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<思いついたことは、魂のメッセージ>

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 数日前のシェアで「思いついたことや、やりたいと思ったことは、すぐやるようにしている」と書いた。

それは、それこそ部屋の片隅に溜まってしまった綿埃を拾うことから、ある人と話をしたいと思ったらすぐ連絡するとか、音楽的イメージがあったらすぐ作曲したり演奏したりするなど、すべての事について思いついたものをやるということなわけです。


 なぜそう言うのかというと、そうしなかったことの後悔が、自分には結構あるんだよね。

特に20代30代の、随分前の話だけど、、、

その後悔は、今も少しだけど、引きずっている。

それはなんというか、不全感、焦燥感、悔恨として、今も私を脅かすわけだ。


 (ただ、この不全感や焦燥感が、具体的なエピソードとして思い出されるわけではないんだ。

つまり、やらなかったことの全体の印象なのであって、もしかしてそのような気分だけが残っているんだよね)


 主に音楽関連のことと、人間関係のこと、、、

なので、もうそのような後悔はしたくない。

そのような不全感は長く脳裏に残って、精神的に良い状態とは言えない。

その為には今は、思うこと、思いついたこと、やりたいと思ったことをなるべくすぐにやるようにしているんだ。


 20代や30代、私は音楽的に実に様々なアイデアがあった。

あったと思う。

そのようなアイデアを自分は持っていた。

(でも、今そのアイデアを具体的にイメージできてるわけでないし、今となってはそのイメージは陳腐なものだったのかもしれないけど)


 そのほとんどが実現していないんだよね。

実現できずに終わってしまっている。

実現できなかった理由は色々ある。

結局自分の力量のなさ、スキルの未熟さだった。

それと環境や人間関係に恵まれていなかったこともある。


 でも、自分自身でそれを潰してしまっていたことも多い。

つまりスティグマというか、音楽とはこうあるべきだ、そんなダサいことはしたくない、などなど、自分を制限する観念で自分を潰していたんだよね。

そのような制限は、成長をも阻害していたと思う。


 それと他人の言葉、例えば「そんなのジャズ(クラシック)じゃない」とか「ハートがないんだよね」などなどの批判、、、

とかく実現できなかったことを他人のせいにしたがるから、余計そう思うかもしれない。

やれなかったことを他人に投影しちゃうわけだ。

私も随分と人のせいにしたと思う。


 自分の力量や才能のなさによって実現できなかっとこと、自分で課した制限や、他者からの批判、、、

そのような全体的な抑圧は、それが具体的な事象がなくても、なんとはない悔恨、不全感、焦燥感だけが残っている。


 もちろん今更後悔しても、そのタイミングはもう戻ってこない。

今は、以前よりは少しは音楽的力量もついて、音楽的アイデアを実現する可能性は増えた。

でも、あの時のアイデアは、あの時のものなんだよね。

その時に実現しなかったことは、永遠に実現しない。

例えば、写真をあるシーンであって撮影したいと思う。

「今撮らなくてもまた撮ればいいよね」と思うようなことがあるかもしれない。

でも、そのシーンはもう2度と同じシーンにはならないんだ。

その時にシャッターを押さなければ、もう2度と撮影できない。


 だから若いクリエイターに言いたいのは「思いついたらやれ」ということだと思う。

例えそれだけの力量がなくても、またそのアイデアが陳腐であっても、思いついたらやるしかないんだよね。

もちろん未熟だから、アイデアは完成まで辿り着けないかもしれない。

ほとんどのアイデアは最後まで実現できずに、未完のままで終わる。

でも、それでも、その積み重ねは、とっても大事。

いつかそれら積み重ねた未完のアーカイブが生きる時が来ると思う。


 以上の話はクリエイターだけに限った話ではない。

私達は無意識にしまいこ込んだ、人生のあらゆる未完のプロセスを背負っている。

それはトラウマであったり、人間関係であったり、、、

未完のプロセスは、無意識の奥底から、その人の人生に様々な形でコントロールするし、影を落とす。

同時に、未完のプロセスは、それ自体で完了させたいという内的力動を内包していて、それは思いつきとか、ある感覚とか、非言語的なメッセージとして浮上してくる。

その時が、そのプロセスを完了させる時なんだよね。

それって安藤栄作くんが言うところの「その人にとって解決されてない過去の何かを改善していくタイミング」なんだよね。


 さて、ここまで書いて、ひっくり返すようだけど、、、

かつての音楽的アイデアが実現できなかったのは、やはりどう考えても、結局自身の未熟ゆえなんだ。

音楽的にも人格的にも未熟だったということ、、、

だから実現させなかった、じゃなくて、初めから実現できない運命だったんだね。

あるいはそんな実現できなかったアイデアは、逃がした魚はでかい、じゃないけど、膨らんでしまった幻想なんだと思う。

だから不全感や未完感、喪失感とかって根拠がないのかもしれない。

(これらは、実は命(魂)そのものが内包している宿命的な感覚なのかもしれない、とも思う。)


 なので、自己納得するしかないとも思ってる。

不全感や未完感などを引きずっているのは、ま、往生際が悪いというやつでもある。汗

これでも以前より残念感、不全感、後悔感は薄らいでいるし、、、

この年齢になり、それなりに成長し、スキルも増えて、環境も整っているのだから、今思うこと、思いつくことはどんどんやろうと思う。


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<以前の投稿>


私は行動的に見えるらしい。

美枝子さんに時間の使い方が上手いと言われたこともある。

でも、実は違うんだよね。

ただ、その時に思いついたこと、見えてしまったことを、すぐやるようにしているんだ。

つまり思いついたこと、見えてしまったことを今すぐにやらないということは、永遠にやらないということになってしまう。

そして何かその記憶の残像というか、残り香のようなものだけがモヤモヤと頭に残るんだ。

「あれってなんだっけ〜」「何をやろうとしていたんだっけ〜」って感じ

それってすごく精神的に良くない。

それがどんどん溜まっていくと、何かが飽和して、変なストレスだけが溜まっていく。

なので思いついたこと、見えてしまったことはすぐにやるようにしている。

安藤くんみたいにそれほど深くは考えなかったけど、、、、

でも思いついたことや見えてしまったことは、言うなれば「魂からのメッセージ」なんだよね。


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<安藤栄作くんの投稿>


例えば家の中で用事をしてる時に、廊下の端に綿埃がある事に気付いて、でもその時は今やるべき事を優先して拾わずにそのままにしてしまう事ってあるじゃないですか。

で、その瞬間を過ぎるとそこに綿埃がある事自体を忘れてしまって、数日過ぎてしまったり。

でもこの世界は全ての事がなんらかの事とリンクしてるんですよね。

その綿埃が今の自分の前進や好転の何がしかの足を引っ張っている過去の自分の過ちや不甲斐なさと繋がっていたりするんですよね。

そこに綿埃がある事は3次元では物質的事実なんだけど、その綿埃が持つ意味性やメッセージはそれを見た人によって違ってくるんですよね。

その綿埃に気付いた時が、その人にとって解決されてない過去の何かを改善していくタイミングなんですよね。

日常を生きるって過去を修正して未来に繋げるそういうチャンスを次々と与えられてる時空間だと思うんです。

その事に気付いたのが高校3年の頃で、

それ以来そういうタイミングにはなるべくすぐに行動するようにしてるんだけど。。。

例えば電車でお年寄りや身体の不自由な人や妊婦さんに気付いて自分の体調が立てるようなら躊躇せず席を譲るとか、家や仕事先やお店で出入りする時に、閉まり切れていないドアに気付いて丁寧にきちんと閉めるとか、それこそ何かをしながらもゴミが落ちてるのに気付いたらすぐに拾うとか、些細なことでもその場ですぐにお礼を言うとか。

なかなか100%はできなくても、「ああそうだった、これ自分の過去の落ち度やトラウマの何かとリンクしていてその改善のチャンスなんだよな」って思うと体が動きやすくなるんですよ。

過去現在未来のメンテナンスや人生の好転への組み替えは、人知れず自分にしか見えてない日常の些細な事象の中に提示されているように感じるんですよね。

時空を超えた宇宙では大きな事も些細な事もエネルギーとしては同じ比重で存在してるように思うし。

宇宙は全ての人に、人生を好転させるために過去をも修正できるように常に常にチャンスを提示してくれてるんだよな〜って思うんだよね。


<備考>

思いついても、やりたくないものはこの限りではない。

例えばテーブルに積み上がった未処理の書類とか、、、汗


# by wtwong | 2024-01-11 15:42 | essay