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制作:ウォン美枝子

<自己変革とソマティック>

最近、自分を変えたいけど、なかなか変えられない、という方に何人かFBFで知りました。
ネット上に自己変革に関する情報にあふれているよね。
まあ、大抵は企業の中で成功するための自己開発セミナー系だけど、、、
それだけ自己変革を望む人が多いんだろうな〜〜

かく言うわたしの人生を振り返ると、20代30代って自己変革できずに、悶々としていたな〜
その頃の方法は言葉や考え方、思想で自分を変えようと思っていた。
だからやたら本を読んだな〜
大体は思想書だった。
吉本隆明、埴谷雄高、蓮實重彦、などなど、、、
でも、全部ダメだった。
言葉や思考、思想では自己変革できないと身をもって分かったのは、もうすぐ40歳になるって時だった。
随分と打ちのめされたものだったですよ。

そんな時に出会ったのが、瞑想でした。
いや〜すごく抵抗感ありましたよ。
今まで論理的に自己改革をしようとした人間が、突然、非論理的な世界に、、、、
合理的思考では理解できない世界に突入しようと言うんだから、、、
でも、後ろがない、相当追い詰められている状態だったから、、、
このままだったら、残された道は人生やめることだったからね。
飛び込みましたよ。
ジャンプ、それは飛翔だったと思う。

そうやってわたしの新たな人生が始まったわけですね。
その後も様々な自己変革のチャンスに恵まれ、自己変革し続けた。
吉福伸逸さんと言うセラピストに出会ったのも決定的だった。
自己変革の楽しさと言うか、自分が日々変わっていくことの喜びに溢れましたね。
今は自由で、豊かで、生きてるって感覚を持っている。
音楽も成就し、つまり夢が叶ったわけですね。

さて、自分の変革がどんな時に起きているか、振り返ると共通していることがあります。
それは瞑想にしろ、サイコセラピーにしろ、それは優れて<身体的>であったと言うことなんです。
瞑想も、吉福メソッドも、どちらも身体にアプローチするメソッドだった。

最近、と言うか、もうだいぶ経ってるけど、心理療法の世界では「ソマティック」という言葉が流行っています。
ソマティックとは身体性のこと。
トラウマや心の問題は、どうも神経系統に刻印されているらしい、と言うことが判ってきました。
自律神経、交感神経や副交感神経、迷走神経とかですね。
神経系統にトラウマや神経症などの問題が焼き付いている。

なので、言葉や認識面のアプローチや、情動の開放を何度やっても、また同じことの繰り返しをしてしまう。
言葉で解ってても、身体が変わらない。
感情を何度開放し、大泣きしても、またその場面になれば同じ様になってしまう。
それは当然といえば当然なんですね。
神経系統のトラウマはまだ解消されていない。

そこで心理療法の世界では今一番注目されているのが「心身心理学」(ソマティック・サイコロジー)なんですね。
なので、最近の心理療法のネイミングが、やたら「ソマティック」が多いwww
でも、そのようなネイミングがなくてもソマティックなアプローチはいろいろあります。
瞑想もそうだし、吉福伸逸氏の「体験的グループセラピー」も身体的、ソマティックなものだった。
例えば運動でもいいわけです。
吉福さんは私達に「激しい運動がいいんだよ」と口を酸っぱくしていっていました。
彼はサーフィンを薦めていた。

マラソンでもいいんです。
三ヶ月でフルマラソンが出来るようになるそうです。
毎日少しずつ距離を伸ばしていって、約三ヶ月後には、、、
細胞の新陳代謝が正常であれば身体は三ヶ月で新しく生まれ変わるそうですが、関係あるのかな、、、

我が愛妻は五体投地(チベット密教の行法)を、毎日少しづつ増やし、三ヶ月後に、一日かけてなんと3000回もやったのです。
私は本当に心配しましたが、本人はケロッとしています。
「なんか悟るかと思ったのに、何もなかった」と本人は言っていますが、いやいや、ビフォーアフターの違いは私が一番良く知っています。www

さて、身体的アプローチだけで良いとは私は思いません。
認知行動療法的アプローチや、情動の開放アプローチは、やはり必ず必要だと思います。
身体的にトラウマが解消されても、考え方が以前と同じではしょうがない。
マラソン選手が全員開放されているなんてことはないですからね、、、

さて、皆さんの自己変革の旅を楽しんでほしいと思っています。
ご都合主義で自己変革は出来ないことは確かですが、そんなに大変なことでもないと、振り返ると思います。
必要なのはジャンプ、飛翔する勇気です。
では、ボンボヤージ!!!

http://integralsomatics.jp/iweb1/somatikku_xin_li_xue.html

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<次世代のこと、、、>


ある程度年齢を重ねてくると、次の世代のことを考えるようになるようだ。

父親も、残される子供である私たちのことをよく考えてくれていた。

私もそれなりに齢を重ね、やはり次の世代のことを最近考えるようになっている。


ネイティブ・インディアンが七世代先のことを考えて行動すると言う話は有名だ。

さすがに7世代先はイメージできないけど、2世代先ぐらいはイメージできる。


今の社会を見ていると、不安になる。

未来の世代が、幸福を追求できる社会環境が整っているとは思えない。

私たちの世代の責任で、次世代が苦しまねばならないなんてことがあってはならない。

次世代のために、出来ることはやらねばならないと思う。



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by wtwong | 2018-03-09 13:26
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<乖離からリアリティーへ、自灯明法灯明>

人間は常になにかを感じ、考えている。
「感じること」や「考えること」は高速度に頭脳を横切っている。
それを捉えるのは難しい。
なぜなら、人は何を感じているのか、なにを考えているのか、知りたいとは思わないからだ。
魂が感じていること、考えていることは、ほとんどがアイデンティティーの揺らぎを起こす。
だから、自分自身を知ること、自覚することがとっても難しい。
違和感や不快な考えや感覚だけでなく、心地よいと思うものも拒否することが多い。

でも魂は嘘をつかない。
嘘をつくことが出来ない。
だから魂が感じたり、考えたりすることは、自己イメージを揺るがしてしまうのだ。
はっきり言えば、ほとんどの人が自分に嘘をついて生きている。
私たち人間はそのように育てられてきたのだ。
家庭や学校、社会からの圧力によって、自分に向き合わないように訓練されている。
あるいは、トラウマなど、心理的外傷によって、自己防御が働き、
魂が感じたり、考えたりしていることを封印してしまうのだ。

だが、そのような生き方は、自分自身が自分自身に重なる感覚を持つことが出来ない。
心理学では「乖離」と言う。
それが酷くなると「解離性人格障害」と言われたりする。

私は長い間、自分が生きていると言う感覚を持つことが出来なかった。
何をやっても、自分が行動している感覚がないのだ。
でも、今、自分が何をやっても、どんなにつまらない行動でも、
それは自分がやっている感覚を持つことが出来ている。
行為している自分がいる。
私は命を生きていると言う感覚は、本当に掛け替えがない、素晴らしい感覚だ。
幸福だと思う。

最近、私たちの生活に大きな波が押し寄せている。
初めての経験でもあり、事象の大きさに、圧倒され、飲み込まれそうになっている。
その事象に流されることによって、これからの人生が苦しいものにならないとも限らない。
でも、ちゃんと自分に向かい、感じていること、考えていること、望んでいることをしっかり自覚し、家族たちとも共有することによって、本当に私たちが求めていることがなんなのか、しっかり見極めることが出来ている。
家族たちと共有することで、理解も結束も深まっている。
事象の激しさに振り回されることなく、これからも一つ一つを乗り越えていけると思う。

「自灯明 法灯明」とは、、、
「自」と「法」は同じことのように思う、、、
宇宙的ことわり(法)の現れとしての自=魂だから
魂が感じていること、
魂が考えていることに耳を傾け、
そして見極める叡智によって、
その理由や根拠を理解し、
現実の次元に照らし合わせながら、
実際に発言し、行動すること、、、

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<自分語りって、、、>

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「問はず語り」とか「自分語り」という言葉があるが、

どんな人にも自分のことを語りたい気持ちって、フツフツとあると思う。

まあ、それが強い人と、それほどでない人もいるけど、、、


私の場合は、語りたいと思う時と、沈黙している時と、

その時その時、その時期その時期で、気分なんだよね。

自分のことを無性に語りたいときもある。

誰でもいいから聞いて欲しい。

FBやツイッターで、ともかく書いちゃう。


なにも語りたいとは思わない時もある。

そんな時は、語ることすら思いもつかない。

静かなんだけど、でも自分に無関心になっているということかもしれない、、、


自分語りをしたがる人を、世の中的には、承認願望が強い人、

自意識が強い人と見られがちだだよね。

自分語りがくどい人、どうでもいい内容の語りが続く人って、やっぱりウザがられる。

ナルシスティックに、自己憐憫や、自己顕示でいっぱいの人も多い。


でも、自分のことをウォッチングしている人たちもいて、そういうひとの「自分語り」は面白い。

きちんと自分に向き合っている語りは、共感を呼ぶことも多い。

ある一人のひとの感受性は、そのひと個人だけのものじゃない。

ひとりの問題は、だいたい他の人の問題に置き換えることができるから、、、


ある人に「ウォンさんは自分のことをオープンに語れて、羨ましい」と言われたことがある。

そうかもしれないけど、自分ではそうでもないと思っている。

私にも恐れがあるよ。

本当にオープンに語って、理解されるとは、あまり思っていない。

ちゃんと人に受け入れやすいことを、理解されやすい言葉で、共感を呼ぶように、したたかに語っている。


こんなことを言うと「もっと無防備に、誤解されることを恐れずに、もっともっとオープンに語ればいいのに」と忠告してくる人がいたりする。

「オープンに語れないのは自分を信じてないからだ~」とかね、、、

だからオープンになれないんだけどね、、、って人のせいにする私、、、www


実はオープンになりたくないのかも。

秘めるものがある方が、人間として奥行きあっていいじゃない、、、www


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