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<自我の成長、霊性の成長>

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 エイブラハム・マズローの欲求の5段階説は、国家資格が必要な看護師の教育カリキュラムに採用されているぐらい、コモンセンスになりつつある。

マズローは晩年、人間の欲求には6段階目があり、それは自己超越(トランスパーソナル)であると説いた。

トランスパーソナル心理学のネーミングはそこから始まっている。

心理学に超越的な領域に視野を広げた元祖はカール・グスタフ・ユングだ。

ユングは、人間が体験する超越領域に目を向けた初めての心理学者だったわけだが、そもそも人類はその原初段階からシャーマニズムやアミニズムと言われるような超越体験を重ねている。

つまり科学的合理主義が席巻する前の、人類にとって超越すること、超越的な、霊的な領域が存在することは、疑う余地がない普通のことだった。

しかし近代文明、科学合理主義が台頭すると、それらは迷信として退けられるようになってしまう。

話はどんどん飛ばして、、、、


 そして1960年ごろ、ベトナム戦争を契機に、人間の本来持っている精神性、超越性をとりもどすようなムーブメントがアメリカの若者たちの間で起こる。

それはカウンターカルチャーやヒッピー文化とよばれ、かれらはインドやアジアの精神文化に憧憬の目を向けるようになる。

東洋にこそ自分たちが求める精神性、スピリチャリズムがあるのだと幻想を持つようになる。

そして、インドやチベットのスピリチャルリーダー、つまりグルたちがアメリカに招聘され、講演活動を行ったり、修行システムや瞑想システムが紹介され、爆発的に広がっていった。


 しかし、それと共に様々な問題が起きてきた。

殆どのグルたちが女やお金に溺れてしまったのだ。

悟りを得ているはずの自分たちの精神指導者たちが、みな欲望に溺れていってしまい、グルに救いを求めていた者たちは混乱した。

(以上のことは日本でも起きている)


 同時に、猟奇的な事件も起きるようになる。

日本で言うなら「オウム真理教事件」のようなことが頻発した。

そして、東洋の精神性に憧れ、そこに救済を求めてきたアメリカの若き求道者たちは、傷つき失望し、絶望もした。

そして、なぜだ?なんでこんな事が起きるのだ?と問い始めた。


 トランスパーソナル心理学は、実はそのような疑問に答えるために始まったと言っても過言ではない。

トランスパーソナル心理学の論理的リーダーであるケン・ウィルバーはその問題に光を当てることに成功した。

それは「プリパーソナル、パーソナル、ポストパーソナル」という言葉で象徴される。(アートマンプロジェクト)

すなわち人間の精神発達を「自我が確立する前、自我が確立した段階、そして自我を超えていく段階」と大きく3つの段階に分けて論じたのだ。


 そして自我やパーソナリティーの成長と、超越体験がもたらすそれらへの影響を明らかにした。

自我やパーソナリティーの成長が十分でない状態で超越的な体験をした場合、様々な問題が起きる可能性があることを指摘したのだ。

それらの体験を受け止められない場合、神経障害、精神障害を引き起こす可能性が高い。

場合によっては精神疾患と見なされてしまう可能性がある。

逆に成長の段階で強い抑圧を受け続けたパーソナリティーは、神々しい超越的な体験によって、自分を神や、超越的な存在なのだと、自我の肥大を起こす可能性が高い。


 麻原彰晃の例で言うなら、人格に何らかの障害をもったものが、超越的な精神技術を習得した場合、歪んだ自我がそのまま肥大し、自らを神とみなし、反社会的行動は彼の中で肯定され、人を殺めるような犯罪も厭わなくなる。

そして彼を崇める弟子たちも、その幻想性に気づかず、同じ過ちを犯してしまう。

超越体験、霊的体験というものが、未熟で、抑圧された人格にとって、歪んだ自我にとって、どんなに危険な幻想を呼び起こすか、オウム真理教の例だけでなく、人類では何度もそのような事件が起きている。


 トランスパーソナル心理学では、精神的な成長を望むものは、まず人格の成長を確立すべきだろう、という。

人格の確立なくして、本当の霊的成長は望めないと強く提案している。

我が師匠、故吉福伸逸氏のワークショップの本来の目的は霊的成長にあった。

だが、結局は自我の問題、人格の成長の問題ばかりに時間を取られ、霊的超越的なワークの段階までにたどり着くことが出来なかった。

吉福氏はそのことに残念がっていたし、私も残念に思うところでもあるが、それは致し方がないのだ。

今現在、私達の集合意識は、霊的成長の取っ掛かりの段階にしかいないのだと思う。


 もちろんユングやシュタイナー、エドガーケーシのような天才たちは自らの叡智と直感と思考によって、その道を切り開いてきた先達だ。

だが、それはあくまでも彼ら個人が天才的に出来たことで、彼らの弟子たちにどれだけそれを伝授できたのか、、、

また時代性を考えると、まだまだ社会が彼ら天才たちを理解するだけの受け皿は出来ていない。

そして彼ら先達が天才であっただけに、それこそ密教的な叡智を伝えられない事もあったはずなのだ、、、


 超越能力は人類に本来的に備わっている。

脳科学の世界では、臨死体験や超越体験を脳内現象だという。

逆に言えば、すべての人間の脳にはそのような体験することが出来る能力が備わっている。

誰でもが、そしてどの年齢でも、たとえどんなに自我が未熟だあろうが、超越体験をする可能性を持っている。

自我が確立していない、未熟な者にとってそれは混乱だ。

問題は、現代の合理化社会では、これらの体験者の混乱を受け止め、適切に健全に社会生活に戻してあげられるようなシステムがない。

何しろ自我の成長すら社会のシステムにないのだから仕方がないのかもしれない。


 霊的成長は、私達人類全体の究極の、本来的な存在的な欲求だ。

しかし私達は、まだまだその発端に触れているかもしれないが、その全体の地図は深い霧の中にある。

私達がその全容を俯瞰して見れるようになるには、長い年月が必要かもしれない。

多分数世紀はかかると思う。


 そして、トランスパーソナル心理学の長たちが言うように、まず何よりも自我の成長の確立こそが、今私達がやらねばならないことではないだろうか。

それなくして霊的成長を求めても、光を当てずに、地図のない道を歩んでいるようなものだ。

羽のない飛行機を飛ばそうとしているようなものだ。

道を間違えれば戻れない可能性もあるし、失速して死に至ることもある。


 実は、吉福ワークの自我の成長メソッドには、自ずと超越性が求められる場合も多い。

つまり、自我の成長と霊的成長は、少なからずオーバーラップする部分があるのだ。

自我の成長には、実は超越性も必要なのだ。

なぜなら無意識領域に眠っているシャドーやエネルギーにアクセスし、目覚めさせるためには超越体験は不可欠だからだ。

その意味では87年から瞑想を続けてきた私には吉福メソッドは自然にフィットした。


 霊的な歴史は、人類始まって以来、面々とつづいている。

しかし、霊性が人類にもたらした混乱を整理し、その全体性を俯瞰しながら、自我の成長と照らし合わせながら、しかも社会の中に着地させるような健全性をもたせるための、成長と教育のシステムを構築するための試みは、まだ始まったばかりだ。

トランスパーソナル心理学がその発端を切り開いた言ってよいと思うが、現代のスピリチャルムーブメントや新しい心理療法の多様化の中で、忘れ去られ気味なのは、とても残念なことだ。