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この数日、音楽家の友人たちがフェイスブック上に「実は自分は音楽人間で、他のことがどうでもよくなってしまう」的な内容の文章をアップしていました。

音楽以外の、人間関係や、日常のことが、どうでもいい。

そのことで人に誤解されることもある。

そういう自分に戸惑いながら、「いや、これでいいのだ。人にどう思われようが、自分は音楽人間なのだ」そう書きます。

思い切った自己決意をアップしたものだな~と感心しながら、

同時に大きく頷いてしまう自分がいます。


わたしにも音楽以外、他のことなどどうでもいい時代がありました。

人間関係も、生活も、そう自分自身も、、、、

音楽のある高みに向かって、全てを投げ出したい。

もしそこにたどり着けないのなら、それは人生をやめることを意味する。

本気でそう思っていた時代です。

それを芸術至上主義というのかどうか知りませんが、、、、

そのような意識になるのは、主義や考えを選択するということではなく、もうそのような星に生まれてしまった、そういう生き方以外にないということなんですね。


とはいえ、そのような生き方は当然破綻しちゃうんです。

未熟で無知で、わかったフリの、なにもわかっていない。

才能もあるのかないのか、音楽に身を捧げるなんて身の程知らずもいいところです。

笑っちゃいますよね。汗

頭でっかちで、独りよがりの音楽のビジョンは、早晩破綻し、心身ともに疲弊していきます。

そして社会人として、人間として、あまりに無知で、他のことを何も出来ない。

世間知らず、苦労知らずのボンボン、そんな自分に戸惑いと焦燥感に襲われたりもしたものでした。


そんな追い詰められた状況で、少しずつ変化が現れます。

子供が生まれ、家庭というものに意識が向きはじめます。

家庭の中で、色々錯綜しながら、家族へのぎこちない愛を、少しずつ育むようになります。


 その後、瞑想に出会います。

瞑想の体験を通し、音楽の本質目覚めるとともに、霊的な成長ということも視野に入ってきます。

音楽よりも、自分が霊的存在であり、霊的な成就というものに意識を向けるようになります。

毎日瞑想が主になるようなライフスタイルを続けるようになります。

しかしこれも独善に過ぎず、日常生活も健康も、音楽も破綻していく道でした。


それが破綻すると、今度は心の問題、心理療法に目覚めます。

結局、心の問題をずっと棚上げしてきたことの歪みが、今の自分を作っていることに気づきます。

本当の自分に向き合っていなければ、まあ表現なんかもできないわけです。

一時はセラピストになることも考えに入ってきましたが、それも破綻します。

どんなこともそうですが、セラピーというものに人生を託すほどには覚悟がなかったのですね。


そうこうしているうちに2011年3月11日があり、今度は社会意識に目覚めます。

国会前にデモに出かけながら、何か社会の変革ということを夢見ます。

しかし、知れば知るほど、この社会の仕組みの歪みと、為政者や有権者の社会意識の希薄さに、

なにやら絶望的なものも感じはじめます。


そして2017年5月、父親を看取り、本当の意味で自立をせざる得なくなったのが、一昨年でした。

ライフスタイルそのものの変換、立て直しを余儀なくすることになります。

しかしそれは、ある意味、自分の寄って立つ地軸をハッキリさせるということでもありました。

残りの人生をどこに向かって生きるのか、ようやく見えてきたのでした。


そして昨年7月にある文章を書き上げます。

その内容は、残りの人生を音楽を通して、この社会に自分の存在を還元したいと言うものでした。

あれから一年近くが経ちましたが、たくさんの方から応援を頂き、各地でコンサートやライブを開催してくださる方が増えました。

わたしが演奏活動ができるのは、皆さんに応援してもらえているからで、本当に感謝の気持ちが自然に湧いてくる、本当にそう思うのです。

本当に幸運だと思います。


さて、大雑把に自分の音楽人生を振り返ってみました。

もっともっとたくさんの出来事がりましたが、、、、

こうやって俯瞰して、そして今、わたしはどこに立っているのだろう?

私はこの世界のどこに、その立ち位置を確信しているのだろうか?


 そう考えるとき、何か一巡して振り出しに戻ってしまったのではないか、そんな気がしているのです。

気分として、直感的に、振り出しに戻った、という感じ、、、

もちろん、あれから五十年も経っているのですから、同じわけはないのです。

にも関わらず、なにかあの頃の情熱を取り戻しつつあるような気がしています。

いや、今まで一度もその情熱を失ったことはないのです。

ただ、その情熱はどこか空回りしているような、いつも手応えのなさを感じていました。


 そして、今なら、想いに向けて、素直になれる。

昔に比べ独りよがりではなくなったし、頭でっかちでもなくなった。

物事の色々を体験し、相対的に自分を見ることもできるようなった。

少しは技術も音楽性も上がったし、、、

そして何より家族も、友人達も、そして主催してくださる方達も、応援してくれている。

人の愛情や信頼、そして責任ということも、少しは分かるようになった。


ここまで書いて、では、昨日と今日とどう違うのか、明日はどうか?

いや、なにも変わらないのではないか?

なぜならもうすでにそのように生きているから、、、

改めて決意などせず、もうわたしは音楽人間そのものじゃないか、、、

家族を大事にすること、友人知人と関わること、求められる音楽を演奏すること、

そして普通に生活すること、それらが自然で無理がなく行われている。

そして、それらにとらわれることなく、音楽に耽溺することもできる。

その体制や立ち位置を、ようやく構築できた。

私は今、音楽が楽しくて仕方がないのです。

ピアノから一音が聴こえてくるその瞬間から、喜びが湧いてくる。


 私は7月に70歳の誕生日を迎えます。

ようやく出発点に立ったような気がしています。

昨年7月のブログにも書きましたが、私が元気に演奏できるのは、多分80歳まで、、、

もちろんその間に、病気なったり事故になったり、演奏を続けられなくなる可能性もあります。

そのことを心配したり不安がっても仕方があります。

途中で何があろうとも、構わないのです。

80歳まで、音楽をやり尽くしたい。


 友人たちの決意に満ちた熱いメッセージに刺激されて、自分の今までを振り返り、そして今を確信して、彼らに呼応するように、決意を新たにすることが出来ました。

友人たちに感謝ですね。

ありがと~


ウォンウィンツァン
2019-05-31

by wtwong | 2019-05-31 00:13 | essay

<ヒーラーたちの落とし穴と、本当の役割、、、その1


以下の文章は、フェイスブックに何気にアップした内容なのですが、600近い「いいね」50近いコメント、やはり50近いシェアをいただきました。

この内容がこんなに関心を持ってる方が多いことに驚き、とてもうれしかった。

なのでアーカイブの意味を含め、ブログにアップしておきます。

2019年5月6日

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いわゆるヒーラーとか、セラピストとか、カウンセラーとか言う人たちは「自分がクライアントを癒す」という落とし穴に陥りやすい。

そして「人の心を扱う」という事が自分には許されている勘違いしがちだ。

吉福さんは、そのことをとっても強く戒めていた。

私たちにそのことを何度も強調していた。

そして私たちがワーク参加者の心を誘導する様なインストラクションに対して、怒りをあらわにしたものだった。


私たちはどんな人も何らかの問題を抱え、それを無意識に追いやって、そのことを見ることなく生活している。

しかしそれらの心の問題は、無意識レベルから常に日常生活や人間関係に現れて、その人を生きにくくさせている。

しかし、何らかの手がかりがあれば、その様な心の問題を、自ら解決しようと、魂レベルからの強い自己治癒エネルギーが立ち上がる。

どんな人にも、自然な自己治癒力を持っているのだ。

しかし、その治癒力が覆い隠されているのは、やはり自分の問題に直面したくないからなのだ。

自分の問題に直面するのは、やはり辛いことなのだ。

河合隼雄氏は自分の問題に直面することを「対決」とまで言っている。


そんな生きづらさを抱えている人が、ヒーラーやセラピストや、或いは私の様なあたかも包容力のある様な人のところに、引き寄せられて来る。

もちろん宗教にもそれを求める人も多い。

人は救いを求めて、すがる様な思いで彷徨っているのだ。


では、癒しが必要な人たちにセラピストたちは一体何ができるだろう。

とかく彼ら彼女たちを導こうとする。

「ああしなさい」「こうしなさい」「それはこうなのよ」

あらゆる方法で、彼らに方向ずけをし、気づきの内容を当てがおうとする。

彼らはその言葉に従いやすい。

なぜなら、そもそも依存傾向があるから。

そして自分の問題に直面せずに済むし、、、

それは果たして良いことなのだろうか?

吉福さんはそれはノーなのだと言う。

なぜなら彼らの自己治癒力を阻害して、

問題を先送りするだけで

依存対象をそのセラピストにシフトするだけに終わってしまうからだ。


私が心理学を学び始めた時、目が冷める様な思いがあった。

目の前の人が、どのような心の問題を抱えているのか分析できるようになったのだ。

どんな人も、一目瞭然のような気がしたものだ。

そして、その問題がその人にどの様に影響しているか、

まるで手に取るようにわかるようになった。

不遜にも私は、彼らに対して、ジャッジしていたのだ。

そして、こうするべき、ああするべきと、誘導しようとした。

とってもやな奴だった。

家族にも嫌われたものだ。www


(明日早いので今日はここまで、、、)

2019年4月28日


by wtwong | 2019-05-06 10:28 | essay

<本当に大切なこと>


 「本当に大切なことは、目には見えないんだ」

キツネくんが星の王子様に伝えた有名な言葉ですね

Music is the space between the notes.

(音楽は音たちの間にある)

これはマイルス・デイビスの言葉です

本当の音楽は聴こえている音にはないと言っています

小説家や詩人たちも、本当に伝えたいことは、

言葉にはない、行間にあるのだと言います

目に見えてるものにも、

耳に聴こえているものにも、

言葉にも、

本当に大切なことは、そこにはないのです

仏教にも「密教と顕教」という考え方があるようです

友人の僧侶が「密教とは言葉では伝えることが出来ない教え」と解説してくれました


 私たちにとって本当に大切なことは、

目に見えないし、音に聴こえないし、言葉としても伝えられない

逆にいうならば、私たちはそのような神秘を感じ、受け取れる感覚があるのです

私たちの感受性は、目や耳やから受け取る色や形や音を超えて、

なにか特別な「本当に大切なこと」を受け取れるのです

そう、本当に大切なことを感受することができるのです

そしてその神秘や光を、私たちは自ら発したり、表現したりすることもできるのです


 では本当に大切なこととはなんでしょう?

その大切なことを、私たちはどうやって受け取るのでしょう?

そして、私たちはその本当に大切なことをどう発信するのでしょう?

ここまで書いて、はたと書き進めなくなってしまいました

「本当に大切なこと」が何であるか、言葉では伝えられないからです

それにそれは、その人にとって大切なことであって、

他の人と比べられることでもないのです

少なくとも、それは「体験」ということは言えそうです

そしてそれはなんらかの情動や感動を伴うものであり、

人に説明することができない体験です


 私たちの人生は「本当に大切なこと」を体験するためにある言ってもいいと思います

そして「本当に大切なこと」に気づいたり、触れたり、体験することによって、

人生そのものの意味が変わったり、意識が広がったり、解放されたりするのです


 23歳ごろ、私はある天才的なベーシストに出会います。

その頃、私は音楽になにを求めたらいいのか、見失っていました

と言うより、はじめからなにも見えていなかったのですが、、、

そのベーシストが醸し出すタイム感に私は強烈に惹きつけられます

彼の音楽にこそ「本当に大切なこと」が有ると感じられたのです

そして、それを獲得することが、私の音楽上の目標になりました

私は彼とグループを組んで、リハーサルを重ねます

しかし、彼の音楽性をどうしても自分のものにすることができません

彼は私に向かって何度も何度もこう言うのです

「ここだよ、、、ここにおいでよ、、、」

彼は本当に大切なことを表現するためには「ここ」にいる必要があると言うのですが、

私には彼の言う「ここ」がいったい何なのか、どこなのか、全くわからないのです。

当惑するばかりで、彼の言う「ここ」にたどり着けません

彼には私を「ここ」に連れて行くことはできなかったのです

それは言葉でも、音でも、技術でもない場所だったからです。

だれも私を指導することはできなかったのです


その後、私には長い、彼が居る「ここ」に辿り着くまでの

長い道のりが待っていました。

15年が過ぎ、瞑想に出会い、

ようやく光が見え始めた頃、

そのベーシストは薬物に侵され、

最後は踏切の真ん中に蹲っているところに列車がやってきて

彼を天国に連れて行ってしまいました

真夏の出来事でした

もし、私の音楽に何か「本当に大切なこと」が注がれていて、

それが聴く人に届いているとするなら、

それは他ならないそのベーシストのおかげなのです

そう、今、私は「ここ」に居ます


私の師匠、吉福伸逸さんも「本当に大切なこと」を知っている人でした

それを密教的な悟りというかどうかは、

仏教を知らない私には判断しようがありませんが、、、

そして彼のワークショップは、体験を通して、

言葉にならない「本当に大切なこと」を気づける環境を提供していました

彼のワークショップは「体験的グループセラピー」と名付けていました

体験を通してしか伝えられないからです

彼は環境(Context)を提供するだけで、

その「本当に大切な気づき」(Contents)は自分自身で気づくしかないのです

なにを気づくかは本人次第であって、

セラピストでもインストラクターでもないのです

まあ、彼はいつも歯がゆそうではありましたが、、、


吉福さんが癌で他界する前年、2012年の秋、

彼の最後のワークショップでの体験を、

どう語っていいかわかりません。

その体験から、どれだけ自分が解放されたことでしょう、、、


掛け替えのない「ここ」を教えてくれたベーシスト、

そして、気づきの場を提供してくれた吉福さんに、

どれだけ感謝しても、感謝しすぎることはありません

彼らのおかげで、私の人生がどんなにか豊かになり、

そして開放されたことでしょう

二人の私の師匠に、合掌です


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●「魂の表現ワークショップ」

6月14日(金)~6月16日(日)

長野県・女神山ライフセンター

インストラクター

ウォンウィンツァン・ウォン美枝子

主催:T&T(小山内)

tt.blue.earth@gmail.com

https://www.facebook.com/events/292198184980154/


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●「せらぴすと によるセラピストの為のワークショップ」

7月12日 13:00~7月14日 12:00

保険農園ホテル フフ山梨

インストラクター

向後善之、新海正彦、ウォンウィンツァン

https://www.facebook.com/events/2167350816641222/


by wtwong | 2019-05-05 16:50