんか?


コロナは恐るに足りません。

クルーズ船に乗り込んだ感染症の専門家は恐れていませんでした。

それは感染されない方法を熟知し、それをしっかり実践していたからです。

私たちは家にいれば良いだけです。

こんな簡単な対策はありません。


しかし恐れなければいけないのは、コロナ騒動の後、一体私たちを擁護してくれる社会のセーフティーシステムはあるのかどうか?

私たちに仕事があるのかどうか?


この数年、AIが進歩すると職業が奪われると言うまことしやかな情報がたくさん流れました。

でも、今回のコロナ騒動で、一気に産業が崩壊する可能性すらあるのです。

そんな脆弱な社会システムの上に私たちの生活が支えられていたことに、私たちは今回のコロナ騒動で気付かねばなりません。


恐れや不安を感じず、日々の喜びを謳歌できる社会システムが、本当は求められているのです。

今までは何かにごまかされてきたのです。

今回のコロナ騒動はそのことを気づかされました。

お金のシステム、金融や資本のシステム、、、

そこから脱皮して、不安や恐れを感じないですむ、信頼に足る社会を想像する。

もう始めようじゃないですか、、、


ウォンウィンツァン

2020-04-08




by wtwong | 2020-04-08 15:28 | essay