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<音楽の彼岸から>

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Music is the space between the notes.

It’s not the notes you play; it’s the notes you don’t play.

Miles Davis


マイルスデイビスのこの言葉はとっても難解です。

(みなさんのご意見を読みながら)

ようやく私なりの解釈にたどり着きました。

よく解らなかった敗因に、

文章中に3回出てくる「the notes」にとらわれすぎて、

「you」が誰であるのか、どの次元の「you」であるかを忘れていました。

そして「Music」という言葉をどの次元で言っているかも混乱の要因でした。

マイルスにとって「Music」はまぎれもない、

本物の「Music」のことなのです。

それ以外は音楽ではないのです。


演奏家が演奏するとき、

ある表現したい「notes」を演奏します。

それは意思的な作業です。

しかし、そのように演奏された「notes」は

「意思的に表現されたnotes」なのです。

聴衆は「意思的に表現されたnotes」を受け取るだけです。

演奏家が美しいと考える音、あるいは悲しみの音、喜びの音、

それらは意思的に表現されたエゴの音なわけです。

聴衆は、演奏家が美しいと考える音、

悲しいと考える音、喜びと考える音を受け取るでしょう。


でも聴衆は音楽家の「Music」を受け取ることはありません。

なぜならそれらの音に「Music」が込められていないからです。

つまり演奏する「you」なる存在は、まさにエゴの存在なわけで、

聴衆はエゴしか受け取らないでしょう。

それでは「Music」は伝わらないのです。

エゴの存在である「you」が演奏する限り

それは「Music」では無いのです。


ではどうしたらいいのか?

そう、エゴを越えた「私ではない、なにものか」に演奏させるしかないのです。

ここでは「私ではない、なにものか」を、敢えて「魂」と置き換えます。

(人によっては「宇宙」と言うかもしれません

あるいは「神」と言うかもしれません)

つまり「you」が演奏するのをやめなければ「Music」にならない。

「Music」は「you don’t play」あなたの演奏ではない、

「魂」が演奏した音だ、と言っているわけです。


そして魂の演奏した音楽は、音そのものではないと言っています。

「the space between the notes.音と音の間」と言っています。

しかし、この言い方だと、

実際の音の音の時間的スペースと解釈されるかもしれませんね。

そのように解釈すると、演奏しすぎるな、とか、

音の数を少なくしろ、とか、間を大切にしろ、といった解釈になります。


でも、そうではなさそうです。

演奏が寡黙でも、饒舌でもいいのです。

寡黙でも饒舌でも、もしその演奏が「魂からの演奏」であるなら、

それは「Music」になるのです。

そしてそれは聴く人の「魂に届く」のだと思います。


私なりの言い方だと、

「Music」は音を使って表現される「notes」の向う側(彼岸)にある。

英語で言うなら「over there」か「behind」

或いは「beyond」になります。

拙い英語力で再解釈すると、、、


Music is over there beyond the notes.

It’s not the notes you play with ego ;

it’s the notes that can not be notes you play with transcend.


音楽は、音を超えた彼岸にあります。

それは、あなたが演奏した音ではありません。

それは、あなたが超越して演奏する、音にならない音です。


さて、マイルスの最初の言葉を咀嚼する時、

マイルスが音楽を本当に愛しているのがわかります。

そして音楽は必ず聴く人に届くと、

音楽に対する深い信頼も感じることが出来ます。


ウォン・ウィンツァン

2019-04-06


by wtwong | 2019-04-06 05:05 | essay