<瞑想と坐禅>

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最近、瞑想と坐禅を比べて論じる人が増えている。

これらは別物なので、

比べようもないと思うけど、

似ているところもあるで、

比べたくなるのも仕方がない、、、


瞑想については、

87年から、30年以上、ほぼ毎日やっているので、

まあ、少しは何か、言えることはあるかもしれない。


でも、坐禅は、一向に上手にならないので、

なんとも言えない。

坐禅断食会に参加するようになって、

10年以上は経っている。

二泊三日の間に、約25分の坐禅を15回、

年に3回以上は参加しているので、

それなりの回数になるのだけど、

一向に上手にならない。

時折クリアーな、良い体験になることもあるけど、

ともかく座っているのがキツイ、、、

多動な私は、ジッとしていられない、

足は痛い、痺れてくる、、、


にもかかわらず参加しているのは、

坐禅断食会の後は、

心身ともに浄化されて、

霊的なエッセンスに満たされる。

そして瞑想の体験も深まるのも嬉しい。


私が日々実践している瞑想は、

古代インドから伝わる伝統的なスキルを、

現代の都会人にも実践できるように、

アレンジしたものだ。

ヨーガ・スートラという経典がベースになっていて、

マントラ(真言)を心の中で唱える瞑想法だ。


坐禅に比べると、実にフランクだ。

どんな座り方でもいい。

頭を寄りかかったりしなければ、

足を投げ出して座ってもいい。

だから、どこでだって瞑想できる。

例えば電車の中でも出来るし、、、

雑念もOK、、、

寝ちゃってもOK

努力もいらない、、、


マントラに頼って、

努力しないやり方に、

坐禅を信奉する側から批判的な声を聞くことがある。

マントラは意識を曇らす、とまで言う人もいる。

そういう事を言う人は、

だいたいマントラ瞑想をやったことがないか、

やってもあまり効果を感じなかったからかもしれない。


瞑想は努力をしない。

努力をすると、自然に瞑想状態になるのを妨げて、

間違った意識状態になる可能性がある。


インド人って、生来けっこう合理主義、実際的な気風がある。

霊的体験を深め、至高の意識状態に到達する、

と言う目標に向かって、

最短距離で効果を上げる瞑想法を、

三千年もかけて開発してきた。

それがヴェーダという叡智だ。

求道者たちは

エンライトメントという至高の意識状態になる為に、

ヒマラヤの山奥に籠って、

ひたすら瞑想に励むのだろうか、、、


私は瞑想体験が良かった。

一時は、ひたすら瞑想に明け暮れたことがあった。

体験が良いと、さらに体験を良くしたい。

このまま進めば、インドの経典にあるような、

至高の意識状態になるのでは、と夢見たのだ。


しかしそれは、無謀な試みだった。

瞑想が深くなるにつれ、

意識状態や心身の状態が過剰に鋭敏になり、

日常生活が、普通に過ごせなくなる。

新陳代謝が底をつき、

食べ物にも鋭敏になり、

かなり禁欲的なベジタリアン料理しか食べられなくなり、

体重は極端に減っていく。

一時は40kg以下にまで落ち込んだことがある。


しかしその頃から、瞑想体験を深めることにより、

なんらかの至高の意識状態なること、

「エンライトメント」に到達することに

疑問を持ち始めた。


たしかにすごい体験ではあるけど、

人間は、霊的な存在だけではない、

日常的な、生活人であり、社会人でもあり、

パーソナルな問題も抱えている存在でもある。

瞑想体験がどんなに良くても、

それらを蔑ろにして、

エンライトメントというのは、無理がある。

そう気づいたのは、

オーム真理教事件が起きる前のことだ。


瞑想が危険だと言われる所以は、

体験に飲み込まれてしまうことだろうけど、

ちゃんとプログラム通りやっていれば、

全く問題がない。

日常的に瞑想をやることで、

日々、どれだけ恩恵を預かっているかわからない。


坐禅をする側からは、恩恵のために座るのではない、

と言われそうだ。

効果とか、効用とかを得るために座るのではない。

何も求めない、のが坐禅だ、という考え方だ。


さて、どちらが良いかは、それぞれの考え方や、

感じ方の問題だろうと思うけど、

出来れば、両方とも体験してみると良い。

そして、自分に合う方を選べばいいと思う。

頭で考えて、どうこう言うのでなく、

まずは体験してみることだと思う。


瞑想や坐禅をする事で、

霊性のエッセンスを、

日常生活に注ぎ込むことができる。

霊性のエナジーが、心身の全体に広がるのだ。

すると生きることの意味そのものが変わってくる。


ウォン・ウィンツァン

2018-11-08



(写真はガラス工芸作家、狩野智宏さんの作品「amorphous」)

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by wtwong | 2018-11-08 09:36 | essay