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<皮肉屋ピアニスト>

<皮肉屋ピアニスト>

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 私の父親は、なんて言うか、実に皮肉、蔑みの上手い人だった。

人のことをディスることに関して、今思い出すと実に的確に人の自尊心を踏みにじることに長けていた。

しかも、にがみ走った顔でそれをこなしていた。


 晩年までそれは続いた。

「コンサート?武道館でやるんですか?」

「CDってなんですか?100万枚売れたんですか?」

(懐かしい~~~)


 でも、彼のせいじゃない。

そのような環境に彼は育ったんだよ。

そこではいつも彼はディスられ、否定され、傷ついてきた。

そしていつ日か、彼もそのような人間になってしまったのだ。

本質的には優しい人だったのに、、、


 では息子はどうなったか。

もちろん息子である私も散々ディスられた。

当然傷ついたし、親に対する反発心が吹き上がって当然だよね。


 親からだけじゃない。

親戚からも、学校の教師からや、生徒たちからも、そしてスタジオでも、ディスられ、皮肉られ、からかわれ、否定されてきた。

ある親戚は、私の動作が遅いので「スローモースローモー」と言ってからかった。

また、私はブスで、鼻が低いので、よく高くなるようにとつままれた。w w w

小学校の通信簿に「意志薄弱」と書かれていた。w w w

先生にクラス全員の前で笑い物されたりした。

他にも色々思い出すけど、、www


 そのような環境に育った私も、はい、もちろんその精神を受け継ぐことになった。

実に否定性の強い人間になったのだ。

人を揶揄したり、茶化したり、からかったり、あざけるのが大得意の人間に、、、、

時代も時代で、社会では「自己批判」とか「総括」とかの否定性満載の言葉が飛び交っていた。


 一体どれだけの友人知人を愚弄してきたことだろう。

どれだけたくさんの人を傷つけてきただろう。

誰をも、どんな人も、どの音楽も、私は肯定しなかった。

自分自身も、、、、


 さて、そんな中、私に大変革が起こった。

瞑想を始めたのだ。

じゃ~ん

全てが肯定的だった。

あらゆることを肯定的に見ることを学んだ。

お花畑という言葉がピッタリくるほど、瞑想者の仲間たちと肯定性を楽しみ、分かち合った。


 さとわミュージックの「さとわ」とは、サンスクリットの「サットバ」を日本語的に発音したものだ。

その意味は、肯定性、創造性、調和、などの意味だ。

ヴェーダの英知に、世界は、ラジャス(戦い、否定性)、タマス(停滞)、そして「サットバ」の三つのグナ「引き合う力」のバランスの上に成り立っている、と言われている。

でもラジャスやタマスをそっちのけで、ともかく肯定性がいっぱいなのがいい。

音楽でサットバの世界を実現するんだ。

そんな想いが「さとわミュージック」の名前の由来だ。

私は否定性の人から、肯定性の人、つまり「良い人」に変身したのであった。

そう、私は「良い人」になったのだ~~ じゃ~~ん


 ところがである、私は吉福伸逸という人に出会ってしまうのだ。

彼のワークショップに参加するようになったのは、もちろん私の内的な理由があった。

ワークによって、本当の意味で自分自身に出会う旅が始まった。


 ところがワークでは、吉福さんの皮肉が飛んできた。

「ウォンさん、いつまで良い人、やってるんだい」

揶揄やからかいは、ワークのたびに増えていった。

「なんでも癒しのピアニストなんだって?

そりゃ一体なんの冗談なんだよ」

「結局さ、みんなあんたのせいなんだよ」

こんな言葉がバシバシ飛んでくる。

そしてひどい決めつけもジャンジャンされてしまう。

「それは違う」と言おうとすると「そんな言い訳、聞きたくもないね」と全くとりつく暇もないのだ。

グループではみんなの前で晒し者にもされた。

「ウォンさん、そのカルマとかいう言葉、耳障りなんだよね」

「ウォンさんがいう成長って、一体なんのこと、、、」w w w


 本当にムカついた。

言われるたびに、私は怒りをあらわにした。

でも吉福さんは、全く取り合わなかった。


 でも、ある頃から、何言われても平気になってきた。

どうでもよくなってきたのだ。

自分は誤解されている、でも別にいいじゃん。

決めつけられいる、でも相手の勝手じゃん。

人がなにを言おうと、どう考えようと、どうでも良くなってきたのだ。

吉福さんはそんな私を観察しながらニヤニヤしていた。


 そんな頃、吉福さんが私ともう一人のワーク仲間を呼んで、ある課題を与えた。

「これから、そうだな~半年ぐらい、自分のことを一切語らない、自分のことを一切説明しない、一切弁解しない、やれる?」

その課題を本当に半年、やったのか、やれたのかどうかもう覚えていない。

でも、明らかに私の中で変わるものがあった。

自分という存在が、何者にも揺るがされない、何か強さと言うよりは、柔軟性とでもいうものが根付いたように思う。


 人は人間関係や社会の中で、いつも揺らがされ、傷ついている。

いつも批判の目があり、評価されて、自分を損なうものに世界は溢れている。

自我はいつも戦々恐々としている。

そのために誰もが心に鎧を着ているのだ。

プライドや、自尊心や、誇りというものも、ある意味自己防御のためにある。

吉福さんはそう指摘する。

もちろん、それらが全くなくなるのは、逆の問題もあるのだけど、、、、


 自分を守る必要のない境地がある。

自我の問題に振り回されない立ち位置がある。

自分が自分自身に出会い、自己イメージが自分に重なるようになると、自分を守る必要もなくなってくる。

また、自分を主張する必要もなくなる。

この世界に自分は、存在しても、存在してなくても、別にいいのだ。

ありのまま、自分のままでいいのだ。

ナスがまま、きゅうりがパパなのだ、、、


 私には友人がたくさんいる。

ありがたいことだね。

でも、一緒にいて居心地の良い相手は数人しかいない。

彼らといると、あるがままでいられる。

自分が相手を傷つけてしまうのではという心配がいらないのだ。

その数人とも、結局は吉福さんとの関係がある人ばかりなのだ。

吉福さんの皮肉の洗礼を受けた人ばかりなのは、まあしょうがないかもしれない。

彼らは自我の問題をクリアーしているのだ。


 最初に書いたように、私も父親と吉福さんの洗礼を受けているので、今でも本当はしっかり皮肉屋なのだ。

実にスムーズ、自然に、人を揶揄ったり、茶化したり、平気でやってしまうのだ。

吉福さんは人にどんなに嫌われようともかまわない人だった。

私にはそれは無理だ。

やっちまったあとでやっぱり後悔する。

そしてその人とは距離ができてしまう。

なので、やはり肯定性の装いは必要かもしれないと、最近思い直している。

天国から吉福さんの皮肉が聞こえてきそうだ。

「ウォンさん、まだいい子ちゃん、やってるの?」w w w


by wtwong | 2023-09-16 21:04 | essay