<Parfect Days >感想・続編
<Parfect Days >感想・続編

前回の感想文に多くの方が反応し、共感してくれたことに、自分も少しは映画鑑賞力があるかなと、ちょっと嬉しかった。
でも、実はあの映画で一番大切な部分をスルーしているんですよね。
理解できなかったので、スルーするしかなかったのだけど、やはりその部分を触れないと、映画の感想としては不備かな。
その部分が、多分一番大切で、難解というか、人それぞれの解釈に委ねられる箇所なのかもしれない。
例えば、姪っ子と話す「この世界には、たくさん世界があって、人はそれぞれの世界で生きている」とか、「いつかはいつか、今は今」とかは割とわかりやすい。
そして映画のタイトル「Parfect Days」の意味も、漠然とですが、映画全体をご覧になれば、やはりわかると思います。
ところが、一番最後に登場するバーのママの元旦那が呟く一言が実に意味不明なんですね。
癌末期の元旦那と平山が会話する、そこまでの経緯はネタバレになってしまうので記述しません。
ただ問題の会話は記述してみます。
(ネタバレされたくない方は読まないでね)
元旦那が唐突に呟きます。
「影って、重ねると、濃くなるんですかね?
解らないことだらけだな~
結局、何もわからないまま、終わっちゃうんだな~」
すると平山が「やってみましょうか?」と言って、実際に二人の影を重ねてみる。
「どうですか?」
「いや、変わらないかな~」
「濃くなってないですか?」
「いや、なってない気がする」
「なんてるんじゃないですか、濃く」
「いや、変わらないかな~」
「なってますよ。ほら、、、
濃くなんなくちゃおかしいですよ。」
「力説しますね」
「何も変わらないなんて、そんなバカな話、ないですよ。」
元旦那は何かを受け止めたように頷いて「ないですよね」と同意する。
以上の不思議な会話の裏に潜んでいる、メタファーというか、映画作家が私たちに伝えたかったことがなんなのか、目が点になっちゃったんですよね。
ご覧になった方はどのようにこのシーンを受け止められましたか?
はじめ「影」という言葉に惑わされて、その意味することはなんだろう?と考えました。
この映画の平山が眠りに落ちる時に見る走馬灯のような映像コラージュの一番最初に、この「影」という字が、割とはっきり浮き上がって見えている。
つまりこの映画は「影」というキーワードでループになっている。
でも「影」という言葉からなんらかの暗喩を蘇らすのがちょっと私にはできなかった。
ちょっと視点を変えて、再解釈してみました。
科学的には、影は重ねても濃くならない。
そんな科学的な事実に対し、平山は「濃くなんなくちゃおかしいですよ。」「何も変わらないなんて、そんなバカな話、ないですよ。」
と力説する。
つまり平山は「科学的事実より、何か他のものの方が大事」と言いたかったのかもしれません。
それは信念とか、あるいは信条かもしれない。
それは分からないけど、無口で、何事にもちょっと距離を置いてクールに生きている平山が、突然そのことを強く主張している。
平山には生きる上で、何か強い信念を持っていて、それに支えられて生きている、ということが浮き上がってくるように私には思えた。
そして元旦那が呟く「解らないことだらけだな~。
結局、何もわからないまま、終わっちゃうんだな~」というセリフに対し、比喩的に、強く反駁したのだと思う。
平山には信念がある。
彼は生きることの意味、生きていることで出会う一つ一つのエピソードにかけがえのない価値を体験している。
彼がそのような感性なり、感受性を解放できたのは、彼が何かを超えた身体感覚としての気づきを得ているから。
もう少し書き添えるなら、自分自身に出会い、自分を生きている人は、本来持っている様々な感性、感受性を開放し、出会う一つ一つの事象に喜びと生きがいを感じていることができる。
そんなことをこの映画は全体を通して実証してくれている。
この映画が評価されるのは、そのことを見る人が感受するからなのだと思う。
まあ、以上が私の勝手な追加解釈なのですが、それにしても美しい映画ですね。
ウォンウィンツァン
2025/01/29

