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<愛し方が下手な人は、愛され方も下手、という話>ウォン・ウィンツァン

<愛し方が下手な人は、愛され方も下手、という話>

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 私の友人や知人を見渡すと、このタイトル通りの人がなんと多いことか、、、

他ならない私自身のことでもあるけど、、、


 そも「愛」ってなんだろう?

多分実態のないエネルギーのようなものだと思う。

まあ、オキシトシンとか科学用語を使ってもいいけど、、、


 人類種が生存のために、そして繁殖するためにはこの愛のエネルギーは必要だった。

人類種がこれほどまでに繁殖したのは他ならない「愛のエネルギー」が他の種より多かったんじゃないかな~、、、


 さて、では愛のエネルギーは十全に働いているのだろうか?

なぜ、これほどまでに多くの人が愛の喪失感に悩み、愛の渇望に苦しんでいるのだろうか?


 人は、愛のエネルギーを強く持っていても、愛する方法は学ばなければ、表現することが出来ない。

子供が親から話しかけられて言葉を覚えるように、親から愛されることによって、愛し方を覚えるのだと思う。

日々のちょっとした接し方、ふれあい方、想いのかけ方、、、

様々な日常のその都度その都度、愛が注がれることによって、その子は愛し方も学ぶのだと思う、、、


 しかし親から愛されなかった子供は多い。

親に愛がないのは、殆どの場合愛し方を知らないから、或いは下手くそだったからじゃないだろうか、、、

他にも、それぞれの事情があるだろう。

そして、愛し方が下手な親のもとでは、その子は愛に満たされないだけでなく、愛を教わるタイミングも逸してしまう。


 愛を受け取れなかった子供は、大人になり、今度は人を愛する立場になった時、相手に愛を伝えることが出来ない、、、

学ぶチャンスを逸したその愛はとてもぎこちないし、相手も愛されていると感じることが出来ない、、、


 愛し方の下手くそな人からよく聞く話が「自分はあんなに彼女(彼氏)を愛したのに自分から去っていった、あるいは、裏切られた」というパターン。

相手のニーズに答えないで、一方的な独善的な愛を送りつけても、愛されているとは感じないだろう。

相手に向き合っていない、ということでもあるかもしれない。


 さて、実は相手も愛の受け取り方が下手くそだったりする。

自分が愛によって生かされていることを感じ取ることが出来ない、知ることが出来ない。

私達は知らないうちに多くの愛に出会っている。

しかし、愛されている自覚を得られないでいるのだ。

そして相手に「なぜ愛してくれない」と怒っている人がいる。

相手に過剰な愛を求めてるのだ。

そして愛されている自覚がない分、相手に冷淡だったりする。

愛を知らない人が、愛され方が下手くそだとしても、当然といえば当然かも知れない。


 これは、パートナー同士、恋人同士だけの話ではない。

友人関係、仕事関係、たとえばバンドのメンバー同士だったりする。

社会の至るところで、この齟齬は起きている。


 かくて、愛し方が下手くそ、受け取り方が下手くそな者同士の悲喜劇は連綿と続いている。


 私達はこの連鎖から解き放つことが出来るだろうか?

わが師匠は難しいと悲観的だ。

愛の歪を正そうとすることは、結局は反対側に振れるだけで、影響下からは決して逃れられないという。


 私は楽観的だ。

私達は必ず、自身に備わっている愛のエネルギーに目覚め、自然な愛の表現の喜びを楽しむことが出来る。

人生はその為にある。


 あえて言えば、人生は愛のお稽古の場なのだ。

日常の一つ一つが自分自身を愛し、身近な人を愛し、そして愛を受け取るための、お稽古なのだ。

難しいことじゃない。

愛を学ぶのに苦しむ必要はない。

ましてや修行でも、修練でもない。

ちょっとした気づきと、ちょっとした意識のスキルの積み重ねなのだ。

日々の楽しいお稽古なのだ。


 そしてそれは、この世界を旅立つ時まで続き、そして完成される。

愛し、愛され、そして愛を受け取って、宇宙に帰るのだ。


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<聖なる愛>

 

私達の魂は強く聖なる愛を求めている。

神の愛、宇宙神からの至高の、聖なる愛を求めてやまない存在だ。

私達はそのことに無自覚かもしれない。

実は、宗教や権威主義も、聖なる愛への無自覚な希求の投影だと私は思っている。

それは、食欲や性欲と同じように、永遠に満たされないように、私達の魂は出来ている。

私達、人間種が生き延びて、繁栄するために、食欲も性欲も満たされることがないようになっている。

私達はそのことで多くの苦しも抱えることになった。

それと同じように「聖なる完璧な愛を求める」ことも、大きな苦しみを呼び起こす。

そしてそれは永遠に満たされない。

両親にそれを求めても無理なことなのだ。

大切なのは、そのことに気づくこと、、、

その事に自覚的になった時、

私達は、

永遠に聖なる愛に満たされないことを、

悲しみや痛みとともに受け入れ、

喪失を携えて生き抜くことを、

決意する、、、、


ウォン・ウィンツァン

2021/04/12