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<超越体験とナルシズム、神体験と利己主義>

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 「解脱」とか「悟り」を求める人達が、いつの時代にもいました。

インド思想史、仏教史には、そのような人物が連綿と続きます。

彼らは、それらを何故求めるのか、様々、個々の理由はそれなりにあるのでしょう。

救済を求める人、人間の精神性の高みを求める人、この現世の不条理に絶望した人、神になりたい人、それぞれです。


 時代を超えて延々続く「行者」を俯瞰する時、人間には根源的な成長欲求が、つまりは「神への指向」が有るのではと、私には思えます。

それが幼児的な段階では、鉄腕アトムだったり、スーパーマンだったり、なにか「超越的な存在への指向」が、人間の原初的な情動としてあると、私には思えるのです。

そう、人間は神になりたいのです。


 インド思想では「梵我一如」という考えがありますが、深い瞑想修行を繰り返すことで、宇宙意識、神意識、最終的には統合意識「ブラフマン」の高みに至ると説かれています。

仏教でもブッダがたどり着いた境地「さとり」を追い求めるのが、仏教の修行目的です。

そのお悟り指向、神指向を、あるいはスーパーマン指向を、私は「原初的な超越指向」として人間が誰でも持っているアーキタイプ(原型)なのだと思っているのです。

そのアーキタイプに突き動かされて、人は「解脱」あるいは「さとり」という言葉に沢山の幻想を添付してきました。

別な角度から言及するなら、さまざまな宗教は、この投影だと、私は思っています。


それでは、なぜ分別の有る大人が、常識人が、論理的思考が出来るエリートたちが、そんなスーパーマン幻想に囚われてしまうのです。

かれらの「超越的存在への指向」を下支えするのは、一体何なのでしょう?

それは、まさに「超越的体験」にほかなりません。


 人は「超越的体験」をすることが出来る生物です。

有る意識状態の中で神々しい存在に出会ったり、宇宙的体験をしたり、クンダリニーという超越的な生理体験をしたり、もう、それは人類の歴史の中で、アミニズムやシャーマニズム、などなど、人類の宗教史を積み重ねてきたことを思い返すと、それだけで壮大な精神史を形作っているのがわかります。


 近年、科学合理主義が台頭し、非科学的なものとして、宗教的な幻想はだいぶ剥がれてしまいました。

 にもかかわらず人が体験する超越体験は減ることはありません。

それは他ならぬ人間にはそのような超越体験をする脳機能が有ることが、最近の脳科学の世界で証明されてきました。

超越体験のさなかでは、脳の中の辺縁系と言われるところが活性化していることが確認されています。

辺縁系を持っている人は、つまり脳機能が普通にある人達は、超越体験をする可能性があるということが、逆に証明されたのです。


 では「超越体験」とは一体どういうものなのでしょう?

彼らは何を見、何を感じ、何を考えるのでしょう。

超越体験によって彼らは「自分は神になれる」「このプロセスを続ければ、必ず解脱に至る事が出来る」そう考えたに違いありません。

そのぐらい強烈な体験をするのです。

その体験は、本当にめくるめく至福の体験、圧倒的な宇宙的な体験の中「自分は神に愛されている」そう見誤ったとしても、不思議ではないほどの魅力的で、強烈な体験なのです。

体験者の私が言うのですから、それは本当です。

そのような妄想を、実は私も持ったのですから、、、

 「神に愛されている」ほどの体験した人に、一体何が起こるでしょう。

そう、誰でもが持っていて、しかし抑圧されている情動「ナルシズム」が開放されるのです。

ナルシズム、自己愛傾向は、実は誰でもが持っている傾向です。

しかしそれは様々な抑圧によって心の奥底に閉じられています。

その抑圧とは「世間様」であったり「自己規制」であったり、とっても常識的な自己抑圧装置のことです。

その抑圧は、本当は不本意であり、出来るのことなら取り除きたい情動を実は誰でもが持っています。


 しかし、もしあなたに超越体験、圧倒的な光りが降り注ぐ中で、ゼウスのような神々しい存在があなたに振り向いたら、いったいあなたに何が起きるでしょう。

不本意にもっていたナルシズム抑圧装置が開放されたとしても不思議ではないと思いませんか。


 「自分は神に愛された。そして修業によってわたしも神となる。そして人を愛し、人からも愛され、皆を導く存在になるのだ」と考えても不思議じゃないのです。

そのぐらい強烈な体験であり、誰でもが持っているナルシズムを開放するに十分な体験なのです。

以上のようなことが組織として起きたのがオウム真理教事件でした。


 私たちは彼らを断罪します。

それは犯罪を犯し、無実の人々を殺めたのですから、それは当然です。

しかし、では私たちにそのような「超越指向、神指向」「ナルシズム」は関係のないものでしょうか?

世の中を見渡せば、権力指向、ボス指向、お金持ち指向、などなど、実はこの世界の繰り広げられている様々な事象は、人間が根源的に持っている幻想「神指向」と「ナルシズム」の投影だと、そのよう見えると思いませんか?


 そのような通俗的な出世欲や権力欲からみれば、解脱欲、お悟り欲は高尚に思えるかもしれません。

しかしどうでしょう?

私には利己主義のもっとも強いものとしか思われないのです。

何しろ神指向ですから、、、

求道精神に萌え、解脱修行をしている人は、無自覚に最も強いエゴイズムを体現しているのです。

解脱を求めることは最も利己的な行為なのです。


 さて、ここまで来て読む人は、私に求道をやめろと言っていると思うかもしれません。

解脱やお悟りを求めることを利己的行為だと言っているのですから。

それは正しくありません。

やめとろも、あるいは続けろとも言っていません。

ただ少なくとも、お伝えしたいことが有るとしたら、今申し上げたことです。

解脱や悟りを求める営為は、最も利己的な営為なのだということを忘れないで欲しい、と伝えたいのです。

そしていかなる超越体験も、体験以上のものではないということを、気づいてほしいのです。


 その上で、自分が何を求めているのか?

何をなそうとしいるのか?

求道とエゴイズムの間で、私たちは何を気づき、何をなし得るのか?

それは、まさしく密教的な気付きの世界です。

誰からも教わることが出来ない、もっとも個人的な気づきなのです。


 私の師匠、吉福伸逸さんのワークショップは、そのような密教的な気付きというものにフォーカスされていました。

しかし、それを標榜してワークショップはしていません。

参加者皆それぞれのプロセスをたどり、それぞれの気づきとしてのコンテンツを得る。

そのコンテンツは、吉福さんや、勿論インストラクターとしての私たちも介入できません。

気づきはその人だけの最も個人的なものなのです。

しかし、それでも、吉福ワークには、もっともディープな、密教的な気付きにフォーカスされていることを、吉福さんは勿論、私たちインストラクターも内心、意識されているのです。


ウォン・ウィンツァン



by wtwong | 2019-03-26 01:22 | essay

金満里ソロ公演「ウリ・オモニ」を見て、、、

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 引越し作業の合間を見て、金満里女史のソロ公演「ウリ・オモニ」を見に行った。

荷物運びと実務処理に疲れて、気分を転換したいと思っていたところもあったけど、違う意味で意識が飛んでしまった。

この作品公演は以前も見ていたが、今回、改めて作品とパフォーマンスの底力に驚嘆した。


 「ウリ・オモニ」とは「私のお母さん」と言う意味だそうだ。

「1998年3月に86歳で他界した金満理の母、キム・ホンジュンは韓国の古典の歌、舞、楽器に秀で「至宝」と呼ばれた芸人であった。しかし流転の運命を背負い日本への移住を余儀なくされながら、しかし、母国を侵略したその国にあって、民族の魂の芸能を、戦時中にさえも上演し続けた気骨の人であった」とそうパンフレットに紹介されていた。


 そんな母親のもとに、重度の肢体障害を背負って生まれた満里も、またパフォーマーという業も背負うことになる

芸人としての母は「至宝」とまで呼ばれたのだろうから、その技量は素晴らしいものであったに違いない。

つまり身体を使う表現力を支えるその肢体は、よく訓練され、自在に駆使されたはずだ。

パフォーマーの表現を支えるのは、まさしく身体能力なのだ。


 しかし満里の身体は殆ど動かない。

あらかじめ技量を制限されて、表現媒体としての身体能力は極度に限られている。

にもかかわらず満里はパフォーマーとして以外に生きる道をなかったのだと思う。

それは自己規定などではなく、必然だった。


 1983年に身体障害者のパフォーマンスグループ「劇団態変」を創設し、今日まで休むことなく活動を続けて来た。

その持続力、生命力に驚くが、しかしその35年以上の間の、表現者として、差別社会に生きる障害者、そして異邦人として、その苦闘、苦悶はどんなに深かっただろうか?


 障害者のダンスパフォーマンス!!

私は一人の音楽家として今までに劇団態変と3作品ジョイントさせてもらった。

不思議な事だが、私がパフォーマーたちの姿を追い、そのに即興的に音をぶつけていく、その瞬間瞬間は、彼らが障害者で私が健常者であるということが、全く意味をなさなくなる。

彼らの動きのどこまでが表現でどこまでが付随運動なのか、そんなことはどうでも良くなる。

「動き」のすべてが表現なのだ。


 彼らの動きに即興的に演奏していくその瞬間は、障害者に寄り添うことでも、なぞることでもない。

身体と音の純粋な「そこに実存する」そのものなのだ。


 私にはCD「ミズスマシ」というのがある。

劇団態変とのジョイント公演のライブレコーディングである。

このCDを聴き返すとき、彼らの優雅な肢体の乱舞が、私の脳裏に飛来する。


 さて、今回の金満里の「ウリ・オモニ」は彼女の自叙伝的な作品だ。

あの伝説のダンサー大野一雄氏の監修、大野慶人氏の振付だ。

パフォーマーの血を背負った肢体障害者、あるいは、社会内存在としての障害者、その踊りとは、、、

そこには言葉を超えて、魂を揺るがすものが在る。


 東京公演は下北沢の「ザ・スズナリ」であと二日間、2月10日14時、2月11日14時、が残っている。

是非見てほしい、、、、


 さて、劇団態変のメンバーとの交友も楽しい。

パフォーマーの一人に両手両足がない、ちっちゃな女の子がいる。

私がその女の子に向ける眼差しを見て、満里が「ウィンツァンはスィートだからな~~。ダンサーを甘やかしたらアカンで~~」と一言、、、

いや、それは、無理というものだよ、、、

パフォーマンスのその時以外は、私もただの人間だもの、、、汗


29回下北沢演劇祭参加

金滿里ソロ公演

ウリ・オモニ




by wtwong | 2019-02-09 23:53 | essay

<瞑想と坐禅>

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最近、瞑想と坐禅を比べて論じる人が増えている。

これらは別物なので、

比べようもないと思うけど、

似ているところもあるで、

比べたくなるのも仕方がない、、、


瞑想については、

87年から、30年以上、ほぼ毎日やっているので、

まあ、少しは何か、言えることはあるかもしれない。


でも、坐禅は、一向に上手にならないので、

なんとも言えない。

坐禅断食会に参加するようになって、

10年以上は経っている。

二泊三日の間に、約25分の坐禅を15回、

年に3回以上は参加しているので、

それなりの回数になるのだけど、

一向に上手にならない。

時折クリアーな、良い体験になることもあるけど、

ともかく座っているのがキツイ、、、

多動な私は、ジッとしていられない、

足は痛い、痺れてくる、、、


にもかかわらず参加しているのは、

坐禅断食会の後は、

心身ともに浄化されて、

霊的なエッセンスに満たされる。

そして瞑想の体験も深まるのも嬉しい。


私が日々実践している瞑想は、

古代インドから伝わる伝統的なスキルを、

現代の都会人にも実践できるように、

アレンジしたものだ。

ヨーガ・スートラという経典がベースになっていて、

マントラ(真言)を心の中で唱える瞑想法だ。


坐禅に比べると、実にフランクだ。

どんな座り方でもいい。

頭を寄りかかったりしなければ、

足を投げ出して座ってもいい。

だから、どこでだって瞑想できる。

例えば電車の中でも出来るし、、、

雑念もOK、、、

寝ちゃってもOK

努力もいらない、、、


マントラに頼って、

努力しないやり方に、

坐禅を信奉する側から批判的な声を聞くことがある。

マントラは意識を曇らす、とまで言う人もいる。

そういう事を言う人は、

だいたいマントラ瞑想をやったことがないか、

やってもあまり効果を感じなかったからかもしれない。


瞑想は努力をしない。

努力をすると、自然に瞑想状態になるのを妨げて、

間違った意識状態になる可能性がある。


インド人って、生来けっこう合理主義、実際的な気風がある。

霊的体験を深め、至高の意識状態に到達する、

と言う目標に向かって、

最短距離で効果を上げる瞑想法を、

三千年もかけて開発してきた。

それがヴェーダという叡智だ。

求道者たちは

エンライトメントという至高の意識状態になる為に、

ヒマラヤの山奥に籠って、

ひたすら瞑想に励むのだろうか、、、


私は瞑想体験が良かった。

一時は、ひたすら瞑想に明け暮れたことがあった。

体験が良いと、さらに体験を良くしたい。

このまま進めば、インドの経典にあるような、

至高の意識状態になるのでは、と夢見たのだ。


しかしそれは、無謀な試みだった。

瞑想が深くなるにつれ、

意識状態や心身の状態が過剰に鋭敏になり、

日常生活が、普通に過ごせなくなる。

新陳代謝が底をつき、

食べ物にも鋭敏になり、

かなり禁欲的なベジタリアン料理しか食べられなくなり、

体重は極端に減っていく。

一時は40kg以下にまで落ち込んだことがある。


しかしその頃から、瞑想体験を深めることにより、

なんらかの至高の意識状態なること、

「エンライトメント」に到達することに

疑問を持ち始めた。


たしかにすごい体験ではあるけど、

人間は、霊的な存在だけではない、

日常的な、生活人であり、社会人でもあり、

パーソナルな問題も抱えている存在でもある。

瞑想体験がどんなに良くても、

それらを蔑ろにして、

エンライトメントというのは、無理がある。

そう気づいたのは、

オーム真理教事件が起きる前のことだ。


瞑想が危険だと言われる所以は、

体験に飲み込まれてしまうことだろうけど、

ちゃんとプログラム通りやっていれば、

全く問題がない。

日常的に瞑想をやることで、

日々、どれだけ恩恵を預かっているかわからない。


坐禅をする側からは、恩恵のために座るのではない、

と言われそうだ。

効果とか、効用とかを得るために座るのではない。

何も求めない、のが坐禅だ、という考え方だ。


さて、どちらが良いかは、それぞれの考え方や、

感じ方の問題だろうと思うけど、

出来れば、両方とも体験してみると良い。

そして、自分に合う方を選べばいいと思う。

頭で考えて、どうこう言うのでなく、

まずは体験してみることだと思う。


瞑想や坐禅をする事で、

霊性のエッセンスを、

日常生活に注ぎ込むことができる。

霊性のエナジーが、心身の全体に広がるのだ。

すると生きることの意味そのものが変わってくる。


ウォン・ウィンツァン

2018-11-08



(写真はガラス工芸作家、狩野智宏さんの作品「amorphous」)

by wtwong | 2018-11-08 09:36 | essay

<ファイティング・ポーズ>

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自分はファイティング・ポーズをとっていないと、ダメになるタイプだと思う。

守りに入ると、抑うつや不安、怒りも出て来るんだよね。


私が戦い系になったのは、18か19歳ごろ、何か開き直るキッカケがあったのかもしれない。

中学三年に校内暴力を受けて、その後、3年間の抑圧的で屈折した高校時代を経て、その間、社会ではベトナム戦争、安保闘争など、対立的で戦闘的な雰囲気が醸し出されていた。

テレビから流れるデモ隊と機動隊がぶつかる様を見ながら、冷たく戦慄していた自分を思い出す。

映画「アルジェの戦い」を見たことも、大きな意味を持っていたかもしれない。

世界は、社会は、戦いなんだ、どこかでそう確信し、自己規定したに違いない。


音楽も、人間関係も、ある種緊張した関係性の中で、戦いを挑み続けていたと思う。

瞑想に出会っても、それは癒しではあったと同時に、エンライトメントに挑戦することでもあったし、癒し系の音楽をやっていても、自分に甘える音楽はしたくなかった。

どんなに音楽が優しく聴こえようとも、ある表現の頂きに挑戦するという戦いだった。

吉福伸逸氏に出会って、ワークショップに参加するようになるけど、そこでも私は戦っていたように思う。

父親が仕事を辞め、家にいるようになると、私は彼との関係性の修復という戦いに挑戦したのだと思う。


父が死んで、私はこの歳になって、ようやく親から自立せねばならない所に来た。

今まで自分は自立していると思っていた。

でも、父が他界してから一年以上が過ぎ、私は今まで父親の庇護の元にいたのだということを、思い知らされている。

この歳にもかかわらず、自立のなんたるかを知らなかったのだ。

私は棺にこう書いた。

「パパさん、ありがとう。やっとパパから自立できるね」

私はその時、まだその意味をよく理解していなかったと思う。

もちろん今でもわかっていない。


もう守ってくれる人はいない。

今度は私がパパさんの位置にいるのだ。

そのことで、パパさんのことをいろいろ思い出しながら、ようやく父親のことが理解できるような気がする。

パパさんも戦いの人だった。

そして、最後は私たち家族に心を許し、身を委ね、ファイティン・ポーズを下ろし、天国に旅立った。


さて、私は今、新たな戦いに入ったと思う。

多分、向こう10年が、私の音楽家としての活動ができる限界だと、自己規定しよう。

今、70歳を前にして、自分の音楽にある手応えを持っている。

自分の音楽に確信がある。

歳を重ねて来て、得られたリソースでいっぱいだ。

それらを解放したい。

戦い方も上手くなった。

無駄な戦いはしない。

何よりもその戦いは、感謝と恩返しの戦いだから、、、

私を受け入れてくれた友人たち、そして聞いてくださった人たちへのお返しの最後の活動だから、、、


しかしそれもあと10年だと思う。

精神的にも、肉体的にも、あらゆる意味で、それが私の限界だ。

80歳まで、戦おうと思う、死に物狂いで、、、

途中で生き絶えるかもしれない。

疲弊して、倒れるかもしれない。

その時はその時、、、、


そして、もし、なんとか80歳にたどり着いたなら、

私は自分を許し、手放したい、、、

私は、私自身と世界を手放したい、、、

そして、私と家族と、全てに感謝して、旅立ちたい、、、


ウォンウィンツァン

2018年6月19日


by wtwong | 2018-06-22 15:01 | essay
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昨日の夕方、古い友人が訪ねてきてくれた。

「ちょうどアメリカから帰国しているので、

ちょっと寄るね」と言うことだった。

久しぶりに会えて、本当に嬉しかった。

何しろ17歳頃の友人だから、、、


私の姉はある高校学校でマリーだった。

その時のピーターとポールがこの二人だった。

もちろんあの当時流行ったフォークグループ「PPM」の

コピーバンドのことだ。

私もそのバンドで遊ばせてもらったのは、

楽しい思い出として今でも残っている。


「ねえ、一緒に与論島に行ったの覚えてる?」

「そうだった~ よく思い出すよ~」

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私が18歳の頃、メンバーの一人が「与論島に行くから一緒に行かないか」と誘ってくれた。

あの頃、与論島は秘境だった。

フェリーに乗るために鹿児島まで電車で行ったと思うけど、どうやってたどり着いたのか全然覚えていない。

フェリーに乗り込んで、なんと台風が来て、私達は大揺れに揺れる船底船室で、ただただひたすら、吐き気をこらえながら、嵐を過ぎ去るのを待った。


一夜明けて与論島に到着すると、そこは別世界だった。

遠くまで続く純白の海岸と、透明な海、限りなく青い空、、、

そして民宿に宿泊し、そこで隣室の女性に秋波を送られたこと、、、

経験のない私はただタジログだけだったけど、、、(汗)

私は篠笛を持っていて、満月の夜、海岸で吹いていた。

ふと気がつくと、周りにゴソゴソ気配がする。

見渡すと、無数の蛇の鱗が、月明かりが鈍く反射している。

「ぎゃ~~」

私は焦ってそこから走り去った、、、

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思い出とはなんだろう?

この懐かしさと、友人に対する想いは、なんだろう?

あれから50年が経った。

年月とともに思い出は、淡いセピア色に輝く、、、

二度とは帰らないあのひと時を、私達は共有している。

それだけで、なにか特別ななにかを感じている。

人生の、最も大切な、なにかを、、、


by wtwong | 2018-05-29 00:50 | essay

<甦ったコマーシャル時代>

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先週、テレビコマーシャルを作曲していた時代の音源が再生できず、もう二度と聞くことができなくなってしまった、などとブログに書かせていただきました。

「さようならテレビコマーシャル時代」と題して、涙の決別宣言をしたのでした。


ところがなんと、なんと!!!

断食会から帰ってきたら、その間に、息子の美音志君が三日間かけて、なんとか再生させて、記録を蘇らせてくれたのです。

どうやったのか?私にはわからないのですが、ともかくベータービデオデッキを色々操作して、デジタルデータとして再生することが出来たのです。

驚きました。

いや~~これは嬉しかったです。


私が記録してあったのは、デジタル時代になってからの音源だけで、アナログ時代の作品の音源はなかったのですが、それでも嬉しい~


昨夜一晩、なんとなく聴き続けていました。

CMだけでなく、グループのリハーサルや、ピアノソロや、ジャズトリオのリハーサルやら、何やら、、、

それらを聴きながら、懐かしいと言うよりは、あの頃の一生懸命さや、未熟さや、コマーシャル作曲に疲れている感じや、なにかいい音楽をやろうとしている直向きさや、あがいている感じが、強烈に伝わってきて、胸が痛いというか、切ない、、、、

ああ、自分は本当に音楽に魅せられて、音楽に夢を見て、そして右往左往しながらも、やはり今も夢を見続けているんだな~


機会を見て、そんな未熟な音源も、少しずつ、皆さんに聴いてもらえれば嬉しいなと思いました。


この件に関して、ビデオデッキを提供してくれた佐々木泰三さんや、貸してくれようとくださった方たちに、またご心配をおかけした皆さんに感謝と謝罪をさせていただきます。

ありがとう~ そして、お騒がせしました~

そして何よりも、再生努力をしてくれた息子に、心から感謝です。


30代の未熟でも、想いいっぱいの音源が蘇り、その音楽を聞き返すことで、改めて、まだやらねばならない夢、実現したい夢を諦めずに、残りの人生を生き抜こうと思いました。

ありがと~


2018-05-16

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<さようなら、テレビコマーシャル時代よ、、、>


残っていたCM音源

https://youtu.be/SCOz1o-Qpxk

@YouTubeさんから


 15年間分の録音し続けてきた音源が、もう再生できないことが判った。

それなりにショックだけど、失うことって、まあ、そういう事なんだと思う。


 私は20代なかばから、30代の後半まで、テレビコーマーシャルの作曲をやっていた。

月に5本ぐらい、多いときで10本ぐらい作曲していた。なので曲数としては相当な量になると思う。

当時のアーカイブはオープンリールだったりカセットテープだったりで、所謂アナログメディアだ。

それを後生大事に長い間、捨てずに残してきた。


 それらのアナログ音源を、ある時、デジタルに変換することにした。

デジタルなら経年変化による劣化が無いだろうと思った。

当時、テープが癒着したり、カビたり、色々問題が続出していた。

そしてデジタルは劣化しないと、まことしやかに喧伝されて、私もそれを信じた。


 10年分以上あるテレビコマーシャルのアナログ音源をデジタル変換し、元のアナログテープメディアは数年前、破棄した。

あの頃、CDやLP、本や器材など、かなりの勢いで断捨離ししたのだ。

その流れで、使い物にならなくなった大きなテープデッキとアナログテープも破棄した。


 今回、家の建て替えを契機に、更に断捨離をすることになった。

新しい家は、今の家より遥かに小さい。

なるべく身軽になる必要がある。

デジタルテープメディアも、今度はコンピュータに取り込み、ファイルとしてアーカイブすることにした。

IT技術の進化によってスペースをどんなにか有効に使えるようになったことだろう。


 まずベータービデオデッキを探すところから始まった。

デジタル音楽データを画像データとしてビデオデッキに記録しているのだ。

以前、ヤフオクで数万円で落札したデッキは、使い物にならなかった。


 今回はFBでベータービデオデッキを持っている方を募った。

沢山の方が気にかけてくださり、いろいろサゼッションを頂いた。

ありがたいことです。

それでも現役で可動しているベータービデオデッキをお持ちの方はほとんどいなかった。

そしたらなんと青森の友人が持っていた。

彼はシンガーソングライター、そして調律師、そして何でも出来るスーパーマンだ。

早速送ってもらって、再生を試みた。


 でも、ほとんどダメだった。

かろうじて再生された音源も、結構デジタルノイズが乗っている。

30年も経つと、かなり劣化していて、まともに再生できないのだ。

デジタルデータをアナログテープメディアに記録している。

アナログアーカイブと変わらないのだ。

映像だったら劣化してもかろうじて見ることが出来が、デジタルは、データが欠けていると、無音になる。

エラーをどんなに修正しても限界がある。

まあ、迂闊でしたね。


 曲数的に、どのぐらいあったろう?

時間にして約10時間分。

テレビコマーシャルだから30秒とか15秒、長くて60秒の作品だから、数的には相当になる。

あの当時の関係者の誰かがストックしているかもしれないけど、可能性は低い。

テレビコマーシャル時代のアーカイブはもう永遠に聴けなくなった。

空白の15年、、、、


 <さようならテレビコマーシャル時代、、、>


 辛うじて再生された数曲をyoutubeにアップしてみることにした。

ご興味のある方は聴いて見てください。


残っていたCM音源

https://youtu.be/SCOz1o-Qpxk

@YouTubeさんから


補足、、、

1990年から、私は演奏活動を始めた。

そしてコンサートのたびにDAT(デジタル・オーディオ・テープ)で録音してきた。

ハードディスクを使ったデジタルレコーディングを導入する2004年までの約15年間、コンサートをひたすらDATでレコーディングし続けた。

そのストックは約400本!!

一本の時間は60分から120分。

だが、DATはアナログテープだ。

デジタルデータをアナログテープに記録するということでは、ビデオテープと同じことだ。

これら音源も、もしかして、いや、たぶん、もう聴けないかも、、、


ウォンウィンツァン

2018-05-13(父の一周忌に、、、)


by wtwong | 2018-05-13 06:15 | essay

ピアノの置き場所、決定!!!

私のピアノ、ベーゼン290が使えるようになります>

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 お騒がせてしていました、家の建て替え中のピアノの居場所が、なんと今日、決まりました~

もっとも理想的な居場所になりました。

そこはスタジオなので、平置きに出来るし、湿度管理もしっかりしているし、しかも誰でも弾ける状態にすることが出来る。


 そのスタジオは調布市菊野台にあるJindai studioなのですが、いつもワークショップをやらせていただいているのです。

でも、私のピアノを入れちゃったら、広さ的にワークショップは無理です。

なので、全然思いつかなかったのですが、今日突然、オーナーの大島さんが連絡してきて「ベーゼンを私のスタジオに置くのってどうでしょう?」と、、、


 「ええ~ 置けるかもしれないけど、でも、ワークショップとか出来なくなるよ」

「いいですよ。やる気ないし、、、」

「ええ~ いいの~?

それじゃあ、置かせてもらっている間、弾いてもいいよ。

なんだったら、ピアノスタジオとして、リハーサルレンタルや、レコーディングに貸し出したらいいかもね、、、」

「ええ~ いいんですか~~?うれしい~~」


 ということで、7月中旬から、来年1月中旬まで、調布市菊野台にあるJindai.studioで、私のベーゼンドルファー290をリハーサルやレコーディングに使っていただくことが出来るようになりました~



 当初は、色々な可能性を、FBにアップしたりして、模索していたのですが、やっぱりプロに頼んだほうがいいよね、ということで、ベーゼンドルファーの専門の業者に、保管を依頼していました。

しかし、見積もりを見ると、36万円(消費税別)!!

しかも足を外して立てた状態での保管です。


 ピアノって、やっぱり平置きの方が良いし、弾いていたほうがいいのです。

なので保管としても理想だし、レンタルすれば運送費も充当できるかもしれない。

往復の運送費は片道約10万円、往復20万円がかかるのです。

仮住まいなど、湯水のように経費が出ていく中で、こんなに嬉しいことはないです。


Jindai Studioの大島厳さん、ありがと~

そしてよろしく~~

そして、そして、ベーゼンドルファー290でリハーサルしたい人、

或いはレコーディングしたい人、

ぜひ彼に連絡してみてください~~~


Jindai studio

https://www.facebook.com/jindai.studio/



ウォンウィンツァン

2018-05-07


by wtwong | 2018-05-07 20:27 | essay

<日本のルーツ>


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古い戸籍謄本が数枚出てきた。

母方のルーツだ。

あまりに達筆で、ちゃんと読めないけど、、、

それに依ると、、、


 私の母「WONG TO ME(黄多美)」は生まれた時は日本国籍だった。

多美の母は「石川ハル」と言って、神戸の芸者さんだった。

石川ハルさんは、華僑である黄ヨクドウさんとの間に、私生子女「多美子」を生む。

つまり、私の母の最初の名前は「石川多美子」だった。


 その後、母は黄ヨクドウさんの中国大陸の本家に引き取られ「黄多美」という名で、中国籍になる。

十代後半、神戸に戻り、私の父、黄頌徳と結婚し、香港籍に入る。

イギリスパスポートを取得し「WONG TO ME」が正式名になる。


 日本の戸籍や権利書関係の名前には英語は使えない。

なので戸籍係などの当時の役人の勝手な読み方で、名前が錯綜する。

「ウォング・トメ」「ウォング・トーメー」「ウォン・トオ・メイ」「コウ・タミ」「ワング・タミ」などなど、、、

これらが同一人物であることを証明せよ、www


 さて「石川ハル」さんは神戸の芸者さんだった。

明治35年9月に生まれ、除籍謄本に依ると、大正15年8月に亡くなっている。

つまり、24歳の若さで死去しているのだ。

一説によると、実の子供を引き離され、傷心の中、病死したと言われている。


 石川ハルさんと黄ヨクドウさんの間には4人の子供いた。

つまり、私の母は4人兄妹だった。

戸籍謄本には「華一」「セミコ」「多美子」「富美子」の名がある。

24歳までになんと4人も子供を生んでいる。

私は「華一」さんと「セミコ」さんは知らない。

でも母がよく「セミちゃん」という名を呼んでいた。


ちなみに黄ヨクドウさんは、いろいろ奥様を作られていて、私の母には異母兄弟が沢山いる。

いつか、母方の従兄弟たちの家系図も作らねばとは思うけど、、、


石川ハルさんの出身は、ハルさんの祖父の地籍である大阪府中河内郡龍華村大字安中だ。

除籍謄本によると、亡くなった場所も、龍華村の実家だった。

ハルさんの両親の名前は「石川元吉」と「ぬイ」、、、

「元吉」の両親は「石川熊吉」と「ツネ」、、、

「ぬイ」の両親は「伊田治兵衛」と「セイ」、、、


石川熊吉の戸籍謄本には「族稱」という項目があって「平民」と書かれている。

よく調べてみると龍華村大字安中は、今で言う同和地区だ。


以下は想像だけど、、、

石川ハルさんの出身地は部落で、とても貧しい村だったはずだ。

そして、ハルがまだ若いうちに、芸者として神戸に売られたのではないだろうか。

ハルは芸達者だったと伝えられている。

芸者として修行を積んで、才能が花開いたのかもしれない。

そんなハルを、当時、華僑商人として名を挙げ始めた黄ヨクドウが見初めたのだろう。

そして16歳で最初の子供「華一」を生み、

その後「セミコ」「多美子」「富美子」を生んだ。

しかし、子供たちは皆大陸の本家に引き取られていく。

そして失意の中、24歳で亡くなった。

それがハルの一生だった。

なんか、涙が出ちゃう、、、


私の母の生まれた時の名は「石川多美子」

その母の名は「石川ハル」

その両親の名は「石川元吉・ぬイ」

元吉の両親は「石川熊吉・ツネ」

私の4世代前の先祖。

戸籍謄本から判るルーツはそこまでだ。

私の日本の血筋の故郷は「龍華村大字安中」

ちなみに「龍華村」という地名は其処にしかない。


2018-05-04

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CD「DohYoh1」のライナーノーツ


無限の「いのち」が遠い過去から遥かな未来へと連なっていきます。

ひとつひとつはか細い糸に過ぎない「いのち」たちの織りなすものは、なんと鮮やかな無限世界なのでしょうか。

その「いのち」の無限織物の広がりに想いを馳せる時、私達はまるで「カレイドスコープ」を覗き込んだときのような目眩と、ある感慨を覚え、誰しもが人間の果てしない営為に対する慈しみの念に包まれずにいられません。


そして自分というちっぽけな「いのち」は最初の「いのち」がこの世に誕生した時、すでに予感されていたのであり、やがては限りなく再生され続ける「いのち」の彼方に、その姿を残してゆくのだと思い至るのです。


このCDは、過去の贈り物である童謡をどう引き受け、音楽としてどう刻印し、連綿と続いていゆく「いのち」の群れに託すことが出来るかという音楽家としての私なりの儀式であり、そして祈りです。


ウォンウィンツァン1997


CD「DohYoh1」

http://www.satowa-music.com/cd/cd-doyo.html


by wtwong | 2018-05-04 02:15 | essay
<コア・ビリーフ(核となる信念)の壁>
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 私なりに社会問題や政治問題にコミットする中で、この数年、どうしょうもなく動かしようがない壁に突き当たってしまった。
それは社会問題なり、政治の不正なりをどんなに告発しても、社会全体としては盛り上がらない。
無関心、不参加が横行していて、どうしょうもない苛立ちと無力感を持たざるを得なかった。

 そして、私の関心はこの社会全体の心理、集合意識、道徳心理学などに移行していった。
なぜ彼等は動かないのか?
なぜ彼等はかくも防御的で、変革に対して拒否的、臆病なのか?

道徳心理学や社会心理学では、その答えを「集団選択」や「ナルシズム」あるいは「未熟な自我」「嗜癖」といった、人類のDNAや、共同幻想などに見出した。
そして最近、脳科学の世界では「コア・ビリーフ(核となる信念)」の問題として解き明かし始めている。
人間の脳は「物理的な危険」も「知的な危機」も同じ反応を引き起こすことが判ったのだ。

 つまりは、そう簡単には、人は鎧を脱がない、、、
勿論、個々人のパーソナルな問題でも同じことが起きている。
つまりアイデンティティーの崩壊を人は極度に恐れる。

 さて、ここまで来て、では、どうしたら良いのか?
どうやって社会変革が起きうるのだろうか?

 私たちは積極的に彼等を変えることは出来ない。
それはイソップ物語の太陽と風の逸話と、答えは同じ、、、
コア・ビリーフを壊そうとすればするほど、防御は固くなるだろう。
彼等(学者たち)の答えは結局は「待つしかない」ということになる。

 私たちは太陽のように、彼等を暖かく照らしながら、鎧を脱ぐまで、根気よく待つしかないのだろうか、、、
それまでに、人類全体が「ポイント・オブ・ノー・リターン」を超えないことを祈りながら、、、

コア・ビーフについての解説、日本語訳

by wtwong | 2018-01-12 21:44 | essay
<年末のご挨拶、パパさんの旅立ち>
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 さて、今年も余すところ二日になりました。
今年も皆さんに、大変お世話になりました。
コンサートやワークショップも各地でさせていただきました。
皆さんの応援があって、活動が続けられています。
お陰で、毎日、幸せを感じています。
心から感謝しています。

 今年は今までになく激動の年になりました。
沢山出来事がありましたが、その中でも父の他界は、生涯の忘れがたい大切な体験となりました。

 昨年11月に父が転倒、大腿骨骨折で入院し、その後、今年の1月末に老人施設に入居、そして5月13日、97年間の生涯を遂げました。
病院にも施設にも、私達家族はほぼ毎日のように通っていましたので、みな疲労困憊していた矢先の旅立ちでした。

 父親との別れは、私達家族にとって、掛け替えのない思い出となりました。
亡くなる二日前、真夜中、私は父親と永劫の別れを交わしました。
父の両手を取って「もうすぐお別れだね。私たち家族が幸せなのはパパさんのおかげです。本当に感謝しています。ありがとう、パパ、、、」と話しかけました。
すると父は強く握り返してきて、目からは幾すじもの涙が流れていました。
母や妹や友人を看取ってきましたが、父との別れは、今までにない、ちゃんと向き合う中で交わした、魂の別れでした。

 そして亡くなる前日、私たちはホームでラストコンサートをしました。
パパさん、ホームに居るご老人たちや、その家族たち、そしてホームの職員に向かって、息子の美音志君、歌の枝元一代ちゃん、そして私で、最後の別れの演奏をしました。
父はちゃんと洋服を着替えて、コンサートを聴いていました。

 その翌日、5月13日、六本木でライブ演奏をしている最中、ホームから連絡がありました。
「呼吸に変化があり、至急ホームに戻って欲しい」、、、
私がホームに戻った時、美枝子が「パパさん、さんちゃんがもどりましたよ」と話しかけ、少し安心したようでした。
そしてその直後から下顎呼吸が始まり、もうすぐ別れが近いことが判りました。
私達家族は父をさすりながら、それぞれ別れの言葉を投げかけました。
それから30分ぐらい立った時、静かに息を引き取ったのです。
その時、私には魂が身体から抜けていくのが見えるようでした。

 私は今までに母や妹や友人、そして今回は父を看取らせてもらいました。
それらの体験は私の人生を豊かにしてくれています。
彼等からの大きなプレゼントだと、ほんとうに感謝です。
これらの看取りの体験をベースに、私の師匠、吉福伸逸さんの「死のワークショップ」を始めることにしました。
死ぬこと、看取ること、それらはいったいどのような体験なんだろう。
ワークショップでは、様々な角度から「死」や「見取り」そして「命」を考え、体験していきます。
今年だけで4回のワークショップをさせていただきました。
来年にはもっとブラッシュアップして、医療従事者などを対象にもワークショップをやっていきたいと考えています。

 さて、来年はどんな年になるか、とても楽しみです。
皆さんにおかれましても、幸せで健康な年でありますように、心からお祈り申し上げます。

ウォンウィンツァン
2017-12-30

by wtwong | 2017-12-30 09:10 | essay