<二重生活のすすめ> (吉福伸逸氏の命日に思う)ウォン・ウィンツァン
<二重生活のすすめ>
(吉福伸逸氏の命日に思う)

先日、新海正彦さんと、共通の師匠、吉福伸逸氏の話になった。
彼に会えば、必ず吉福さんの話にはなるのだけど、、、
吉福さんがある時、私に「今住んでいる所をやめて、違うところに移り住みたいんだ、、、」と話したことがある。
こんなフランクに自身の事を語るようになったのは、彼のワークショップに参加するようになって3~4年たってからだ。
彼はハワイのオフショアに1990年ごろ家族とともに移住してから15年以上は過ぎていたと思う。
私はすかさず「どこに行っても同じですよ、、、」と、さも解った風な答え方をした。
吉福さんは力無く笑いながら「そうだね、、、」と答えたものだった。
私の答えは、ある意味、的を得てはいたかもしれない。
しかし、何かがわかって答えていたわけじゃない。
吉福さんは人生で何度も居住地をかえながら、自己変革を経てきた人だ。
岡山、東京、ボストン、ニューヨーク、ブラジル、バークリー、エサレン、東京、そしてオフショア、、、
そんな人が「住むところを変えたい、、、」と言うその背景に計り知れないものがあるはずだ。
それでも私の安易な答えに頷いてくれたのは優しさだったかもしれないけど、また同時に何か考えるものもあっただろう、とも思う。
その話の流れから、吉福さんの本のタイトルになった「世界の中にありながら、世界に属さない」に話が及んだ。
この言葉は、スーフィー(イスラム系神秘思想)から由来していると新海さんが教えてくれた。
そしてそれはグルジェフ(ロシア神秘思想家)の教えにもなっていると言う。
その意味は、日常的には社会生活を送りながら、例えばビジネスマンとか、他の職業であったりしながら、その内面ではグルジェフィアン(グルジェフの思想を信奉する人)であったりする。
日々グルジェフのメソッドを実践しながら、しかしその事を内密にして、人には明かさない。
そのような二重生活を送るライフスタイルを「世界の中にいながら、世界に属さない」という言葉の意味するところだと新海さんは言う。
吉福ワークや、私達のワークショップに参加された方たちが、ワークから現実生活にもどったときに、困惑されることがある。
ワークによって真実の自己に目覚め始めると、あまりに現実生活が虚偽に満ちていて、リアリティーが感じられなくなる。
様々なことが嘘くさく感じられて、どうして良いのかわからなくなるのだ。
そして現実生活にリアリティーを取り戻そうとして、色々齟齬を起こすこともある。
なのでワークの最終日のゴー・ホーム・インストラクションでは「二重生活」を勧めている。
現実生活の虚偽性と戦っても、多くは空回りして、徒労に終わることが多い。
下手すると、傷ついてしまったり、生活が破綻したりする場合もある。
そこでワークショップでは2つの世界観、2つの次元を混同せず、それぞれのライフスタイルを同時に生きるように、参加者に勧めているのだ。
たった2泊3日のワークショップで、現実生活と乖離するほどの心性に気づくものなのかと、訝しがる方もいるかも知れない。
人間は本来、自己の本質、自己の真実を生きたがっている存在なのだ。
そのエネルギーは人間の生命力そのものだ。
なので、その人の自己の真実に気づくのにそれほど時間はいらない。
安全と信頼があれば、つまり真実を生きても攻撃されたり傷つけられたりしないスペースさえあれば、人はいつでも真実に戻ろうとするものだ。
もちろんワークショップなど受けなくても、どんな人もいつも自己の真実を生きようとしている。
その為に多くの人が苦しみ、傷つき、やがて自己を失いながら生きていくことを余儀なくされる。
生命力を失い、ゾンビのように生きているのだ。
或いは、ひどい場合は精神が病む場合も多い。
家庭という閉ざされた空間で、自己の真実を生きようとすることで犠牲になってしまう事態をRDレインは鋭く描き出した。(RDレイン:引き裂かれた自己、狂気と家族など、、、)
吉福さんも「真実を生きようとするものは、まず家族から攻撃される」と身も蓋もなく言っていた。
さて「世界の中にいながら、世界に属さない」この言葉には、ある悲観がある。
それは「世界は真実を生きるものを排斥する」と言う前提がある。
この世界は変わりようがない。
だから「二重生活」をするしか無いのだと、、、
そして「、、、とは言いながら、ワークショップをしているですがね、、、」と吉福さんは急いで付け加える。
ーーーーーーーーーー
このような文章を書き始めたのには、個人的な理由もある。
上述したような生きる術を、当然私も学んでいる。
しかし、時に忘れる時があるのだ。
昨年のアメリカ大統領選挙の後、不正投票疑惑がインターネットに飛び交った。
私はトランプを支持していた。
その背景には、行き過ぎたグローバリズムをいかに歯止めをかけるのか、中共の行なっている人権蹂躙という組織的暴力に世界は経済優先のために黙認して良いのか、、、
ピケティやジャック・アタリが描くディストピアをどう世界は乗り越えるのか、そんなテーマがあった。
そしてトランプの政策には事態を変革するなんらかの可能性があると、認識していた。
しかし識者の中でトランプを評価しているのは、エマニュエル・トッドぐらいだった。
トッドは私の見解を裏打ちしてくれる数少ない識者だった。
しかし日本の世論やメディアのほとんどは、差別主義者、環境破壊者としてトランプを見ていて、日本ではトランプを支持するものは蔑まれ、完膚なきまでに批判された。
そして選挙不正を疑うものは陰謀論者のレッテルを貼られてしまっていた。
私はトランプを支持していることを開示するのに躊躇はなかった。
そして他のトランプ支持者と同様な仕打ちが降り注いてきた。
「自己の真実を生きる」とは、たとえ世間が正しいとするものであっても、それが間違っていると感じたなら、その自分に嘘をつかない事だ。
極端な例を挙げるなら、例えば人類は爬虫類に支配されていると信じるなら、それを貫くのが自己の真実を生きると言う事なのだ。
この過激な説に、当然オーム真理教事件に繋がるほどの危険を感じる人もいるだろう。
でも、人に迷惑をかけない限り、いいじゃない、、、
さて今回のトランプ騒動で、いくつか気付かされたことがある。
・私も無自覚だったけど、まだ何か社会に夢を見ていたこと、、、
・私を信頼し、意見が違っていても受け入れてくれるFBFが沢山いたこと、、、
・そして新たな出会いがあったこと、、、
・イデオロギーやメディアを信じている人は、オーム真理教の妄信と対して変わらない。
彼らは異論を唱えるものを驚くほどの暴力性で排斥しようとする。
おかげで多くのFBFを削除させてもらった、、、
「僕のことを好きじゃない誰かのことでクヨクヨする時間はないんだ。僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから」スヌーピー
・なんと隠れ陰謀論者が友人に多いこと、、、www
結構な数のFBFがメッセンジャーを通して、私に共感していることを告げてくれた。
でも、本人はそのことを口外していない。
つまり彼らは「世界の中にいながら、世界に属さない」人たちで、意外と私の周りに多いと言うことに驚いた。
ーーーーーーーーー
さて、明日4月30日は我が永遠の師匠、吉福伸逸氏の命日です。
彼は移住することなく、2013年、オフショアのご自宅で亡くなられた。
肝臓癌だったけど、病院に行くことはせず、つまり初めから治療などする気はなく、自覚的に旅立っていった。
それは、あたかも、彼岸への移住の想いを、ガンによって実現させたかのように思える。
彼の旅立ちは、世界の外に移り住むことだったのだろうか、、、
今でも、亡くなる2週間ほど前に、最後の別れを言いにオフショアのご自宅に家族で押しかけた、その時のことが目に浮かぶ。
その数日間、さまざまなことを話し、歌い、ジャズを聴き、共にいる時間を持てたことは、ある意味、神との時間だった。
感謝とともに、ここにあらためて深くご冥福をお祈りします。
吉福さん、ありがとうございました。
ウォンウィンツァン
2021/04/29