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<ファイティング・ポーズ>

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自分はファイティング・ポーズをとっていないと、ダメになるタイプだと思う。

守りに入ると、抑うつや不安、怒りも出て来るんだよね。


私が戦い系になったのは、18か19歳ごろ、何か開き直るキッカケがあったのかもしれない。

中学三年に校内暴力を受けて、その後、3年間の抑圧的で屈折した高校時代を経て、その間、社会ではベトナム戦争、安保闘争など、対立的で戦闘的な雰囲気が醸し出されていた。

テレビから流れるデモ隊と機動隊がぶつかる様を見ながら、冷たく戦慄していた自分を思い出す。

映画「アルジェの戦い」を見たことも、大きな意味を持っていたかもしれない。

世界は、社会は、戦いなんだ、どこかでそう確信し、自己規定したに違いない。


音楽も、人間関係も、ある種緊張した関係性の中で、戦いを挑み続けていたと思う。

瞑想に出会っても、それは癒しではあったと同時に、エンライトメントに挑戦することでもあったし、癒し系の音楽をやっていても、自分に甘える音楽はしたくなかった。

どんなに音楽が優しく聴こえようとも、ある表現の頂きに挑戦するという戦いだった。

吉福伸逸氏に出会って、ワークショップに参加するようになるけど、そこでも私は戦っていたように思う。

父親が仕事を辞め、家にいるようになると、私は彼との関係性の修復という戦いに挑戦したのだと思う。


父が死んで、私はこの歳になって、ようやく親から自立せねばならない所に来た。

今まで自分は自立していると思っていた。

でも、父が他界してから一年以上が過ぎ、私は今まで父親の庇護の元にいたのだということを、思い知らされている。

この歳にもかかわらず、自立のなんたるかを知らなかったのだ。

私は棺にこう書いた。

「パパさん、ありがとう。やっとパパから自立できるね」

私はその時、まだその意味をよく理解していなかったと思う。

もちろん今でもわかっていない。


もう守ってくれる人はいない。

今度は私がパパさんの位置にいるのだ。

そのことで、パパさんのことをいろいろ思い出しながら、ようやく父親のことが理解できるような気がする。

パパさんも戦いの人だった。

そして、最後は私たち家族に心を許し、身を委ね、ファイティン・ポーズを下ろし、天国に旅立った。


さて、私は今、新たな戦いに入ったと思う。

多分、向こう10年が、私の音楽家としての活動ができる限界だと、自己規定しよう。

今、70歳を前にして、自分の音楽にある手応えを持っている。

自分の音楽に確信がある。

歳を重ねて来て、得られたリソースでいっぱいだ。

それらを解放したい。

戦い方も上手くなった。

無駄な戦いはしない。

何よりもその戦いは、感謝と恩返しの戦いだから、、、

私を受け入れてくれた友人たち、そして聞いてくださった人たちへのお返しの最後の活動だから、、、


しかしそれもあと10年だと思う。

精神的にも、肉体的にも、あらゆる意味で、それが私の限界だ。

80歳まで、戦おうと思う、死に物狂いで、、、

途中で生き絶えるかもしれない。

疲弊して、倒れるかもしれない。

その時はその時、、、、


そして、もし、なんとか80歳にたどり着いたなら、

私は自分を許し、手放したい、、、

私は、私自身と世界を手放したい、、、

そして、私と家族と、全てに感謝して、旅立ちたい、、、


ウォンウィンツァン

2018年6月19日


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by wtwong | 2018-06-22 15:01 | essay

<つらつら、愚痴っぽい、、>

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昨年は、初夏にフュージョングループの演奏をやって、秋には16人編成のストリングスとの共演を果たしたり、死のワークやアートワーク、絵の展示やら、まあ、やりたいこと、やり残したことを、自由にやらせてもらった。

そんな事ができたのも、父を天国に見送れたことや、音楽的には「青の龍」あたりで、なにか到達感があったり、、、、

そう、昨年の初夏から今年の1月ごろまで、本当に開放感に満たされ、幸福感いっぱいだった。


でも、CDの制作もやっていないし、どちらかと言うと、さとわミュージックの運営そのものは、低迷している。

それでも余裕感があったのは、それなりにストックがあったし、背負うものもなかったから、、、


でも、それは長く続かなかった、、、

今年2月頃から、我が家周辺では大変革がおっぱじまった、、、

考えてみれば、必然と言うか、当然の流れなのだ、、、

それは親父が亡くなる前から予測できていたことだし、親父が一番心配していたことでもあった、、、

他の家族のことも、この世で生きていれば、当然やってくること、、、

(すごく抽象的にしか書けないけど、、、)


要するに自分や家族の将来的なことを何も考えていなかったことのしっぺ返しがやってきだけのことなのだけど、、、


2月3月と私たちの現状の把握と、将来の可能性を、考えに考えて、3月31日にはその結論を出し、そして今はそれを実行に移している。

いま急ピッチで家にある物という物を整理し、もうじき仮住まいに移動し、母屋の解体が始まり、8月下旬には工事が始まり、来年1月上旬には、今より小さくなるけど、それでも自分たちの新しい家に住むことになる。

スムーズに行けばだが、、、


家を新築すると、言葉にするとそれだけだけど、これって相当大変な一大事業なんだよね。

何よりも、しっかり社会のお金や制度のシステムに取り込まれ、これからもそれに縛られて、生きていくことになる。

もちろん今までだって社会に生きているわけで、お金のシステムにしっかり絡め取られていたわけで、今に始まったことじゃないんだけど、

それでも、お金に無頓着にいられたという、まあラッキーな状態だったわけ、、、

しかし今は、しっかりお金のやりくりの只中で、毎日、計算せざるを得ない中にいるわけだよ。


もちろん、これも気の持ちようで、別にお金なんか無くなったってっていいんだよね。

お金にとらわれるな、もっと大事なことがあるだろう、、、

そう言い聞かせてここまでやってきたさ、、、

無い頭を使ってお金のことを一生懸命考えて、本当に馬鹿らしいよ。

時々全部投げ出したくなる。


2月の時、家族会議の中で、私はピアノもスピーカーも売って、引退したい、って言ったんだよね。

出家なんかは出来ないけど、風来坊になって生きていきたい。

もちろん、そんなことはありえないんだけどさ、、

出来るわけないんだけどさ、、、

どこか魂の根深いところで、脱社会して、生きて行きたいという願望がある。

根強い見果てぬ夢がある、、、


3月31日、家を建て替えることを決定し、そしてその後、私は不安症とうつ病になっちゃったんだ、、

それってお金に対す不安もあったけど、結局社会のシステムに更にディープに絡め取られることになることへの絶望なんだよね、、、


ああ、俺は社会内存在として、そこから永遠に抜け出すことが出来ないのか、、、

出来ることなら、最も社会から遠いところで、密やかに生きていたい。

なんてね、これってあくまでもいい気な自己憐憫、ダンディズムであって、本音じゃない。

そんな事は解っているんだけど、酒でも呑みながら言いたいわけだよ。

ああ、そんな愚痴を聞いて、受け止めてくれるガールフレンド、いないかな~~


いや、俺は現状から逃げていないし、本当に一生懸命やってるよ~

誰のためにって、もちろん家族のためだよ。

いや、私自身のためです。

私の選択を、ちゃんとやり通しますからね、、、

別に全部やめてもいいんだけどね、、、

でもやります、、よ、、、


「社会システムに取り込まれていることからへの脱却は、自己の有り様を失わずに、魂を売り渡すこと無く、大切なものを見失わずに、より積極的に社会システムへ参加することにある。」某ピアニスト


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