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<夢の中で生きています>

 年末から今日までの、約20日間のライフスタイルは、今までに経験したことがない気分が持続している。
不思議な、特別な時間の流れを体験している。
起きたい時に起きて、寝たい時に寝る。
昼だろうが夜だろうが関係ない。
そして自分がそうしたい事を、そうしている。

 起きて、食事して、孫娘と遊んで、パートナーとカフェに行って、ポタリングして、ヨガや瞑想して、本(iPad)を読んで、映画(アマプロ)を見て、電子ピアノを弾いて、聴きたい音楽を聴いて、インターネットを徘徊して、そして寝ちゃう、、、
その時その時のやりたいことをやっている。
退屈することも、飽きることもない。
それでいてバランスを崩すこともない。
心身のバランス感覚は流石に年の功、手だれているのかも、、、ww

 あらゆることが手離れて、本当に楽だし、自由感満載!!
むかし「自由」ってなんだ?とずいぶん考えた時期があった。
今はよくわかる。
不自由にしているのは、他ならない自分自身だった。
さまざまな囚われ、こだわり、責任、世間体、考え方(観念)、ねばならない、記憶、トラウマ、心配と不安、、、

 自分が自分自身に重なる生き方ができるようになると、それはそのまま自由感につながっている。
自分らしく、リアリティーのある生き方が出来るようになるには、もちろん自己の本性に向き合わないと出来ないことだし、勉強もした。
自分にご苦労様と言ってみたい。
いや、全ては導かれたことなんだけどね、、、
本当に導かれてきた、支えられてきたという感覚は強くある。
いつもギリギリ追い詰められたものだったけど、今となってはその苦しみや痛みを思い出せない。w w

 かつて、何もすることがない時期はあった。
でも、その時と今とでは、全く違う感覚だ。
あの頃には、焦燥感や無力感や喪失感、不自由感に対してただ見ないふりをして、自分に嘘をついていただけだったような気がする。
何もしない、ではなく、何もできないというジレンマの中だった。

 所詮ポーズだけで老師にはなれないね。
いや、もちろん今でも老師になる気はないよ。
無為ではない。
毎日、やりたいことをやっているわけで、しかも結構集中してやってる。
本を読むことも、電子ピアノを弾くことも、インターネットを徘徊することも、、、
なので心地よい充実感で満たされている。

 ただ、何かの活動して、外に向かっている感じはしない。
もちろん人の前で演奏していないし、人と関わることも家族以外ほとんどないわけで、当然と言えば当然だ。
私は外に向かっていない。
でも今、私は外に向かうことを必要としていない。
今が次なる音楽活動の準備期間だとしても、そのような意識は持ちたくない。
これで終わってもいい。

 もちろん、今のそんなライフスタイルを支えているラッキーな状況という事はある。
愛する家族に恵まれ、快適な家があり、生活に困らない程度にはお金もあるし、さとわミュー
ジックを支えてくれる有能なスタッフに恵まれている。

 そして、とりあえず日本は平和だ。
遠い北の国の戦いはずっと気になっていて、ウォッチングはしているけど、世界の流れは私にはどうすることもできない。
日本の流れもとても心配だ。
なので心は晴れているわけではないけど、、、、
でも、何かに集中すると、私は一人だけになれる。
世界から離れて、夢の中で生きているよう。

 そう、最近やたら夢を見る。
夢の中の記憶が、現実と重なって、夢と現実の境がないように感じる。
私は夢の中で生きているのだと思う.
こういう生き方を長い間求めていたと思う。
なんとも不思議な毎日だ。

 私は意外と欲望が薄い。
認められたいとか、社会的に成功したいとか、有名なりたいとか、お金をたくさん儲けたいとか、、、
人と比べることもあまりないので嫉妬心も少ない。
全くないわけじゃないけど、どうでもいいと思ってる。
何か自己アピールするために、自分以外のことをやろうとすると、自分を損ない、自分で自分を傷つける結果になることを学んだんだよね。

 また人にどう思われても、あまり構わない。
蔑まれるのは敵わないけど、だからと言って自分の考え方が変わるわけでもない。
人に絶対わかって欲しいという考えがあるわけでもない。
自分の考え方や生き方が、実はかなり世の中的に違っているという認識があるので、人にわかりやすいことは言っているけど、理解されるのは難しいと思われることは、言わない。

 社会的な自己実現願望は薄いと言ったけど、音楽に対する欲望は根が深い。
だからこそ、ここまで執拗にやってきたし、やってこれたのだと思う。
音楽の高みへの希求は、実は結構エゴイスティックなものだ。
だから私より素晴らしい音楽を展開している天才たちへの嫉妬心は強くある。
本当に連中ときたら、素晴らしすぎて、聴くたびに打ちのめされ、自分の無能を恥じる。
とても太刀打ち出来ない。
私の音楽はとても彼らの次元には及ばない。
私の音楽は歴史に認められることはないだろう。

 でも、それは私の才能の限界だし、仕方がないことだ。
もちろん人間というものには限界がある。
でもそれを限界とは受け止めない。
そう言うものなのだと、無理なく受容できる。
自分にないものねだりをしてもしょうがない。
 ただ、それでも自分の演奏に気概を持つことはできる。
私が演奏する時のその最中、私は私自身になっているので、そんなことはどうでもよくなるのだ。
音楽を続けてきて、最も大きな価値と感じるのは、演奏している最中、私自身になることが出来るということだと思う。
つまり、私は音楽の中にいる時、私は私でなくなる。

 こんなライフスタイルをずっと続けていたい。
少なくとも我が愛機、ベーゼン290がさとわミュージックに帰ってくる3月上旬までは、、、
1月や2月にはいくつかのスケジュールやミーティングが入っている。
それはそれで楽しみたい。
それを終えたら、またここに戻ってこよっと、、、

ウォンウィンツァン

# by wtwong | 2023-02-25 17:26 | essay