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<プライドを超える>ウォンウィンツァン

<プライドを超える>

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 子供は成長し、いつしか自我が芽生える。

しかし自我は必ず脆弱性を含まざるを得ない。

なので外界から常に脅かされ続ける。

自我の綻びはそれはそれは大きな恐れなのだ。

そして守るべき方途として、

プライドという鎧を築き上げる。

実に巧妙に鎧を纏おうとする。

しかし、どんなに強固に鎧を重ねても、

そもそも脆弱な自我は、

外界からの些細な刺激でも、実に簡単に揺るがされ、壊れてしまう。

劣等感とプライドは互いに鎧の強度を上げ続ける。

一生涯鎧を脱ぐことなく、旅立とうとしても、

老化とともに、いつかもろく崩れてしまうかもしれない。


 ワークショップ中で忘れ難いエピソードがある。

事業が成功し、社会的に高い地位にある女性が私のところにやってきて「このワークは出来ない」と告げてきた。

そのワークは「ダダをこねる」ワークだった。

目の前にある飴を、親に見立てた相手に「この飴、ちょうだい~~~」とダダをこねるワークだ。

ただそれだけのワークなのだが、実に様々な内的葛藤を生み出し、無意識下に隠していた歪みが浮上してくる。

そしてそれぞれのプロセスが始まる。

その女性は、自分にとって従業員のような相手に、頭を下げて懇願することができないのだ。

ワークショップという安全なスペースでさえもプライドを捨てられずにいるのだ。

その時私は、その女性になんのサゼションもして上げられなかった。

自分でそれを見つけて欲しかったこともある、、、

でも多分、私がそのエピソードが忘れられないのは、もっと適切なサゼションをして上げられたのではないか?というちょっとした悔いが残ったからだ、、、

参加者に、最小限の介入で、最も適切なサゼションや状況を作り、参加者のプロセスが進めるようにするのがインストラクターの役割だ。


 さて、この世の中にプライドを一度も傷つけられなかった人はいるだろうか?

その時、私たちはどのように対処したのだろうか?

傷つけられて、ルサンチマン(怨念)をいっぱい抱えて、怒りの中で生きているのだろうか?

或いは、さらに鎧を強固にして、ガチガチの筋肉マンになるのだろうか。

あなたを傷つけた彼らを、どうして許せずにいるのだろうか?

劣等感を攻撃性に転嫁して毒を吐き続けている人もいる。

この世間の軋轢は、実は劣等感が背景にあったりする。


 あるスピリチャルリーダーが、「声を出して「許す」というと楽になる」と教えているそうだ。

なるほどと思う。

「許す」という言葉には、圧倒的な上位に立つ言葉だ。

完全に上から目線、神目線の言葉なのだ。

傷つけてきた彼らに直接声を出して「許す」と言ってみたいものだが、、、、


 さて、劣等感やプライドは「自我」という人間が社会的関係性を営む上で、必ず必要な精神構造の副産物でもあるのだ。

つまり、完全に無くすことはまず無理なのだ。

嫉妬心も、、、

私たちに出来るのは、その様な自我の機能を俯瞰する一つ上の次元に立って、

それらの自縛から、魂を解放することなのだと思う。

安全なスペースで、自覚的にプライドを放擲してみる体験は、自分を客観化する良い経験になる。

呼吸をしよう。

瞑想しよう。

そして、そんな自分を愛しんで上げようではないか、、、

傷ついた魂を抱きしめる、、、、

そして傷つけてきた人に言ってあげよう。

「もうそんなに自分を守らなくても大丈夫ですよ」って、、、


ウォンウィンツァン

2021/05/01