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<テンポについて> ウォン・ウィンツァン

<テンポについて>

<テンポについて> ウォン・ウィンツァン_f0236202_16403721.jpg
(絵:中津川浩章さん)

 私はテンポやリズムが悪かったので、随分と長いこと悩んだ。

結局、自分のテンポを持つためには、練習するしか無い。

メトロノームと長いこと格闘した時期があった。

今でもちょっと練習することを怠けていると、途端にリズムやテンポが悪くなる。

なので、今でもメトロノームを相手に練習は必須なんだけど、ちょっと怠け気味かな、、、


 テンポの練習の方法は、メトロノームに合わせて四分音符を連打し、メトロノームの音が聴こえなくなるまで続ける。

これがなかなか出来ないのだ。

でも、ある意識状態になると、メトロノームに引き寄せられるように、音が重なってくる。

メトロノーム音と四分音符の連打がひとつになると、世界が変わる。

(アナログ・メトロノームは不正確なので、電子メトロノームをお勧めします。)


 この練習方法はあるドラマーから教わった。

彼はテクニシャンではなかったけど、彼のビートは本当にドライブする。

日本では珍しい数少ないミュージシャンで、当時はスタジオでもトップを走っていた。

彼はメトロノームに合わせて4分音符を連打し続けていた。

目から鱗だった。

彼のドライブ感はそんな地道な修練に支えられていた。


 以前「音楽の秘密」の投稿で、時間の流れを点ではなく、線で見えるようになると、音楽が生きてくる、みたいなことを書いた。

時間という引っ掛かりがない中空に、どこにどう描いたらいいのか分からない。

テンポというのは、引っ掛かりがない時間の流れに、物差しを当てることなのだ。

あるいは製図をする時に、製図板に時間という製図紙を貼って、メジャーを当てることに似ている。

音楽にとってテンポというのは、製図版のメジャーのような役割があると思う。


 でもそれだけに止まらない。

テンポを目安程度にしか考えてない人の音楽は、テンポが生きてこない。

あるいは正確なテンポという考え方も、テンポがもつ恵みの本質を捉えていない。


 テンポにこそ音楽の霊が宿る場所なのだ。

テンポが見えたなら、イメージした音が打たれる一点は、まさにその一点しかない。

その一点に打たれた時、それは音霊になって、聴く者の魂に届く一音となる。


 以上のことは、もともとテンポが良かったり、リズムが良い人には、無自覚かもしれない。

テンポやリズムが悪い分、それだけに意識を向けるのだと思う。


 私は誰とでもセッションするけど、共演者がテンポに対してどんな意識を持っているか、すぐわかる。

テンポに対してずさんな意識しか持っていないミュージシャンとは、また一緒に演奏したいと思いにくい。

あるミュージシャンと一緒に演奏することをお断りすることがあった。

スピリチャル系の方だった。

その時の彼の私への蔑みの眼差しはすごかった。

どうも私は否定性が強く、人を認めようとしない、意識が低い非スピ系に認定されたようだった。

テンポ感覚の違いから、なかなか人と一緒に演奏できないというのも辛いね、、、


 でも、テンポが共有されると、それこそグループのサウンドは一つになり、新しい世界が広がる。

そんな至高の音楽を私は何度も体験している。

合奏とは、まさにテンポが一つになることなのだ。

この喜びをもう一度体験したい。

これからもグループを作ったり、合奏したいと思うのだけど、なかなか難しいね、、、


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「テンポは、音楽に魂を込める手がかりだ」という話をした。

最近、ある画家のすてきな抽象画に惹きつけられた。

その抽象画を楽譜に見立てて演奏してみたいと思った。

いわゆるテンポがない音楽、まあ現代音楽的なアプローチをしてみたいと思った。

(抽象画だから、音楽は現代音楽やフリージャズというのも短絡的かもしれないけど、、、)

19歳頃からフリー・ジャズ、テンポのない即興演奏をやってきたので、きっとなにか出来る気がした。

でも最近、そのフリーテンポの感覚がわからなくなってきた。

テンポという手がかりがないところで演奏するのって、実はとっても難しいのかもしれない。


 ウォン・ウィンツァン

2021/04/17